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センス・オブ・ディスタンス

青赤短編REMASTERD Vol.4

2012年5月30日
AFCアジアチャンピオンズリーグ
広州天河体育中心

広州恒大 1-0 FC東京
https://www.fctokyo.co.jp/game/2014032309

短編小説/13287文字



「俺、明日出発するわ」

 ゲストハウスの屋上でガンジス川を見下ろしながら、僕は辿々しい英語で言った。

 太陽の最後の残りがちょうど消えた直後のことだった。赤い太陽の世界から青白い月の世界へ。月がやたらと大きく見えて、地上からの距離が妙に近く感じられる。月の光は薄い雲にディフューズされて、辺りを乳白色に照らしていた。

 その光のおかげで、おおよそ秩序などというものとは無縁な、混沌としたバラナシの街が不思議と平等に見える。
水面から吹き上がった風が、排気ガスと白檀チャンダン、この世のありとあらゆるものの腐臭の混じったような蠱惑的な甘い匂いを運んで来る。

 五階建てのゲストハウスの屋上には安っぽいプラスチックの白いテーブルと椅子が並び、ツーリスト向けのテラスレストランになっている。

 目の前に座った痩せ気味の青年が、スマホをいじる手を止めずに僕より少しマシな英語で言った。

「そうか。どこ行くの?」

 茶髪の青年はどう見ても僕と同じモンゴロイドだったが、会話は英語だ。僕も特にそいつの方は向かずに空になったペプシの瓶をいじりながら答える。

「とりあえずコルカタ」
「チケットは?」
「さっき買った。ムガルサラーイで。明日の夜行列車で行く」

 そう答えると、そいつはスマホをいじる作業を止め、初めて僕の方を向いてこう言った。

「ヘイ、ヒロキ。駅に行くなら連れてってくれればよかったのに」


 こいつの名前はチャ・ジョンム……いや、チェ・ジョンムだったか?とにかくジョンム。ソウルの大学を休学して旅をしている学生で、年は僕の一個上だ。まあ、東京かソウルかって違いがあるだけで、つまりはほとんど僕と同じ境遇というわけだ。

 ジョンムと僕はネパール中央部にある湖の街、ポカラで出会った。ぺワ湖の湖畔にあるダルバード屋で隣の席に座り、モモが食いきれないから食わないか?と話しかけて来た。その時仲良くなってから、なんとなく目指すルートが同じだった、という理由でここまで一緒に旅していた。まあ、旅行中によくある出会いから生まれる、即席の道連れだ。

 ただし、それにしては結構な距離を一緒に旅してはいた。ポカラからカトマンドゥへ、陸路、スノウリ経由でバラナシへ。僕としては、この旅程で始めてになる陸路での国境越えに少しビビっていたせいもあった。いや、正解にはこの旅のメインである、インドに少しビビッていた。なんせ、「人生観を変えてしまう」インドだ。

 僕もジョンムもインドは初めてだった。お互いに道連れがいた方が心強かったのかも知れない。

 カトマンドゥのゲストハウスでお互いにインドビザの有無を気にしていたのには笑えた。こっちでインドビザ取得の手続きをすることが面倒くさいのを僕もジョンムも知っていたのだ。

「僕がビザ持ってなかったら一緒に行かなかっただろ?」

 僕がそう聞くと、「もちろん。お前もだろ?」とジョンムが答えた。
「当たり前じゃん」と返し、二人で馬鹿笑いした。これくらい打算的な方が道連れとしては心強い。無事に国境を越え、インドに入ってからも何となく一緒にいて、そのままこの旅最大の目的地、聖なるものも俗なるものが混じりあう街、バラナシに辿り着いてしまったのだった。

「だって、お前昼間寝てたじゃん」
 そう答えると、ジョンムは大袈裟に顔をしかめて言った。

「誘ってくれたら行ったのに。おかげで今日一日ここの半径100メートルから出てないぞ」
「僕のせいかよ!」そう言って僕が笑うと、「イエス!ヒロキせいだ」と答えてジョンムも笑った。

 冗談めかしてはいるが、ジョンムが駅に誘って欲しかったという思いはたぶん本音だと思う。

 バラナシの中心部から長距離列車の発着駅、ムガルサラーイ駅までは多少距離があることは事実だ。だが、ジョンムはソウルからここまで、途中から僕という道連れはあれ、一人で来たのだ。オートリクシャーで2~30分の距離がどうというわけはない。

 それでも、それが出来ない理由。それはまさに僕がこの街を出る理由とまったく同じだった。

 この街に来てから三週間が経った。

 どちらかと言うとのんびりしたネパールから、喧騒のインドへ。毎日が刺激的、なんて陳腐な表現は使いたくないけど、そうとしか言いようがない。僕は空気を吸うようにリクシャーの運転手 リクシャーワーラーとやり合い、乞食を追い払い、ありとあらゆるものを値切る。かなり大袈裟に言うならばインドでの生活は闘いの日々だ。

 そして、ありあまるほどの自由。

 しなければいけないことがない、ということは、その日にすることを決めなくてはならない、ということだ。どこにでも行けて何でもできる自由は、行く先と行動を考え続けなくてはならない不自由とも言える。そして、どこにでも行ける自由は同時にどこにも行かない自由でもあるのだ。

 そんな日々はだんだんと、体を蝕んで行く。毎日騙され、騙されまいとすることが嫌いになったわけじゃない。様々な国の貧乏旅行者バックパッカーと母国語じゃない言葉で話すことが面倒になるわけじゃない。大部屋ドミトリーで知らない連中と枕を並べ、大麻樹脂ハシシの匂いにまみれて眠るのが嫌になったわけじゃない。

 相変わらず毎日は刺激的で楽しく、だがしかし、何となくそれに疲れていくのだ。この「何となく疲れる」ことこそが貧乏旅行者にとって一番危険な兆候だ。

 そしてこれは恐らく、すべての貧乏旅行者がかかる病気だ。

 僕らはだんだんと自由に侵食されて行く。駅まで20分の道のりを選択しない自由に。ほんの少しの距離が果てしない距離に思えて来るのだ。

 この「疲れた」状態をなんとかするたった一つの対処法は、「移動すること」以外にない。

 「疲れたら休む」のが一番まずい選択で、「移動」の対義語になる言葉はもちろん「沈没」だ。個人差はあるものの、三週間という日数は危険な数字だと言っていい。

 そもそも二週間目にはそろそろ次の場所に行こうかと思っていたのだ。しかしなんとなくグズグズと明日、明日と先延ばしにするうちに1週間が過ぎてしまった。

 僕が今日、この街を脱出するチケットを手に入れるに至ったのは、ほとんど偶然とも言えた。

 昼に一人でぶらぶらと街に出かけ、いつもの食堂でやたらと辛いマトンカレーを食べていた時だった。偶然、通りの向かいで客待ちをしていたオートリクシャーが目に入った。黄色と黒に塗り分けられた三輪タクシーはそこいら中にいくらでも走っていて、特に珍しいものでもない。

 僕が気になったのは運転席に座ってじっと通りを睨む運転手だった。ビーサン、短パン姿のその男は、40代ぐらいだろうか。髭面で痩せた顔が、ふと知り合いに似ている気がしたのだ。

 しかし、それが誰なのかが思い出せなかった。

 マトンカレーを食べ終え、料金を払い終えてもまったく思い出せない。僕はそういう状態が許せない性分な上に、なんせ暇なのだ。

 食堂の隣にあった屋台で1ルピーのチャイを買い、道端に座って男を見つめ、必死で思い出そうとする。素焼きの茶碗に入ったその店のチャイはイマイチだった。生姜がキツすぎる。
 
 ふと、見つめ続ける僕の視線に気づいたのか、運転手が僕の方を向いた。目があった瞬間、電撃が走るように思い出した。中学の社会科教師だった勝浦先生に似ていたのだ。男との距離が一気に近く感じられる。

  僕は思わず、男に向かって手を振ってしまった。当然、呼ばれたと思った運転手がエンジンをかける。通りを無理やりUターンし、目の前にオートリクシャーが停まった。しまったと思ったが、もう遅かった。

「どこに行く?」

 勝浦先生が言う。行き先など考えてもいなかった僕は狼狽えてしまった。

 咄嗟に「あーえーと…駅。ムガルサラーイ駅」という言葉が口をつく。駅に行くつもりなど全然なかったのだけど、言ってしまったのだから仕方がない。

「いくら?」と聞くと勝浦先生は「500ルピーだ」と答え、あとはいつものやりとりだった。オートリクシャーは軽快なエンジン音をたててアイドリングしていて、その音が僕を誘っているように思えた。

 こういう偶然に“乗っかる“ことは旅の醍醐味だ。

 結局230で話をまとめ、僕は駅に向かい、時刻表を買うと、100メートルはあろうかというチケット売り場の長蛇の列に並んだ。

 バラナシから少しだけ離れたムガルサラーイ駅は長距離列車の発着駅で、あり得ないほどの人でごった返していた。ツーリストはここでバラナシに降り立ち、インド全土へ旅立つ。

 この時点ではどこに行くかをはっきり決めていたわけじゃなかったけど、時刻表の地図を見て目的地をコルカタに決定する。

 海に近づきたかったからだ。

 コルカタ。カルカッタ?まあどっちでもいい。海のない国、ネパールからバラナシまで、ずっと内陸を旅していたからだ。

 僕は時刻表を見ながら条件に合う列車を探す。あった。これだ。コルカ・メイル。明日の夜11時32分発、コルカタ、ハウラー駅行き。

 ゾクゾクする瞬間だった。

 一気に世界が回り出した気がした。なにか一つのことが決まるだけで、停滞していたすべての物事が動き出し、視界が一気に晴れる。離れていた距離感が一気に縮まるような感覚。

 僕はテンション高くゲストハウスに帰り、明日の出発をジョンムに告げたのだった。とくに寂しいということはなかった。たぶんジョンムも同じような感情だろう。この感覚は独特だ。日本から一緒に旅に出たのなら、一人でコルカタ行きを決めてくるなどあり得ないだろう。だが、現地で出会った旅連れはそれぞれ一人が基本なのだ。行きたい場所に行く。それが同じ方向だから一緒に行く、というだけのことだ。

 まあ、旅連れの目的地の影響で、自分の行き先が変わることもままあるのだけど。その点、ジョンムはかなり主体性のない部類に入るかも知れないが、それでも僕に出会ったという偶然に“乗っかって”いるだけだ。僕が勝浦先生に“乗っかった”ように。反対に、この距離感が分からない人間とは一緒に旅など出来ないと思う。

 僕は知らないが、旅のスタイルは一昔前と劇的に違っているはずだ。かつてのようにインターネットカフェを探す必要はほとんどない。2012年のツーリストにとって、スマートフォンは標準装備なのだ。

 どこかの街で会ったアメリカ人のオッサンが自嘲気味に言っていたのを思い出す。

「iPhoneが世界をつまらなくしたんだ」

 それはたぶんその通りだ。どこに行こうとgoogleマップから逃れる術はなかったし、知り合った全員とFacebookで友達になっている。

 僕はカトマンドゥで会ったカナダ人が今はバンガロールにいることも、ルンビニで会ったフランス人夫婦がもう帰国したことも知っている。

 まったく始めての街でも(街、という体裁になっている場所であればだが)道に迷うことなどないし、オススメのゲストハウスやレストランだってすぐ見つかる。日本の情報に飢えることなどない。

 誰とでもSkypeですぐに話せるし、Twitterで足跡を控えめに残すこともできる。どこの街で会おうとか、飯食わない?とかいった連絡はあらゆる手段でやってくる。あのツアーは信用できない、とかあの修行僧サドゥーはニセモノだ、とかあの売人は信用できる、とかいった情報はあらゆる手段で飛び交っている。どこかに辿り着いた時、まず探すのは充電できる場所だ。

 それを便利、と呼ぶかどうかは人によるのだろう。そのアメリカ人のオッサンはモバイルを持たないことはポリシーだ、と言っていた。

「広い世界をわざわざ狭くする必要はない」と。そういう傾向は年齢の高い旅人に多かった。

 でも、僕の意見はそうじゃない。今は2012年であって、2002年じゃない。僕は若者らしくスマホを活用しながら軽やかに旅をする。あるものを活用しないなんてバカバカしいじゃないか。

 しかし一方で、こうも言える。スマホは世界を便利にしたが、同時に世界を西永福にした、と。

 情報面では、世界中どこにいても、西永福にある僕のアパートにいるのと同じだ。目の前でスマホをいじるジョンムにとってはソウルと大差ないのだろう。さもなくば、実家のあるプサンだかウルサンだかと。

「もしも、どこでもドアが本当にあったら?」

 その答えは「世界が狭くなってクソつまらなくなる」だ。ジョンムが感慨深げに言った。

「僕もそろそろ移動しようとは思っていたんだ」

 僕は聞き返す。ホントか?と訝しがりながら。

「どこへ行くの?」
「うーん。アジャンタとエローラにでも行こうかな」

 アジャンタとエローラは石窟群で有名な場所だ。バラナシから遥かに西。コルカタとは真逆の方角にある。

「西かあ」
「ヒロキが東に行くからさ」
「その先は?」
「そんなの決めてないよ。南かな。ムンバイとかゴアとか」
「お、じゃあ僕もコルカタから南下しようかな」
「よし、それならカニャークマリで会おう」
「いいね」と僕は笑った。

 カニャークマリは逆円錐型をしたインドの、下側の頂点に位置する、インド最南端の街で、聖地とされている。この国を旅する旅行者なら、必ず一度は行ってみようか考える場所でもある。一度、どこかの食堂で、隣の席の男に聞いたことがある。「カニャークマリってなんで聖地なの?」と。

 そいつは悟りを開いた聖人のような顔をして、こう言った。

インドはそこで終わる。当たり前だインディア エンズ ゼヤル オフコルス

「R」を「ル」と発音する、インド独特のイントネーションだ。チーズバーガーはチーズバルガルになる。僕は、この言葉に痺れてしまった。一番遠い場所が聖地、という考え方に。その男は恐らく聖人などではなく、その食堂の一番働かない店員だったけど。

 ぼくとジョンムがカニャークマリまで行くかは、神のみぞ知る。案外、こんな軽口に行動を左右されたりするのが、旅の面白さだ。ジョンムとの旅はここで終わるけど、それぞれの旅はつづく。


 ジョンムの背後に、テラスへと上がってくる二人の人影が見えた。

「ヘイ!ジェレミー!」

 僕が声をかけると、金髪をドレッドに結った大柄な白人と、身長がその肩程しかない、去年解散したサイクルロードレースチーム、HTCハイロードのキャップをかぶったメガネの東洋人がこっちに向かって来る。

「ヘイ!ヒロキとジョンムじゃないか。まだここに居たのかよ」

 白人の名前はジェレミー。ドレッドに髭面の23才のオーストラリア人だ。麻のパンタロンにタイ・ダイのタンクトップ。オールドスタイルのヒッピーに憧れるジェレミーは、高校卒業後すぐに旅に出て以来、もう5年も旅を続けている筋金入りのバックパッカーだ。

 何回か帰国したとは言っていたが、それも連続滞在期間が長すぎる、とかビザを取るとか実務的な理由らしい。行った国の言葉でタトゥーを入れることをモットーにしていて、当然のことながら、彼の体はタトゥーだらけだ。左手の二の腕には漢字で「好奇心」の文字が彫られている。

「よう!また会ったな。元気かよ?」

 妙に甲高い声で隣の東洋人の方が言う。メガネの下でよく動く小さな目。グーニーズに出て来た東洋人の少年、データにそっくりだった。

 彼は一つのパラドックスを抱えていた。データにそっくりなのにも関わらず、名前がマイキーだったのだ。しかも、マイキー・ホイの経歴はそれ以上に複雑だった。

 香港産まれのロサンゼルス育ち、ロンドンの大学を出て、その後日本の名古屋を含む数ヵ国かで暮らしたあと、中国の企業に落ち着いた。

 いや、落ち着いた、と言うのはおかしいかも知れない。今はこうしてインドを放浪しているわけだから。その経緯に関しては割愛する。一度話してはくれたのだが、話が複雑すぎて僕の英語力では理解不能だった。マイキーは恐らくジェレミーよりも流暢に英語を操る。

 一応、中国人ということになるのだろうか?と聞くと、マイキーは興味なさそうに「家は広州にあるから中国人。たぶんね」と甲高い声で答えた。

 彼らとは、この宿で二週間ほど前に知り会った。誰かが抜けたり誰か別の奴が加わったりすることもあったけど、なんとなく四人で一緒に食事したり遊んだりする仲だった。有名なラッシー屋でマハラジャ・ストロングに挑戦したのもこの面子でだったし、宿から一番近い沐浴場ガート、ダシャシュワメート・ガートでガンジス河の沐浴も一緒に行った。

 1週間ほど一緒に過ごした後、二人はサールナートに行く、と言って出て行ったのだった。それが四日前のことだ。

「まだ一緒にいるなんて、お前らやっぱりゲイなんじゃないのか?」ジェレミーがニヤニヤしながら言う。

「お前らこそ!」僕とジョンムがほぼ同時にツッコみ、マイキーが笑った。実は半ば本気でジェレミーとマイキーの方こそデキているんじゃないかと睨んでいたのだが、今の反応を見ると違うのかも知れないと思った。

「サールナートはどうだった?」

 サールナートはバラナシから10km程離れた街で、仏陀が悟りを開いた後、最初に説法をした場所だ。仏教の聖地とされている。ジョンムがそう聞くと、ジェレミーが答えた。

「まあまあかな。でかい、アレがあって。あの、なんて言ったっけ?」

 横からマイキーが口を挟む。「仏塔ストゥーパ

「そう。そのストゥーパがあってさ。あ、そうそう。お前らサールナート行ったら得するぜ?」そうジェレミーが言い、マイキーが笑いながら言葉を受けた。

「聞いてくれよ。サールナートにはさ、色んな国の寺があるんだよ。中国寺とか日本寺とかさ。韓国寺も」

 仏教の聖地であるサールナートには各国の宗派の支店、と言うか分寺が沢山ある、という話は僕も知っていた。

「でさ、どこの寺も自分の国の旅行者を泊めてくれるんだよ。朝夕の読経に参加するって条件付きでさ」

 ジェレミーが不満そうにマイキーの方を向いた。

 「でさ、僕は中国寺に泊まろうかなって言ったわけ。そしたらジェレミーがオーストラリア寺はないのかって言い出してさ」僕もジョンムも思いっきり笑った。笑いながらジョンムが突っ込む。

「あるわけないじゃん!オーストラリア寺なんてさ」

 ジェレミーはあくまで不満そうだった。

「不公平じゃないかよ!なんで僕の国だけ寺が無いんだよ!」

 僕も笑いながら言った。

「オーストラリアで仏教ってそんなにメジャーだったっけ?」

 ジェレミーがマイキーを親指で差して言う。

「そんなこと言ったら中国なんて共産国だろ!」そう言われたマイキーは、ニヤニヤしながら「そんなもの建前に決まってるだろ!」と言い返す。

 僕たちは四人で笑いあったが、話がちょっとデリケートな話題になっている、と思っていたのは僕だけじゃなかったはずだ。

 旅に出れば、別の価値観に出会う。それぞれ文化も背景も違った国から文化も背景も違った国に来ているのだ。僕らには自然に身につけなければならない距離感がある。

 安易に政治や歴史、宗教に踏み込まないことだ。それは旅する国に対してだけではなく、ツーリスト同士でも同様なのだと思う。この会話は冗談の範疇だが、それを冗談だと決めているのはこの四人の暗黙の距離感だった。

 ジョンムが真顔で言った。 

「僕も行ってみようかな。サールナート」

 さっき、アジャンタとエローラに行くって言ったじゃん、とは思ったが、何に”乗っかる”かはジョンムの自由だ。ジェレミーが答える。

「行って来れば?ヒロキとは別な宿になっちゃうけどな」
「いや、ヒロキとはどっちみち別れるんだよ。こいつ、明日の夜コルカタに行くんだってさ」ジョンムが僕の方を指差しながら言った。

「そうか。じゃあカップル解消じゃん」マイキーが僕に言う。

「うん。こいつの寝相があまりにもひどいからさ」そう僕が言い、みんなで笑った。一応言っておくと、ジョンムと僕は別のベッドで寝ている。

「そうか。じゃ、とりあえずまたお別れだな」軽い調子でジェレミーが言った。彼は旅が長い分、別れの数も僕らより一桁多く体験している。

「よし、じゃあ今夜はヒロキのお別れだ。飯食いに行こうぜ。」マイキーが言った。これもいつものパターンだ。最後に食事に行って、お別れ。それもアルコールの手に入りにくいインドではノンアルコールなことが多い。

「ここで食べる?」ジョンムが暇そうに佇むインド人店員の方を指差して言った。僕はあわてて主張する。

「いや、ゴードウリヤーまで出ようぜ。バラナシの夜も最後だし。」

 ゴードウリヤーはバラナシの中心に位置する交差点だ。僕は最後にそこに行っておきたかった。


 僕らは連れだって階段を降り、外へ出た。屋上で風にのって漂って来た、あの蠱惑的な甘い匂いが1000倍に濃縮されて僕らを包む。四六時中陽の当たらない路地の、ぬるっとした感触がビーサン越しに伝わって来る。

 僕ら4人は、暗い白熱灯に照らされたいつもの道を、ガンジス川に向かって歩いた。暗がりに佇む男たちの視線をスルーしながら、入りくんだ路地を歩く。角を曲がると、唐突に視界が開け、目の前に青白いガンジス川が広がっている。僕はふと歩みを止めて、川の向こう側を見つめた。濁った川の水が、足元のコンクリートをぴちゃぴちゃと濡らしていた。

 月は相変わらず頭上にある。霞の向こう側に対岸の白い砂が見える。対岸までの距離はどれくらいなのだろう。知っているはずが、今夜はひどく曖昧に見える。

 僕らの居るガンジス河のこちら側はこの地球上でもトップクラスに雑多な場所だが、向こう岸にはほぼなにも無い。対岸は不浄の地とされているのだ。

 聖地バラナシの聖なる側は俗なるもので混沌の極みを呈し、不浄とされる側は月の光で神聖に見えている。僕自身はカーストにも入れない外国人で、俗なるものの代表みたいなものだ。その僕がそれを見ている、ということが本当に不思議だった。

 日本にいた時は、辿り着けるとは思えない、遥かな場所に僕は立っている。感傷的になっているわけではない。むしろその逆だった。

 西永福から明大前経由で新宿へ。

 新宿からエアポートバスで成田へ。

 成田から香港へ。

 香港からバンコクへ。

 バンコクからパタヤを回り、プノンペンへ。

 アンコール・ワット経由でもう一回バンコクに飛び、カトマンドゥ、パタン、ポカラ、ルンビニ、そしてインドへ。

 近道も、遠回りもたくさんあったけど、来てしまえば別に大した距離じゃなかったと思える。そして、一回来ることが出来れば、何度だって来ることはできる。距離感がわかるからだ。

「ヘイ、ヒロキ!なにやってんだ?泣いてんのか?」ジェレミーの声でふと我に帰る。前方に不浄なる三人が僕を見つめて笑っていた。「泣いてねえ!」僕は小走りに、三人に追いつく。

 僕とマイキーとジョンムはチキン・ビリヤーニを、ジェレミーはダルカレーを食べた。ジェレミーは意外にもベジタリアンなのだ。

 支払いを済ませてからもなんとなくテーブルに留まり続けていたが、店員の目が気になって来る。いつもの流れなら、この後はチャイ屋に寄って宿に帰るだけだ。アルコールを摂取しない以上、そんなものなのだが、今夜はちょっと寂しい気がした。それを察したのか、マイキーが妙なことを言い出す。

「ヒロキ、今日で最後ならチャイはお前が奢れよ」

 僕は口を尖らせて反論する。「なんでだよ!普通逆じゃないか?お前こそ奢れよ」

 それを聞いたマイキーはニヤリと笑って言った。

「じゃあさ、何かゲームをやって決めようぜ、誰がチャイを奢るか」

 これは完全にマイキーの計らいと言って良かった。道端で売っているチャイなど、一杯1ルピーに過ぎないからだ。それに気づいたジョンムが乗っかる。

「いいよ。何で決める?」そう聞かれてマイキーが素の表情になった。

「いや、そこまでは考えてない。あー、コインか何かで決めるか?」
「それじゃつまんないな」ジョンムが言ったところでジェレミーが口を挟んだ。

「この前みたいにクリケットで勝負するか?」
ジェレミーがそう口にした瞬間、僕ら三人は同時に即答した。
「いやだ」
「ない」
「無理」

 ジェレミーが悲しそうな顔をしたが、これは仕方ない。彼には一度前科があった。一度、インド人の子供たちの草クリケットに四人で参加したことがあった。草、と言ってもコンクリートの路上で行われる、本当に簡素なものだったが、オーストラリア人のジェレミーはノリノリだった。

 コーラを賭けよう、というところまではスムーズに決まった。野球に毛が生えたようなものだと思ったからだ。

 ただ、ルールが複雑過ぎてわからない。ジェレミーから何度説明を受けてもまったく理解出来ない。僕の英語力に問題があるのかと思ったけど、ジョンムとマイキーも同じだった。

 ジェレミーは、マイキーに対しては元イギリス連邦なのになぜ分からない?と不満そうだった。説明に面倒くさくなったのか、ジェレミーは最終的に、とにかくこのバットで来たボールを打て、とだけ言い放ち、僕は三本の棒の前に立たされた。

 三本の棒が何を意味するかもわからず、予想とは違うバウンドした球を一回空振りすると、アウトを宣告された。あと二回チャンスがあるんじゃないのか?

 結果はもちろん僕ら三人の惨敗だったが、正直何をもって負けとされたのかもよくわからない。僕にしてみれば、なぜ自分がアウトになったかさえよくわからないままだった。

 ただジェレミーとインド人の子供たちだけが楽しそうだった。

 しかし約束どおりコーラだけは奢らされ、僕らは大いに不満だった。一人一本づつではなく、三人で一本に負けさせはしたけど。

「フットボールはどうだ?」ジョンムが提案した。

「フットボールとはサッカーのことか?」そうジェレミーが聞くと、軽蔑したようにマイキーが「当たり前だろ」と言い、言葉を続ける。

「オーストラリアン・ルールでやるわけないだろ」

 僕としてもジェレミーが質問してくれて助かった。
アメリカン・フットボールのルールも、クリケットと同じぐらい知らなかったからだ。サッカーなら小学校六年生までやっていた。

「よし、じゃあ、サッカー、いやフットボール、まあどっちでもいい。それで勝負だ」そう言い放つと、僕らは店を出て、夜の街に出た。

 もちろん僕らはサッカーボールなど持っていない。ジェレミーはコンドームでサッカーボールを作れる、と豪語したが、時間がかかりそうなので却下した。結局ゴムボールを商店で見つけた。

「ずいぶん軽いけど、まあギリギリ大丈夫」マイキーが手で固さを確かめながら言った。まあ全員サンダルなのだからちょうどいい。

 スタジアムは、路地を入ったところにある空き地、というか建物の跡地だった。なぜか一本ポツンと街灯が立っていて、明るかったからだ。

 ルールは簡単だった。勝負は一対一。先行、後攻を決め、攻撃側は相手を抜いて背後にある缶の間のゴールに通せば勝ち。止めるかクリアすれば守備側の勝ち。攻撃と守備を順番に繰り返し、勝負がつくまで繰り返す。ロングシュート、ボディコンタクト、タックルは禁止。勝った奴同士で決勝戦を行い、優勝者を決め、全員からチャイを奢ってもらう。

「一人で三杯も飲みたくない」とジョンムが主張したが、「そんなことは勝ってから言え」と却下された。

 案の定、ジョンムは一回戦で僕にあっさりと負けた。僕のディフェンスをターンで抜いたものの、シュートに失敗して1メートルほど開いた缶の間を通せなかったからだ。守備にまわると、切り返しに足を滑らせ、僕は無人のゴールに決めるだけだった。軽いボールをビーサンで操るのは至難の業だったが、その条件は僕だって同じだ。ジョンムの敗因はメンタルにある、と僕は思った。

 ジェレミーとマイキーの対決はちょっと見物だった。190センチ近いジェレミーと、160センチそこそこのマイキーはどう見てもミスマッチだった。

 しかし結果はマイキーの圧勝だった。後攻のマイキーは体格で勝るジェレミーが体重移動した瞬間を見極めてあっさりボールを奪う。

 攻撃では鮮やかなターンでジェレミーを抜き去ると、シュートせずくるりと振り返り、器用にリフティングをして見せた。突っ込んで来るジェレミーを嘲笑うかのように、いや、完全に嘲笑いながらヒールでゴールを決めて見せた。ジェレミーが悔しそうに言った。

「お前、どこかでやってただろ!」

マイキーは飄々とした口調で言った。
「ロンドン時代に、ちょっとね。」

ジェレミーが毒づく。
「プレミア・リーガーに勝てるわけがねえよ!」

涼しげにマイキーが応じる。
「プレミアまでは行けなかったよ。その三つ下のカテゴリー止まりだった。もうちょっと身長があればね」

 とにかく、僕の対戦相手が決定した。

「ヘイ、ヒロキ。チャイは貰ったからな」
 マイキーがニヤリと笑って言った。

「まだわからないぜ」僕も強がって答えたが、足技を見せられて、まったく自信はなかった。

 ジェレミーとジョンムが10メートルほど向こうのコンクリートの塊に座ってこっちを見ている。どうやらあっちはあっちで賭けを成立させているようだった。

「ヒロキ、頑張ってくれ!僕のチャイも賭かってるんだ。」
 ジョンムは僕に賭けてくれているらしい。なぜだ。

「マイキー、普通にやれば勝てるぜ。万が一負けたら、チャイを二杯奢る羽目になるんだ。」オッズの2:1は、正直正当とは思えない。
「三杯は飲めないからさ。」
ジョンムが笑った。

 まあ、やってみるさ。

 勝負はやってみないとわからないじゃないか。僕とマイキーが対峙して立つ。その距離は約8メートルというところだろうか。

 ふと、距離ってなんだろう、と僕は考える。

 旅に出ると、毎日、距離のことを考えざるを得なくなる。

 あの宿までは歩いて10分。
 あそこの寺院までリクシャーで200ルピー。
 距離を表わす単位はキロメートルやマイルだけじゃない。
 遠いか近いかなど、結局主観的なものだ。

 足で歩いて、リクシャーやタクシーに乗って、バスや鉄道や飛行機に乗って。僕らはiPhoneのおかげで軽々と旅をする。いつかのアメリカ人のオッサンの言葉を借りるなら、僕らは「狭い世界」を旅しているのかも知れない。
でも、「狭い」と「近い」はイコールではないのだ。

 東京からインドを想像していた時の距離。

 宿のベッドから、ムガルサラーイ駅までの距離。

 バラナシから、まだ見ぬコルカタまでの距離。

 そこから先の、世界のどこかまでの距離。

 中国、韓国、オーストラリアからの距離。

 そして、僕の位置から、マイキーの後ろのゴールまでの距離。

 経験した距離は笑ってしまうほど近く、経験しない距離は気が遠くなるほど遠い。それだけのことだ。

 ゆっくりと顔を上げ、マイキーを見る。それからジョンムとジェレミーを。この勝負が終われば、さよならだ。

 だが、それがいったいどうだって言うのだろうか?

 僕らは知っている。一度縮まった距離は、基本的にはそのまなのだ。自分から遠ざけたりしない限り。また帰って来ればいいだけのこと。そう、また、来年にでも。

 なに、たいした距離じゃない。

「さあ、行くぜ」

 僕はボールを足の裏でゆっくりと転がしながら、マイキーに近づいて行く。
その距離、現在、約5メートル。


<この物語はフィクションです。>

 ランコ・ポポヴィッチ率いるFC東京のアジアの冒険は、ベスト16の広州恒大戦で終了。東京にとって、初めての国際大会は、同時に世界との距離を測る戦いでもありました。でも、一回行ってしまえば距離感はわかる。また来年アジアの舞台へ帰って来れば良い。そんな思いを込めて書いたように思います。実際に次にACLに出場するのは2016年まで待たなければいけませんが。

 このお話と似た旅にぼくが出かけたのは2002年のことでした。ほぼ実体験を基に書いているのですが、ヒロキ君以上に英語の出来ないぼくが現地で仲良くなったのは日本人ばかりでした。
バラナシからカルカッタへ旅立った経緯は、ほぼこのままです。ここで書いている距離の話には、今でもとても興味があります。
ぼくが旅をした頃、まだスマートフォンはなく、連絡は各地にあるインターネットカフェでのホットメールだけでした。もっと前はそれすらなく、宿に置かれたノートだけでした。インターネットが旅を変えた、という話を、年季の入った関西人の怪しいオッサンから聞いたのを思い出します。

 夜行列車に乗るために、ガンジス川を渡る橋から見た満月と、その光に照らされたバラナシの街の光景、そしてその時感じた自由は一生忘れません。

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