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#146 1番の師は、自分自身【一笑門 マガジン】

どうも!海先輩です!

このマガジンでは、毎朝配信しているPodcastプログラム「海先輩の一笑門RADIO」の内容を発信しております。

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「メンターを見つけよ!」

自己啓発本を読んでいると、自分の行動の指針となるメンターを見つけることを推奨してくる本が多いです。

自己流でやるのではなく、その道で既に先を歩んでいる人から学び、道を外れないようにしながら行動していくことが大事だからです。

これには僕も賛成で、道に迷った時にはその道の先を行っている人に、相談するようにしています。

しかし、とある方によると、本当の師というのは我が身、自分自身であるというのです。

おはようございます。海先輩です。

今日は、「1番の師は、自分自身」というお話です。

長らく更新していないのですが、僕のやっていた別のマガジンで「10分師匠」というものがあります。

これは「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」から毎日1話紹介するマガジンだったのですが、久しぶりに1話読んでみたので、今日はそのお話です。

今日読んだのは、中村富子さんのお話で、「手足のないことが善知識」というタイトルでした。

中村富子さんのお母様、中村久子さんは幼い頃に病気のため手足の切断を余儀なくされてしまいます。

それから久子さんは15歳くらいまでは、お母さん(富子さんの祖母)に三度の食事を食べさせてもらう生活だったそうです。

しかし、再婚先でままならないこともあったそうで、自分で食べられるようになろうと決意したそうです。

ただお箸をもつ指がないため、茶碗もお箸も持つことができません。

お皿にご飯とおかずを入れて、高い箱膳の上に置いて食べたところ、人に食べさせてもらうより余程美味しくもあり、一大発見のつもりだったそうですが、子どもたちに「お箸を持たんでご飯を食べるものは、犬や猫と同じだな〜」とからかわれてしまいます。

そのときハッとし、「手がなくとも、足がなくとも、自分は犬や猫ではない、人間なのだ。きっと箸を持ってご飯を食べてみせる」と久子さんは心に決めます。

久子さんの前半生は闘いの日々となります。

久子さんのお母さんも、このころからは厳しい母親になり、身の回りのことは全部自分でやるように強いたそうです。

それから後年、久子さんは仏教に触れ、親鸞の教えを大切にするようになります。

そこで久子さんが学んだことが、たくさんの師に教えていただいたことでこれまで生きてきたが、1番の師は自分の身体、"手足のないことが善知識"だったということです。

これが分かったときには、自分は手足がなくても独りでやってきたという慢心はなくなり、これまで面倒をみてくれた周りの人への感謝の気持ちが湧いたそうです。

これを読んで僕が感じたのが、僕自身も25年生きてきて、たくさんの先生や先輩、上司に色々なことを教えてもらったけど、1番学びになっているのは自分で行動を起こしたときだなということです。

人から聞いただけでは知識として頭に入るだけで、心からの学びはないだろうと思います。

積極的に行動や挑戦をしていくこの我が身自体が、最も自分に学びを与えてくれる存在なんだなと思いました。

今日のお話がちょっとでも参考になれば嬉しいです。

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