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男の顔

今朝は5時に起きて、とその人は語る。
アトリエ入りは6時、と別の人は言う。
やりたい努力を目一杯にやって、自分に厳しくおそらくはひとにもそうで、いかにも充実した日々が、しごとが、その人たちの顔にはあらわれている。
その人たちには家族はいないのかというと、そんなことはない。伴侶がいて子どもがいて、知らないけれど親御さんもいる。でもその人たちの一日には、家族の着替えを手伝って、食事を作り、食べさせて服を洗濯し、干して、などという事柄は登場しない。いや年に二、三度はそんなこともあるのかも知れない。類推で書いてはいけない。がしかし、どうもそういったことをやっているとは思えない。少なくとも、毎日それに時間をかけ、労力を注いではいない。

性差も性別も、世のいろどりの一つに過ぎないと思うけれど、わたしが違う性で生まれ生きてきたなら、と考える。また別の人生の背負い方をしたのではないか。家族に割く時間を、自らの立身のために使ったのではないか。

高名な昭和の日本画家の画集を開くと、ある一時期から絵が揺らぐことに気づく。緊張感がなくなり、言うなれば画面のハリがなくなる。そもそも作品の数自体が減る。その理由は、若いわたしにはわからなかった。見てとれる衰えを、格好のわるいものとしてみていた。いまは違う。日本画家の夫はかなり年嵩のやはり画家だった。ある時期から家事と介護に費やす時間が、描く時間に置き換わったのに違いない。時と体力気力はうばわれ、それでも家族のなかにあって心は穏やかであったものか、画面はあたたかい。しかし、緩い。

いまは恵まれている。介護保険がある。介護がビジネスになり、家庭内で収まりをつけるものではなくなった。ほんの少し前まで公的機関に相談しても、いやそういうことはお嫁さんが頑張ってくれないと、と言われた、と何かで読んだ。

ならば、

いま、わたしはないお金をはたいてあらゆる介護サービス、ビジネスを使い、6時にアトリエ入りできる暮らしを選ぶのはどうか。充分に寝て身体のメンテナンスをし、5時起きで好きなしごともそうでないものも一心にやって、人生を、それのみに注ぐ。あの顔を、手に入れる。


一昨日も、その前の晩も、父は夕食をほとんど食べなかった。連日の蒸し暑さで草臥れてしまったのか、いくらこちらがすすめても口を開かない。仕方なく食事なしでやすませる。部屋の電気を消して朝までの間、気がかりでならない。
でも昨晩は食べた。料理もお茶も、何も残さずお皿もカップも空になった。お膳を下げながら、食べただけなのになんでこんなにうれしいんだろうねえ、と母と笑いあう。今晩も、食べてくれるといい。ぱくぱく元気に、食べてくれますように。

昭和の日本画家は長寿でも知られた人だ。晩年お孫さんに介助されながら筆を持つ映像を見たことがある。長生きして、とりかえせましたか。描きたいだけ、描けましたか。

雨に濡れて桔梗が咲く。白桔梗も咲く。
負けるもんか。



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