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100_7月25日

ここに一枚の写真がある。
壁にかけられた大きな絵の前にふたりが立つ。父もわたしも、それが誰かわからないくらい若い。そして笑っている。
これはわたしの初めての個展の時の写真だ。画廊のマスターが撮ってくれたものだろうか。画廊支配人の浅川さんは、たしかその時はじめて父に会った。父が帰ったあとで

お父さんはまだ60前でしょう
ぼくは人の歳はわかるんだ

とわたしに言った。父にその話をすると、ずいぶんうれしそうだったのを思い出す。父はその時70歳。24年前の写真なのだ。
いま
この写真を見てようやくわたしは気がついた。
人生はさいしょから100なのだと。
ただそれとわからないだけで。
こんなに、いっぱいのしあわせで満たされているものなのだ。

2024年7月24日の朝
父は旅立った。

覚悟はしていなくてはいけなかったのだろうけれど、突然のことだった。それ、は、まだ先であろうと思っていた。

わたしは
日々はいつも99だと思っていた。いつも、幾つになっても、ほんとうに欲しいものは手に入れられない。人生というものはそうなのだと、悟ったような気でいた。
そうではなかった。
日々は、パーフェクトな円環だ。
ほんとうに欲しいものを手に入れられなかった痛みも空虚さも、わたしの一部だ。そのピースの大きさは絶えず変わり、見えたり隠れたりする。欠けたピースを見つめると、自分の輪郭がはっきりする。それがエネルギー。いっぱいのかなしみが胸を満たしても、幸せな、小さな思い出が支えてくれる。
ennuiもmelancholyも、ふだんの生活には無くていい。音楽や動画や、そんなものをつくるときにだけ、少し、思い出せば良い。
さいしょから100なのだから。

だいじょうぶ

そうなんだね、お父さん。


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