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アーサナ中、何してる?

アーサナ(ポーズ)をとっているとき、自分以外の何か・誰かを考えてしまう…

そんなことはありませんか?

クラスをリードする先生、
周囲で自分と一緒にアーサナをとる生徒、
鏡に映る自分の姿、
過去の出来事や誰かの言動、
遠い未来のこと…etc.

レッスンが今まさに目の前で行われていて、先生のガイド通り身体を動かしアーサナに取り組む自分がいるのにもかかわらず、心が自分の身体から抜け出て自分の周りにあるコト・モノ・ヒト、遠い過去や未来に行ってしまう…実はヨガを始めて1~2年の頃の私がそうでした(涙)。
時としてそれは見返りやフィードバックを期待する心、競争心、虚栄心、羞恥心、罪悪感、自己嫌悪などなど、サットヴァ(純質、ピュアの意)ではない感情を伴いました。
今となってはなぜそんなことに気持ちが向いていたのかさっぱり思い出せないし思い出したくもないけれど、アーサナをとっても心も身体もいつも忙しく快適ではなかったし、ヨガを運動として捉えていたし、とにかく私はヨガを誤解していたのだと思います。

アーサナ中、もし心が過去や未来に行ってしまったり、何か感情が沸き起こってきたときは、是非大きくて無限に広がるようなものに心を繋げてみてください。

大きくて無限に広がるもの―――

それはなんでも構いません。

アーサナ中の身体の伸びや広がり、
自分の皮膚の周りを取り巻く空気、
自分を取り囲む無限に広がる空間、
雄大に広がる海や空…etc.

できれば、自分の身を安心して任せゆだねられるものがいいと思います。うつろいやすい心がソワソワとさまよってしまわないよう、心を何かひとつに繋げてみます。
そして、アーサナという「型」の中で必要最小限の力で身体を留めて、ゆったりとしたリズミカルな呼吸をして、意図的にリラックスするように努めます。
無限に広がる存在に心を繋ぎ、思いを向け続けてアーサナを行うことによって、少しずつ、でも確実に「自分」との繋がりや一体感が生まれ、何にもとらわれずに心も身体も快適にリラックスすることができるようになるかもしれません。

身体と心を大きく無限に広がるものを通じて意識的に繋ぎ、ほかの何にもとらわれていないリラックスしている状態――そう、アーサナ中は身体も呼吸も感覚も意識もすべてを自分のみに向けて集中し、できるだけくつろいでいる状態でいられる努力をしようとするのです。
(しかし、なかなかこれができない。だから私たちは何度も練習するのです。)

"PRAYATNA SAITHILYANANTA SAMAPATTIBHYAM."
プラヤットナ シャイティルヤ アナンティヤ サマーパッティビャーン


自然な性向である落ち着きのなさを滅じ、無限なるものに瞑想することによって、アーサナは修得される。

『ヨーガ・スートラ』第2章47節

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