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デザイン X 廃墟

つくられた分、失われるものがある。

当時は賑わっていたであろう団地の今。いや... 2年前です。

取り壊されることなく月日が過ぎている。

今まで、サービスや製品、製品のサポートをするためのスマートフォンなどのUXデザインに携わりましたが、「終わり」「ユーザーの手から離れるとき」を果たして検討できていたのだろうか。

廃墟に訪れる度、問いが生まれます。

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娯楽の象徴、パチンコ台も、長くつづく団地も今は「カタチ」があるだけです。

(この「団地」をデザインした人は「今の姿」を想像していたのだろうか...)

2年前訪れた、炭鉱の町だった長崎県、池島。9割廃墟だが、ここはまだ人が住んでいる島。軍艦島は一般エリアが限られていますが、池島は禁止エリアはあるものの、島を一周できます。

これから...

デザインは「つくる」「つかってもらう」「好きになってもらう」...と思考を巡らせるだけでなく、「ユーザーとモノの関係はどこでどのように最後をむかえるのか」「最後にあるべき姿は?」 など、ユーザーも社会も、困らない関係性をつくることが必要だなぁと思います。

炭鉱施設もご覧の通り。

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足場も、骨組みも錆びつき朽ちている。

「パソコン上でも似たことがおこるなぁ...」 なんて思っています。

物体として存在していない...「見ないファイル」を画にするとこんな感じだなぁと思います。(...データも廃墟化するのかもしれない。)

UIも...

Photoshopで画面を作成していた⇒ Sketchになった⇒ Figmaに。。

と、時代の移り変わりによって過去のファイルがを使わなくなりますよね...。(捨てはしないものの...。)

物体があってもなくても「おわりを考える」 ことは、これからのデザインでテーマになるかもしれません。

仏教...??

「おわりを考える」 なんだか...ブッタの教えにもありましたよね。人が幸福に生きるようになるには生きたいと思うのではなく、死は必ず訪れると想定しておく... (だったかな。)

仏教...禅。。が頭に浮かぶと...読み返したくなる一冊。共生(ともいき) 素敵な本です。

ユーザーとの「最後の関係」を考えることは、サービスやプロダクトがユーザーの心の豊かさや幸福感を届けることに繋がるのかもしれない...。

そんな思考を巡らせながら...答えはでませんでしたが、1日をおわろうと思います。

今日はいい一日だったなぁ。ではまた。

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