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【中世②】『ヴィンランド・サガ』~退廃と戦乱の下に剣なき強さは成るか~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『ヴィンランド・サガ』1巻表紙より。

 直近2記事(『キングダム』『レッドムーダン』)で中国の歴史の歩みを見てきましたが、このあたりで舞台を再びヨーロッパに戻してみましょう。

 前にヨーロッパの歴史を取り上げたのは『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』の記事でした。アレクサンドロスの帝国の崩壊後、ヨーロッパ世界の盟主となったのは古代ローマ帝国。同作で描かれるような挫折もあったものの、ローマ帝国は急速に領域を広げ、全盛期の紀元100年ごろには西欧からトルコあたりまでの地域を支配する大帝国となっていました。
 しかし4世紀後半ごろになると、アジアの遊牧民の領域拡大に押されるようにして東欧のゲルマン民族がローマ帝国に侵入、これにより帝国は動乱状態に陥ります。この対応のためローマ帝国は自ら東西に分裂し、それぞれの地域で動乱の対処にあたることを選択しますが、西ローマ帝国はまもなく476年に滅亡。その後ローマ帝国の伝統は、ローマの地ではなく、今のギリシャ・トルコに位置する東ローマ帝国(またの名をビザンツ帝国)にて続くことになります。
 
 では、西ローマ帝国が滅亡した後の西欧はその後どうなったのでしょうか。しばらくは統一支配者のいない不安定な時期が続いていくのですが、8世紀末にフランク王国のカール大帝(またの名をシャルルマーニュ)がついに西欧を再統一します。しかしそのカール大帝が亡くなると、その広大すぎる領域はローマ帝国の後を追うようにして再び分裂してしまうのですが、今回は東西分裂ではなく、おおよそ今でいうフランス、イタリア、ドイツの領域へと3分割されることになります。これらの3領域こそが今のフランス、イタリア、ドイツの祖先であり、ここで今のヨーロッパの国境線の原型が生まれるのです。
 一方、これと異なるルートを辿って成立するのがイギリスです。イギリスはカール大帝の支配を免れており、ゲルマン民族による広域国家が誕生しています。しかし、かつて西欧に侵入しローマ帝国を衰退させたゲルマン民族は、ここで逆に別の民族の侵入を受け混乱に陥ります。侵入したのはノルマン民族。この呼称のほうが圧倒的に有名でしょうが、「ヴァイキング」とも呼ばれる人々であり、イギリスはやがてノルマン人のもとに統一されることになります。
 
 このヴァイキングたちの生き様を描いたのが、雑誌アフタヌーンで長期連載中、幸村誠先生作『ヴィンランド・サガ』です。主人公である少年トルフィンは、故郷であるアイスランドからの航海中に海賊に襲われ、彼を庇った父を喪います。その後トルフィンは父を奪った海賊に入団。そして海賊の一員として血みどろの戦いに身を投じながら、父の敵である海賊団長への復讐の機会をうかがうことになるのです。父の遺した、「本当の戦士には剣などいらぬ」という言葉の意味を考えながら。
 こうしたプロットからも推測されるとおり、本作のテーマは「平和」、あるいは「反戦」です。トルフィンの父はかつてその圧倒的な強さから「戦鬼」と畏怖される戦士でした。しかし彼はその後戦いから身を引き、「剣なき強さ」を追い求めるようになっていました。一方でその父を喪ったトルフィンは、復讐のための力を得るべくヴァイキングとなり、逆に剣の世界へと身を埋没させていく。その先に父と重なる途はあるのか。重なったとしても、本当に「剣なき強さ」、すなわち暴力に頼らない強さなど、実現できるのだろうか。本作はそのような解なき問いを、トルフィンの人生を通して追究していくのです。
 
 本作の挑戦的な点は、そのような難解な問いを、わざわざこの中世初期のヨーロッパという動乱の時代を舞台にして取り組もうとするところでしょう。
 古代ローマ帝国の時代は、統一国家のもとに平和が維持され、また水道などのユーティリティや公共浴場等の娯楽施設が整備される等、現代の我々の生活に類した文化的な生活が実現されていました。それが、ゲルマン民族の侵入により動乱期に入り帝国が消滅すると、そうした平和と生活基盤を支える統治機構が消滅するわけで、人々の生活水準は著しく低下します。具体的には、一度都市生活にまで発展した人々の生活は自給自足・物々交換経済へと逆戻りし、遠くにいる皇帝ではなく、近くの地主等を頼った農奴としての生活が一般的な庶民の生き方となっていく。そしてそれに追い打ちをかけるように、帝国滅亡後の戦乱が人々の命を奪い、生活を乱していく。そのような退廃と戦乱が中世初期西欧の大きな特徴であり、その世界で「剣なき強さ」を追求することの困難さというのは言うまでもありません。
 しかし、そんな時代にも平和への途がほんの少しでも残っているのならば。共存への意思を、ひとしずくでも見つけることができるのならば。それは、どれだけ過酷な状況にあっても覆せない、人間という存在に対する肯定の拠り所となるのでしょう。
 
『ヴィンランド・サガ』はそのような光を見つけることができるのか。目が離せない作品となっています。

次回:【中世③】『ブルターニュ花嫁異聞』~中世ヨーロッパにおけるイギリスとフランスのビミョウな関係~


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