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ヨガにおける「プルプル」との向き合い方

今回の記事では、「プルプル」について考えてみたい。

ヨガのアーサナ中、身体が小刻みにプルプルと震えたり、その震えが止まらなくてどうしようと思った経験が誰にでも一度はあると思う。
私もずっと長い間(今もなお?)このプルプル問題に向き合い続け、考え続けている一人である。
どうにかこうにかこのプルプルに対処したいと思うし、できれば震えないようにしたいのだけれど、震えはただ座っているだけでも起きるし、座ってさらに目を閉じたりなぞすれば身体のみならずまぶたの奥で眼球(目玉)なんかもプルプルと震え出し、落ち着こうと心の中で念じても自分の意思に反してその震えはなかなか止まってくれない。
特に、初めてのレッスンに参加するときや習ったことのない先生のレッスンに参加するときなどは、緊張も相まって隣にいる人に気付かれているのではと自分でも思うほどにプルプルしてしまっているかもしれない。止まれと思えば思うほど止まらなくなる。困ったものだ。

そんな震えてばかりいる私が長年の練習で導き出したプルプルを解消する良い方法があるのだが、あえて誤解を恐れずにお伝えするとその方法はこれに尽きる。

いさぎよく、あきらめる

「え!そんなこと?!」と拍子抜けしてしまうかもしれないけれど、自分にとってはこれがプルプル問題を解決する一番の方法だったので今回紹介したい。

以前、私はこのような記事を書いていた。

(中略)マットの上で、ただ静かにその日のベストなタダーサナを整える。前述の身体がグラグラ揺れたり、考えが浮かんだり、呼吸や気持ちの乱れが起きたとしても、それをただただボーッと眺めるだけでいい。 あらがう必要はない。これが今日の私なのだということを受け入れる。
そうすると不思議と心が落ち着いてきて、揺れがおさまるから。

タダーサナで気付く、ヨガの目的

この文に今回お伝えしたいことが集約されているのだが、震えたり自分を乱すようなことが起きている場合、ただその事実に気付き、そのときの自分をただ素直に受け入れてあげるのが一番なのである。
つまり、前述の「いさぎよくあきらめる」だ。
それは、決して自暴自棄になったり、さみしい気持ちで自分で自分にがっかりしたり、自分を卑下したりするネガティブなあきらめではない。やることをやってベストオブベストを尽くしたのであれば、それでいいじゃないかと自分を認めてあげるポジティブなあきらめである。

ベストオブベストを尽くし、いさぎよくポジティブなマインドであきらめるためにはコツが要る。
それは、身体の震えが発生しないようにアーサナに入る「」に筋肉や骨などの身体の部位を、自分にとって安心安全で快適な位置に配置し整えることである。これを「アライメント(alignment)を整える」などとお伝えすることもある。
アーサナは「型」であり「姿勢」である。型にとどまり、その姿勢でい続ける。
私のお伝えする古典ヨガでは、長ければ3分以上アーサナを保持することもある。通常のレッスンでは3分以上保持することはほとんどないが、できるだけ長い間型や姿勢を保持することができるよう、インストラクターの指示を注意深くよく聞き、自分で自分のアライメントを整えていく必要がある。
アライメントは、最小限の力でできるだけ長く型に居続けるためのテクニックであり、自分のベストオブベストを自分自身で整えるための大事なプロセスである。
ただし、私たちは誰一人として同じ身体を持っているということはない。指紋が唯一無二であるように、骨も筋肉も他に代わりがなく、この世にたったひとつしかない自分だけのものである。
インストラクターはアーサナの型や姿勢に入るための身体の各部位の配置や、ときには軽減法をお伝えするが、それは目安であり、皆が一様になることはない。
ひとまず、インストラクターのいう目安通りにアライメントを整えはするのだが、一番大切なのは自分にとって安心、安全、快適かどうかがポイントだ。
もしも、型・姿勢に入る前のこのアライメントを整える時点でプルプルとした震えや違和感、不安が浮かび上がってくるようだったら、何か変更を加える必要がある。
足裏の感覚、太ももやお腹などの筋肉の収縮具合、関節の最大可動域、肩や首に顔などに余分な力みや緊張がないか、そして呼吸の心地よさを改めて確認し、アライメントを整え直そう。
そう、急がず、慌てず、下から積み木をコツコツと積み重ねるように、丁寧にひとつひとつプロセスをたどり自分の型・姿勢のベース…つまりは土台を整えるのだ。プルプルの90%ぐらいは土台作り、つまりはアライメントで解消することができる。

土台ができたら、あとはただただその型・姿勢を保ち、味わうだけなのだが、もし、土台作りをきちんと行っても型や姿勢の中で震えが生じたり、震えが止まらなくなって心もグラグラと揺れ出したら、このヨガの教えを思い出してほしい。

PRAYATNA SAITHILYANANTA SAMAPATTIBHYAM.
(プラヤットナ シャイティルヤ アナンタ サマーパッティビャーン)
自然な性向である落ち着きのなさを滅じ、無限なるものに瞑想することによって、アーサナ(座位)は修得される。

『インテグラル・ヨーガ ~パタンジャリのヨーガ・スートラ~』第2章47節より
スワミ・サッチダーナンダ著/伊藤久子訳

私たち人間の身体は、いつもなにかしら揺れたり動いたりして落ち着きがないのが自然であるということは、意識をして自分の身体を観察するとよくわかる。試しに少しの間ジーっとしてみてほしい。何にも動いていない状態であるときなぞ3秒もないかもしれない。心臓はドクドクと脈を打つし、息は出入りを繰り返し、何かに触れたり、考えごとをし始めたり…etc.
それをヨガのアーサナでは、日常生活では決してとることのない姿勢をとって身体にわざとストレスをかけて緊張状態を作り、その中でいかに快適で安定してくつろげるかを重視する。そのためにアライメントを整えるのだ。
ヨガの先人たちは、リラックスしたいならその対局にある緊張状態をつくればいいのではとでも考えたのだろうか…。ヨガは、本や紙、ペン、インターネットなど何もない時代に編み出されたすごい手法だなと今でもつくづく感心する。

無限なるものに瞑想ということについては以前このような記事を書いていたので、参考にされたい。

無限なるものとは、自分が絶対敵わない、思わずひれ伏してしまうような存在や対象といってもいいかもしれない。そのような存在や対象に思いを馳せ、意識を巡らせてもなおプルプルするようならば、ここでようやくいさぎよくあきらめよう。いさぎよくあきらめると意外とプルプルがおさまったりすることもあるので、いさぎよくあきらめるというところまでを一連の流れに組み込んでおくと良い。
繰り返しになるが、いさぎよくあきらめることは、決して自分で自分にがっかりしたり、卑下したり、甘やかしたり、自分の不出来や優劣を意味することでも何でもない。
自分はこれでいいのだと認め、受け入れ、信じること、つまり自分が自分と仲良くすることだ。
プルプルする自分を否定することなかれ。プルプルする自分も可愛いね、そのぐらいの軽やかな気持ちでヨガのアーサナを楽しむ方が心身ともに健康に良いと思う。レッスンにご参加いただく皆さまには、この原理原則を知り、自分のためだけのヨガをしてほしいと切に願っている。

しかし、この記事で私は一体「自分」という文字を何文字書いただろう。
このように考えると、ヨガって自分自分自分ばかりで、もしかしたら自尊心(Self-esteem)を育むための尊い行いなのかもしれないな、などと考えたということをお伝えして、この記事を締めくくりたい。

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