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揺れるな、ゆれるな、心。
ふとしたことで感情がすぐに揺さぶられてしまう。
なぜ私にはこうも自由がないのか、と、
人との何気ない会話をきっかけに一度そう思ってしまうともう駄目だ。自由がない?ならば今のわたしはどうなのだ、自由だからこそこうして一人でいる。今日の仕事は終わった。まだ親のご飯の仕度をするには間がある。であるのに、一度胸を突いた悲しみは深く疼いて、わたしは涙ぐまんばかりになっている。

そんな時には、走る。これから授業、などという時にはそれはできないけれど、条件が許せば駅の構内や混み合った街でも、ひとの迷惑にならない程度にどこでも走る。心拍数が上がるほど走れればそれでいい。そこまでの距離や時間を稼げない時でも、走ると少し心は持ちなおす。

自由がないなどというのは、もっともっと切迫した状況にある人の言うことだ。私など、そんな気になっているだけだ。たいしたことはないはず。変えられる、みんな変えていける。

たった一人で生きることなんてできないのに、人との関わりに必要以上に反応してしまう。怒りも悲しみも、これまでの記憶や経験を総動員してわたしを揺さぶる。季節もきっと関係している。春や夏には強い日差しにとりまぎれ、身体の外を泳いでいたあれこれが、冬は胸の内側に入り込む。それがコツコツと胸を叩き、一つ一つ響いてくる。


ものの本によれば、目先の結果に気を奪われ、それをすべてのように受け取るから心は揺らぐのだという。あらゆる結果の背後には、ある一定の経過があり、さかのぼるべき原因がある。それを慮れと本は諭す。

胸を占める悲しみの、その原因は、どこにあるのか。通勤電車の窓にうかない顔の自分が映る。遠くの景色を眺めるみたいにそれに目をやっても、遠い真理は見えそうにない。日々をくるくると追われて過ごしている。呼吸は浅い。そんな人間には、こうして考えなくてはならないことがあるのは、ありがたいことなのかも知れない。思考のベクトルを、まだ知らぬ方角へと向けられるだろうか。

走って心拍数を上げて、少しだけ凪いだ心。きょうもそれをほどほどに持て余しながら、冬を生きる。思慮深くあれと、澄んだ空が言う。



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