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青春だったんだなと気付いた

青春って言葉はくさいけど

それは、誰かと交換日記で交わした秘密たちがあった事
それは、誰かと登下校中に歌を歌いあった事

それは、雨の中水風船で遊んだ事
それは、太陽が登って間もない時間にグラウンドでキャッチボールをした事
それは、帰りに二人乗りをした事

人間関係を構築する交換日記

当時、誰と交換日記してたの?という話になった
私は「親友になりたかった人たちと」と答えた
これが真理だと思う。

中学生の頃の思い出たち

交換日記は禁止されていたから小さいことかもしれないけど学校という社会や先生という不条理なルールに逆らっている感覚だった。

そして、秘密の共有の数や共通話題の数が絆を作ると信じていた。
今思い返してみてもそれが全てなのではないかと思う。
その人と親密になるためにはそうやって時間をかけて自分の考えや意見好きなもの嫌いなもの悩みや楽しかったこと全部書き綴っては意見を求めた。
共感を求めた。それが簡単にできていた。

今、そんなふうにして昔当たり前にしていたことができなくなっている気がしないか。
もちろん全員とするかと言われたら相手の意向もあるだろうし無理だと思う。また、私もそうやって関係を築きたい人が多いわけでもない。

でも、私たちは人間関係を構築する術はすでに持っていた。

何故だか自分の心が自分から離れているような感覚と
誰とも繋がれていない感覚がずっとある。

SNSのせいかな??さあ

登下校中に歌った歌たち

部活に勉強、恋愛
たくさん悩んでたくさんぶつかる時期

自己嫌悪を抱きながらも何故か自分に自信があったり
よくわからない自信のせいでうまくいかない歯痒さにイラつく日々

そんな生活とともにあったのが歌
ミクチャが流行ってたり
公開された話題の映画があったりドラマがあったり
もちろんその話も盛り上がるけど個人的に好きな時間だった

登下校中に雑談をしてさらに歌い始めるあの現象

名前つけたい・・・

本当は毎日一緒に登校する子との沈黙が嫌でとりあえず歌うか
という日もあった気がする

いつも音楽が私たちを繋いでくれたし、勇気付けてくれた
面白い。

ただ好きなようにお互いに知ってる曲を歌うだけ
それだけなのに今ではそれが難しい

音楽の多様化はもちろん、生きてきた地域も違えば感覚も違う
だからこそ共通の好きなアーティストがいれば盛り上がるのも当然

当時の淡い記憶に想いを馳せる。

同じ曲をいろんな思い出に乗せて歌ってたあの時がとても懐かしい。
誰かが歌い出す。誰かが音楽をかける。
地面に寝っ転がりながら、友人の家の前に座り込みながら、、

1時間に1本の電車を横目に見ながら次の電車が来たら帰ろうと笑い合う。

愛おしいと思える思い出があれば

思い出があればあるほど、自分を好きになれる気がする。
自分の道は間違ってなかったなって思える。

そんな大切な記憶たちって自分の中にどれくらいあるんだろう。

表現するのは難しい。でも本当に愛おしい時間だったんだなって
やっぱり思うんだよね。

7/31の今日

毎年地元では花火大会がある。
コロナの影響はいかに、、今年は開催されるんだろうか。

まつりひとつ、
誰といくか何を食べるかどこで花火を見てどんな話をするか。

かけがえのない思い出ってやつになるんだろう。

そう考えると祭りという文化は厄介でもあり、大切な文化だよね。

ちょっと深夜テンションでエモくなった
私の独り言メモでした。おやすみなさい。



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