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国際協力の形を模索していく。

あと1週間もすればカンボジアに来て1ヶ月が経つことになる。

楽しい、嬉しい、悔しい、不安、緊張、などなど
自分のいろんな感情に触れることができた。

面白さを感じる一方で同時に無力さを感じる。
今回は国際協力について書いてみようと思う。

興味を持ったわけ

自分でもちゃんと分析したことがないので言語化することにする。

日本国外との接点

地元の教育事情や環境からいうとまず外国人が少なく、肌の色や話す言語が違うだけで興味津々。
そんな中だったので自分も当然英語を話したいとも思わないし、話す機会もないし、話さなきゃいけない環境になかった。

ところが中学生になり英語の授業が始まってALTの先生がいたり、洋楽を聴くようになったり漠然と英語圏のカルチャーに興味が湧く。
もっと英語話してみたい。いろんな国人と関わりたいと思って地元の中でも国際系に力を入れている高校に進学。

英語は当然カタコトで自己紹介ができたり好きなものについて話せるくらいだった。授業は文法の授業の他には相当充実していてディベートや会話はもちろん英語を使って話す機会が多かった。
大学生の今より高校生の方がちゃんとやってたなってふと自分にがっかりするくらい。

留学生も高校に来ていて、入れ替わりの滞在だったけど記憶の限りだと
ドイツ、アルゼンチン、ロシア、台湾、中国、アメリカなどから来ていた。

自分の通っている高校は普通科ではあるが、大学進学する人、専門学校に進学する人、就職する人など振れ幅が凄かった。
そんな中で外国人と触れ合う機会があるのは大事なことだなとつくづく思う。抵抗感なく交流ができると思うからだ。

特にロシア人の女の子とは一緒に授業を受けたり遊びにいっていたりしたから仲が良かった。

こんな感じで留学生を通して実際に他の国の文化を学ぶ機会を得る。

国際協力分野を志すようになった理由

それは、ずばり、高校の先生のおかげ
青年海外協力隊での活動経験を授業でも休み時間でも話してくれた。

留学経験など海外へ行ったことのある先生が多く、
国際感覚の持っている先生がする授業はリアリティがあって面白かった。

ルールだからこうしなくてはいけない
日本だから とかではなく
多様性を認め、ある程度許容してくれていたと思う。

特に授業で貧困問題や環境問題などあらゆる社会課題を扱っていたことも要因だと感じる。社会課題に触れれば触れるほど解決策を考えては共有などしていたが私という個人単位でできることってなんなんだろう。
ってずっとモヤモヤしていた。

青年海外協力隊のように現地に行き、現地の人たちと一緒に活動していく経験をしてみたかったし、身近にロールモデルのような存在として先生がいたから関心はそこへと自然に向いていったのかもしれない。

ボランティアあるあるの実態

大学のサークル編

大学で国際ボランティア、あるいは国内ボランティアしてますよというサークルは多く存在する。

街中を掃除?募金?文房具の回収?商品の委託販売?
こんな感じだと思う。
違う、やりたいのはそうじゃない。

入サーの動機
社会貢献がしたいです。国際的なことに興味があります。ボランティアしたいです。

いいと思う。社会的に立派だと思う。でもなんか違う。

サークルでの活動を通して縦の繋がり、横の繋がりを持つことも大事
授業、バイト以外に打ち込めるものがあるのも大事

私には人脈を広げるためのツールとしてサークルという器があるようにしか思えなかった。当然熱量も違う。

これで1、2年ほど苦しんだ。

フィリピンスタディーツアー編

スタディーツアーに高校生の時参加した。
期間は2週間で現地スタッフと周った。

午前は英語の授業、午後は視察や交流という感じ。

初めて東南アジアに行った私は当時十分すぎるほど色々みて学んだ。
でも売られていた商品が良心に訴えかけるようなもので
”かわいそうな人たちが一生懸命作ったのもなのでその価値にお金を払ってください”みたいな感じ。大袈裟だけど

それがなんか許せないし、また買おうともならなかった。
お金のある人が社会貢献するしかないのか。
多額の寄付などでしか社会課題の解決に対して協力できないのか。
という感覚になった。

中略しているため、説明がとんだように思えるかもしれないが
要するに私は
国民や世界中の人もみんな、みんなで緩やかに支え合える仕組みができればいいなと思う。

かわいそうに対して大変ですねと金銭で引き換えするのではなく
これ素敵でしょに対して素敵だから欲しいとかそっちがいいなって

それを具現化している団体に私は今いる。ことがわかった。
もっと知っていきたい。

国際協力の形を模索していく。


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