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つくる考1 ホモファーベル

ホモファーベルとは、

「作る人」の意のラテン語で「工作人」と訳される。フランスの哲学者 H.ベルグソンの言葉。 B.フランクリンがすでに,人間は道具をつくる動物と規定していたが,ベルグソンは人間の本質は物をつくりおのれを形成する創造活動であるとして,ホモ・ファーベルと規定。ホモ・サピエンスというあり方は,ホモ・ファーベルがおのれの作成活動を反省するところに生れるあり方であるとした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

このように定義される。
しかし、ベルグソンの定義以降、チンパンジーも道具を使って餌をとることなどが発見されこの言葉自体は古い時代の言葉となっているようである。

「作る」。
特に道具を作ることは、人間の欲求を可視化する。
安定した作物の供給を得るために、農具を作る。
食べ物を摂取するために、器物を作る。
自身のやわい皮膚の外側の刺激から身を守るために、衣服を作る。

人間が神にならない限り、
どれだけ時代が変わっても人間の「作る」欲求が衰えることはない。
それは人間は不完全な生き物であるからこそであり、それを補完するための「道具」をいつも求めているからだ。

私は、作ることや作られたもの、”人間の創作物”をとても愛おしく思う。
そこには不完全な人の姿を見ることができる。
本質的に満たされていないからこそ、生まれてくるものがある。
そうして生まれたものたちは、年月を超え、たとえ用途がわからなくなったとしても訴えかけてくるものがあるように思う。

そういったものたちと向き合い思考を巡らせることは、
言い換えると自分自身のあり方と向き合うことになるようにも感じている。


先日、池袋サンシャインシティの古代オリエント博物館に行った。

種々多様な創作物には惹かれるものがあった。
写真はコブウシの土偶だけれど、動物土偶が作られた背景にはきっと、人間の身体能力の拡張に対する呪術的な意味合いや動物に対する畏怖もあっただろう。

用途があるのか、と言われるとグレーだと思う。
土偶でご飯は食べられないし、身体も飾ることはできない。
けれど、当時は切実に必要不可欠だったもの。

これに対してコミカルさを感じる、現代を生きる自分に対しても自覚的になるし、
切実にものを作っていたであろう当時の人々にも思いを巡らす。
どこか交わるところがないだろうか、なんて考えたりもする。
同じホモファーベルとして。


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