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「翻訳できない世界の言葉」と「もう2度と行けない本屋さん」と「DXが奪うもの」

「翻訳できない世界の言葉(エラ・フランシス・サンダース/前田まゆみ訳)」という本。本棚に入れっぱなしになっていたのを長女が絵本だと思って持ち出してきて久しぶりに読みました。

その中にあったHIRAETH(ヒラエス)という言葉。
意味は「帰ることができない場所への郷愁と哀切の気持ち。過去に失った場所や、永遠に存在しない場所に対しても」とされていました。
その言葉と、もう2度と行けなくなった本屋さんと、今の私の仕事が全部頭の中で衝突して溶けてドロッとしたまま心の中にへばりついているので、こちらで吐き出させてください。

先日、SNSで「書原」という書店が全店閉店したことを知りました。
15年ほど前には都内を中心にいくつも店舗があった書店でした。
私は以前勤めていた会社の近くにあった「書原 六本木店」によく通っていました。

「書原」は棚づくりが独特な書店でした。
どこでも売っている流行りの漫画は売ってないのに、気になる漫画は全巻揃って置いてある。いつ、どんな気持ちの時に行っても、帰る頃には何か元気になっている。ぐるっと店内を一周すると「あ、もしかしてこういう流れだからこの本が置いてあるのか!」という発見がある。
……目的なく訪れても、店を出る頃にはどうしても気になる本ができてしまっているような「本」そのものが好きな人間にとっては最高の居場所でした。

通っていた当時、「どうやったらこんな本棚が作れるのだろう」というのが本気で気になり、「書原」の経営者が書いた「書店ほどたのしい商売はない」も買って読みました。

それからしばらくの後、おそらく10年ほど前だったと思うのですが、六本木店が閉店してしまいました。跡地には大戸屋が入りました。
いつかまた機会があったら系列店舗に行きたいなと思っていたんです。
その願いは叶いませんでした。

閉店の報せを見た時に、「翻訳できない世界のことば」のHIRAETH(ヒラエス)のページがまざまざと思い出されました。
こんな気持ちを指す言葉に違いない…。


そんな折です。

さらに、ちょうどXでこんなポストも見かけました。

【書店員として、本に関わる人として、どうしても言いたいこと】 某企業がうちの書店に介入してきた。 愛情と工夫をこめて作ってきた棚が、本社からやってきたスーツたちによって現在進行系でぐちゃぐちゃにされている。 「誰でも陳列できるシステムにするため」 舐められてるのはむかつくが、それはまぁいい。 ただ、書店員を育てることを怠っている姿勢だけは心の底から許せない。 『書店は厳しい時代だから』 そう嘆いて目先のやりくりに精を出すより、明るい未来を作る努力をするべきだ。 配本だけを捌くロボット書店員を量産して、決められた通りの機械みたいな運営をして、それで本屋はエンタメ業ですなんて言えるのかよ。 上っ面じゃなく芯から戦えよ。 この施策、俺は従わない。もう一度棚を魅力的なものに作り変える。 「おお〜」とお客さんが選書に感動してくれるように。素晴らしい本たちが多くの人のもとへゆくように。 作家さんや出版社さんの熱い想いが、誰かの心を震わせるように。 上にバレたらきっと厳重注意を受けることになるだろう。 だけど絶対に折れてやるものか。 それでクビになってもいい。 俺はこれからも命がけで本を売り続ける。

https://twitter.com/i/bookmarks/all?post_id=1760147951727567053

「本屋はエンタメ業」

この言葉が胸を打ちました。
そう、選書が独特な本屋さんって、ものすごいエンターテインメントなんですよね。書店好きにとって書店に求めているものはエンターテインメントなんです。

ネット書店でも本は買えますが、書店を巡る時と体験が全然違います。
特定の本が欲しい人をその本になるべく早く辿り着かせることに特化したネット書店は、エンタメではありません。

だから選書が独特な本屋がなくなると聞くと、まるで遊園地が閉鎖されるような、永遠に楽しかった思い出が失われることへの寂しさを感じます。

書店は10年前に比べて1/2に減っているそうです。25000店舗くらいあったのが今では10000店舗くらい。そういえば少し前には大手書店の八重洲ブックセンターですら閉店しているというニュースも出ていました。

一度本屋がなくなったら、たとえ同じ屋号の店舗が復活しても、きっとあのときのあの店主の選書にはもう2度と出会えません。
HERAETH(ヒラエス)です。

……と、いうようなことをプライベートの私は考えているんです。
でも、職業人の私は違うんです。
先の引用元で「本社からやってきたスーツ」の所業を助長するようなことをしています。

私は仕事としてはSaaS製品やサービスの販売プロモーションをしています。
SaaS製品やサービスの広告を作ったり、Webサイトを作ったりして販売に繋げるにはどうしたらいいか、そんなことばかり考えています。
「DX(デジタルトランスフォーメーション)!」「AIで効率化を実現!!」「ICTが人材不足を解消!!!」そんな言葉を飾り立てて踊らせます。

労働人口の不足は社会の課題の一つです。少子高齢化が進む日本では人口は今後減っていく一方です。
既存の仕事はシステム化して、AI化して、ロボット化していかないと、社会が立ちいかなくなるのが時間の問題です。だから、システム化もAI化もロボット化もやらなきゃいけません。
そんな言い方で、我が社の製品やサービスを買うべき理由を並べています。

でも、「それ」は営みの中に自然に存在していたエンターテインメントを消していくことでもあるんですよね。
営みの中に自然に存在していたエンタメは、効率化には邪魔になる、SaaS製品やサービスで消し去りたい部分だったりするんですよね。

でも、SaaSで効率化していった先に、余った時間で作られたエンタメやエンタメのためだけに作られたエンタメは、営みの中に自然に存在していたエンタメとはどこか違います。

また、最近は特定ジャンル(例えば絵本だけとか、音楽だけとか)に特化した書店や、本の陳列をデザイナブルにした書店なども生まれています。
そういう「棚作りをそもそも目的化している」ものと、「書店の営みの一部としての棚づくり」もやはり、どこか違うと感じるのです。

DXをプロモーションする立場にある以上、そういう"数値に現れないような「営み」の美しさ"を根こそぎ踏み荒らして「効率化」する無粋さを自覚しなくてはいけない…。
自分たちは遊園地をつぶして更地を作ってはいないか?、果たしてそれは本当に良いことなのか?いつも自分自身に問い続けなくてはならないと、そんなことを思いました。


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