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花のこと

桜なんてどうでもいいと思っていたのに、やはり今年もその満開の下に立てば、白い花びらも隙間の空も心いっぱいに沁みてくる。たわわに花房をつけた枝をしならせる姿に、こちらまでゆらゆらと心を揺らし、小さな枝先の蕾に、うれしさと切なさを見てしまう。幹は黒くごつごつとして、かろき花たちとみごとな対照を為す。
花はわたしのことなぞ、微塵も意に介さずに咲くのに、抱えるあれこれ去年今年を投影して、さくらを見ている自分がいる。


東京という街はそこここに染井吉野が植えられている。三月も終わりに近づくと、学校に公園に街路に、不定形の綿菓子が出現する。遠く見渡す窓からの眺めには、ふわふわとしたピンク色が加わり、退きで見る街もこの時季は柔らかくなる。


親元の向かいのお宅にも、立派な染井吉野が一本ある。大木と呼んでいい太さの木で、親の家に面した道路に大きく枝を広げ雄々しく立っている。おかげで殊更に名所に出向かずとも花を見逃すことはない。蕾の頃から葉の伸び始めるまで、日々の暮らしは桜の様子を織り込んで過ぎていく。

昨日からは風とともに花びらが舞い始めた。
アスファルトに敷石に屋根に、ほつほつと白い点描を広げていく。わたしは二階の窓から身を乗りだして、親の家の瓦屋根に落ちる花びらを飽かず眺める。昔ながらの瓦には藍墨色の濃淡があり、その艶消しの表面に、極淡い桜色の散る様は美しい。瓦は重く割れやすい。耐震やら手入れやらの問題はわかっていても、この桜とのとりあわせは何物にも代え難いと思う。だからこれで良いのだ、と、家のこともそのほかも、今を肯定して舞う花を追う。長かった冬も、ひとたびは完結した。
ことしの花。やがて道や庭が白くなるほどに散ると、木々の緑たちの賑やかな、次の季節へと移っていく。




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