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[前編]“好きの種”から芽が出たレーベル-岡山県/みんふ-


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この「使い手による ブランド紹介」では、日本諸国テキスタイル物産店の広報紙「民ノ布」に登場した「みんふ」のねまきをデザインする岩崎恵子さんへのインタビューを前編・後編にわけてお届けします。
民ノ布のプライベートレーベルとしてうまれたみんふでは、国産生地が主役の「ねまき」に特化して企画から販売まで一貫して運営している岩崎さん。
なぜ、国産生地? そして、なぜ「ねまき」?
これまでのキャリアや国産生地に惚れたきっかけ、そして、ものづくりを通して目指していることなどさまざまなエピソードを語ってもらいました。


広告畑からテキスタイルの世界へ



民さん(以下/民)
このインタビューでは「みんふ」のデザイナー、
岩崎恵子さんにおはなしを伺っていきます。

岩崎恵子さん(以下/岩崎)
どうぞよろしくお願いします。
わたしは岡山県岡山市で、衣類に特化して
企画から販売まで一貫して行う
セルフプロダクションを運営しています。
2013年4月に独立開業したので
今春で9年目に入りました。

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八重蔵さんから廃棄予定の残糸をもらう岩崎さん。「もったいなさ過ぎるのでノベルティなんかに使えたらいいなと。」


もうすぐ10年ですね。独立まで
ずっと岡山で活動されていたんですか?

岩崎
いえ、独立するまでは京都にいました。
京都市内にある、オリジナルのプリント生地と
和装衣服を製造販売する会社に
9年間勤務して、商品企画や
伝統産業のリブランディング事業などに
携わってきました。


京都で、しかも伝統産業に関連した
お仕事をされていたんですね。

岩崎
とはいえ、卒業した美術系大学での専攻は
服飾にまったく関連なかったんですよ。笑

元々はインテリアデザインに興味があって
空間演出デザイン学科を目指していました。
その学科にはファッションデザインコースも
含まれていたんですが、当時のわたしは
ファッション関連の仕事には
興味がなかったんですよね。

最終的には広告やイラスト、WEBなどを学ぶ
情報デザイン学科に合格し、
大手広告代理店出身の先生のゼミに入って
デザインを4年間、学びました。


広告畑の専攻から服飾関連の会社へ
就職することになったきっかけは?

岩崎
独立するまで9年間勤めていた会社には
新卒で入ったのですが、採用されたのは
グラフィックデザイナーとして、でした。
その会社に就職できたのも
偶然が重なっていたんです。

就職活動では広告代理店を狙っていましたが
そのころ、バイト先の友達に
たまたま連れて行ってもらったのが
手描きでペイントされたド派手な地下足袋と
モダンでシュっとした家具が並んだお店。

その空間にある家具に惹かれていたら
「求人」が貼られているのを見つけて、
その家具をデザインしていた
建築事務所へ面接に行ったつもりが、
就職することになったのは
地下足袋をつくっていた会社のほうだった、という。


建築事務所に面接に行ったら
アパレルメーカーに就職、ってすごい流れですね。笑

岩崎
建築事務所と地下足袋を売っていた会社が、
当時ショールームをシェアしていたことから
起きた偶然で、その求人も「パタンナー募集」だったんですよ。笑
「建築事務所がパタンナーを募集するなんて
きっとおもしろい職場に違いない!」と思って
自分としては、インテリア熱が再び盛り上がって
面接を受けたつもりだったんですけど、勘違いで。

当然、最初の面接は落ちましたが、
あきらめずに、もう一度面接してくださいと
手紙を書いて面接に挑んで、
何とか採用となりました。




強みは、専門知識が“ない”こと


京都のアパレルメーカーでは
グラフィックデザインから服飾デザインへ
どのようにキャリアを
積んでいったんでしょうか。

岩崎
就職した会社は、規模が小さかったので
「なんでもやってもらうよ」という感じで
わたし自身も「なんでもやります!」と
仕事のキャリアは雑用係から始まりました。

印象深かったのは、雑用係から生産管理に
変わったとき、社長からいただいた言葉です。
当時は、服作りの知識をもっていないことが
コンプレックスだったわたしは「いまからでも
服作りの勉強をするべきでしょうか?」と
社長に相談したんです。すると、
「勉強しなくていい。むしろ、
服作りの知識をもってないことが
キミの良いところだから勉強したらあかん」と
肯定してもらえたことが励みになりました。


服作りの知識がないことが
岩崎さんの“強み”になった
んですね。

岩崎
在籍していた会社では、当時
新しい和装を世に出そうとしていたので
変に洋裁の知識がないほうが
よかったのかもしれませんね。
ブランドの立ち上げにも関わることができ、
仕事内容も店頭での販売から商品企画、
生産管理までさまざまな業務を担当しました。

独立したいまは、個人事業で
衣類のデザインと生産を行っていますが
京都で仕事していたとき、企業の中で
同じように一貫した生産に携わったことが
いまの仕事につながっていると感じています。

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当時の発注書。「あえてパソコンは使わず、全て手書きで覚えました。」



独立し、「みんふ」を立ち上げるまでは
どのようなお仕事をされてきましたか?

岩崎
他社様のリブランディングやブランド立ち上げの
お手伝いからキャリアをスタートし、
2015年に「SAGYO」という和装をベースとした
現代の作業着ブランドをビジネスパートナー2名と立ち上げました。

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SAGYOのメインビジュアル。(写真:片岡杏子)ディレクションは自分達で行っているそう。

現在はSAGYOの運営、特に衣類のデザインと
生産をメインに活動しています。
SAGYOではただ単に、
衣類を製造して販売するのではなく
小規模事業者だからできる生産方法や
販売手法をとり、既存の流通に頼らない
インディペンデントな運営を心がけています。


「作業着」に特化したブランドなんですね。

岩崎
はい。SAGYOの正式なブランド名は
「風景をつくっていく野良着 SAGYO」です。


わたし自身は、“道具としての衣類”に特化した
デザインを得意としています。
SAGYOで扱うのは究極の“道具としての衣類”
ともいうべき「作業着(野良着)」ですから、
農作業時に気兼ねなく着ていただけるように
さまざまな工夫をものづくりの中で行っています。

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SAGYOの製品は、大学の野良着調査資料を元に制作したサンプルをパートナーが農作業で着用し、改良を重ねるかたちでつくられている。

石井織物工場の八重蔵さんのインタビューでも
「採算は合わせるもの」という話がありましたが
SAGYOでも、生地の仕入れを工夫するだけでなく
生産工程の見直しを行ったり、
生地を無駄にしないようなデザインを心がけたりと
日々改善を続けながら、国産でありながらも
なるべく手を出しやすい価格設定にしています。




「背景のある手仕事」に惚れ込む


国産の布生地の魅力にのめりこんだ
きっかけについて教えていただけますか。

岩崎
会社員時代は、純国産にこだわったものづくりを
しているメーカーに勤めていたため
京都、高島、備後、児島、久留米、伊勢、有松など
国内の繊維産地や縫製産地によく足を運びました。

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生産管理になったばかりの頃の写真。「企画チームや販売スタッフたちと1日仕事を休んで取引工場への見学へ。初めて知る世界でした」。

日本の国土は約3,000kmと南北に長く、
独自の気候区分をもつほど土地土地に
個性がありますが、そこで生まれた文化や産業も
バリエーションに富んでいます。
メーカーを退職し、岡山で独立開業したあとも
半分趣味で、繊維産地や機屋さんをめぐり、
服飾にまつわる産地を訪問するたびに
現場で生まれるテキスタイルに魅了されていました。

そして、生地を購入し、実際に使ってみるうち
旧式のシャトル織機で織られた生地がもつ
独特の風合いにハマっていったんです。


石井織物工場さんの生地についても
「ピュアな布」と表現されていましたが
シャトル織機ならではの風合いがあるんですね。

岩崎
そうですね。とにかく“味わい深い”。
滋味深いとも表現したくなる生地なんです。
そして、生地そのものだけでなく、
「背景のある手仕事が好き」という
じぶん自身の気持ちにも気づいたことが
きっかけとなって、その“好きの種”から
芽が出たブランドが「みんふ」です。




作り手による ブランド解説〈前編〉まとめ

京都のテキスタイルメーカーで
服作りの知識をもたずに
そのキャリアをスタートした岩崎さん。

〈前編〉ではこれまでの経歴や
服飾の世界へ足をふみいれたきっかけ、
そして国産生地にのめりこんだ経緯を
おはなししていただきました。

“背景のある手仕事が好き”という想いから
「みんふ」を立ち上げた岩崎さんですが
〈後編〉では、みんふのプロジェクトを通して
目指していることを中心におはなしを伺います。

後編につづきます


取材日:2021年5月3日
取材・執筆:杉谷紗香(piknik/民ノ布編集室)
写真:デザイナー提供

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Instagram:@taminonuno


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