銭湯のおかげです 参湯目 「押上温泉 大黒湯〜 お前次第で世界は楽しく生きられるんだぞ」
参湯目 「押上温泉 大黒湯〜お前次第で世界は楽しく生きられるんだぞ」
夏休みも終わろうとしていたある日、水風呂が大好きになった息子が、またもやスマホをいじりながら何やら探している。
「父ちゃん、銭湯で露天風呂あるところってあるのかな?」
「ん?あると思うぞ。貸してみな」
息子からスマホを受け取り検索してみる。
「なんで露天風呂なの?」
「河口湖に行ったときの露天風呂気持ちよかったし、銭湯なら水風呂があって、露天風呂と水風呂なら最高じゃん」
なるほど。どんどん風呂好きになっていくな。しかし家の風呂ではカラスの行水で、ほとんどちゃんと入らない。子どもでも大きな風呂の気持ち良さは違うのか、もしくは子どもだからこそ、はっきりと好き嫌いが別れるのか。
「よし、それならここはどうだ?前に行ったスカイツリーのあたりから歩いて行けるところに、露天風呂も水風呂もある銭湯があるぞ」
「どれ?見せて」
スマホを奪い取り写真を凝視する息子。
「ここすごいじゃん!露天風呂広いし、水風呂2つもあるみたいだよ!ここにしようよ!」
「かなり広いみたいだし、これは良さそうだな。じゃあ支度するぞ!」
「うん!あ、でも奇数日が男湯で偶数日が女湯って書いてあるけどなに?」
「奇数の日に行くと、男湯と女湯が入れ替わって露天風呂がない方のお風呂になるみたいだけど大丈夫。今日は奇数の日だから、露天風呂に入れるぞ」
「やった!早く行こうよ!露天風呂楽しみだね!あ、でも刺青大丈夫なの?」
「調べてみたら、ここは刺青が大丈夫なので有名な銭湯らしいぞ!」
「やった!」
こうして今日の銭湯が決まった。押上と錦糸町の間あたりにあり、やや押上寄りにある押上温泉 大黒湯さんだ。自転車で行けなくもないな。
「自転車でも行けると思うけどどうする?」
「どのくらいかかる?」
「たぶん30分ぐらいはかかると思う」
「ええ〜!そんなのやだ。暑いしお風呂入ってからまた自転車乗りたくない」
まぁそれもそうだな。せっかくさっぱりしたのに、また自転車で汗だくってのも厳しいな。
「わかった。じゃあ電車で行こう!」
「うん!」
地下鉄を乗り継ぎ押上駅に到着し、グーグルマップを見ながら歩くこと5、6分で、あの独自の銭湯の湯の香りが漂ってくる。
「お、もうすぐだな。銭湯の匂いがするじゃん」
「ほんとだ!あ、父ちゃんたぶんあそこだよ」
到着すると、昔の旅籠を思わせるような木をあしらった日本独特の佇まいに、淡い暖色の明かりが灯っている。暖簾は東京銭湯フェスティバルとローマ字で書かれた白いもので、何かのキャンペーンの暖簾のようだ。これは期待できる銭湯である。早速暖簾をくぐって中に入ってみる。
「あ、瓶の牛乳あるよ!ビールもある!」
「お、よかったな。風呂上がりの瓶の牛乳は美味いんだぞ?父ちゃんのビールもあるし、上がったら乾杯だな」
「うん!早く入ろう!」
受付で料金を払い中に入ると結構な混雑で、今の銭湯離れのご時世でも流行っていることが伺える。実際受付にも様々なグッズなどもあり、頑張っている様子が手に取るようにわかる企業努力を惜しまない立派な銭湯である。
露天風呂が楽しみだが、まずは内湯を楽しもう。
「混んでるね」
「まぁ日曜だからな。それに最近サウナが流行ってるから、サウナのお客さんが多いんじゃないかな」
「あ、サウナってあのすんごい熱いやつ?北海道で僕が入れなかった」
「そうそう。あれだよ。あれも気持ちいいんだぞ。熱いので汗ダラダラになってから入る水風呂は本当に気もちいいぞ!まぁお前にはまだ無理かもな」
「絶対無理!」
そんなことを話しながら、まずは体を洗い背中を流し合う。二度とない息子がまだ小さいこの時期に、こんなに頻繁に背中を流し合えるなんて、しょっちゅう温泉旅行などいけない我が家では、こんな思い出は銭湯がなければありえない。やはり銭湯は最高だ。
「よーし、体も頭も洗ったし、桶と椅子を元の場所に戻すぞ。これだけ混んでると、戻さないと他の人が洗う場所がないのがわかるだろ?」
「うん、そうだね。さっき入ってきたとき洗うとこなかったもんね。すぐ空いたからよかったけど」
「みんなで入る場所だから、みんなが使えるようにしないとな。わかったか?」
「うん!」
幸いボディソープとシャンプーは備え付けなので、手ぬぐい一本あれば風呂に入れる。子どもにはいくら口で言っても伝わらないことがある。全く知らない他人と譲り合う心というものが、現代では電車やバスの中でさえなくなっている。
様々な公共の場にこれから出て行く息子に、他人を思いやる心を教えてやれる場所として、今では裸同士の付き合いである銭湯という存在が非常に大切な気がしてならない。
誰もがスマホを見ていて、気づかないことがたくさんある電車やバスなどと違い、銭湯は誰でも他人が見え、それも一糸まとわぬ裸である。
生活に欠かせない風呂という場所のためなのか、気持ちよく過ごせる広い風呂場のためなのか、全員が素っ裸で誰もが同じ人間だと否応無しにわかるからなのか、息子もよく話が理解できるようだ。
「ここは俺の荷物を置いてあるんだから俺の場所だ」というような、他者を顧みず自分の権利だけを主張するような人間にはなるなよ。みんなで気持ちよく過ごした方が、この世界ってところは絶対に楽しく生きていけるんだぞ。お前は一人で生きているんじゃないんだからな。
「父ちゃん、どのお風呂から入る?」
「露天はあとだな。まずはこの普通のやつにするか」
「あちっ!」
温度は44℃ほどだろうか、結構な熱めの湯で俺には心地よいが、10 歳の小学生には熱すぎるようだ。
「ここはちょっと無理。別の所に入ってくる」
もう何度目かの銭湯で、息子も慣れたものである。自分好みの浴槽を探して入っている。遠目から見ていると、何やらおじいさんに話しかけられている。親のいない所で知らない人に話しかけられるなど、外では怪しく映ってしまうが、銭湯ではなんのことはない日常風景だ。
世の中の人々がこんなに荒廃する前の時代の空気が、まだまだ銭湯には流れ続けている。
「父ちゃんこっち来て」
息子に呼ばれて入ったのは、各種ジェットバスにぬるめの薬湯。息子はまずぬるめの薬湯で慣らしてからジェットバスに入ったようだ。
「なんかたくさんあって面白いね」
「おお〜、これもいいなぁ。父ちゃん普段仕事で凝ってるから気持ちいいや」
「もうちょっとしたら露天風呂行こうよ」
「いいぞ。んじゃもう行くか。水風呂はどうする?」
「うーん、露天風呂に入ってからにしようかなぁ」
外に続くドアから露天に向かうと、かなり広い露天風呂がある。そこらの温泉旅館より立派な岩風呂になっていて、岩風呂になっている方の水風呂は内湯にある水風呂よりも広い、
「うわぁ、広いねこの露天風呂」
息子も大喜びで露天風呂に浸かる。う〜ん、これは気持ちいい。
「気もちいいなこれは」
「うん!露天風呂いいね!」
たいそう露天風呂が気に入った様子の息子とともに湯浴みを堪能していると、なにやら階段から降りてくる人がいる。
「父ちゃん、あそこ何があるのかな?」
「わかんない。行ってみな」
「その前に水風呂入ろうよ。もう熱い」
「おお!いいな。入るか」
ザブーン!温まりきった体で入る水風呂の気持ち良さと言ったらもう。おまけに露天の岩風呂だ。ここはかなりいい銭湯だ。
「水風呂気持ちいいなぁ」
「ちょっと待って」
やはりまだ子どもである。いきなり冷たい水風呂にザブンとは入れないようで、足までは浸かれるが冷たさに耐えながら踏ん張っている。
「ほら、この前入ったろ?気持ちよかったじゃん。ザブンと入っちゃいな。せーの」
「よし!」
意を決して水風呂に浸かる息子。すぐに慣れて至福の表情を浮かべている。
「やっぱり水風呂気持ちいいね!」
何度か交互浴を楽しんでいると、息子が一人階段を登って上へ行く。すぐに戻って来たと思うと、手招きして俺を呼んでいるので一緒に2階へ行ってみると、そこは休憩所のような場所になっていて、ハンモックまで吊るされている。サウナのお客さんたちの整い場所というところだろう。
息子がハンモックに乗りたがっているのはありありとわかったが、サウナの客で全て埋まっている。
「また後で来たら空いてるかもな。じゃあ父ちゃんはもう一回熱い湯に浸かってくる」
「わかった。僕は露天風呂入る」
何度か交互浴を楽しんでいる間に、息子は2階の座るタイプのハンモックには乗れたようで、満足げだ。
「こっちの水風呂も入ろうよ」
内湯の水風呂は、大人2人が詰めて入れるほどの広さなので、息子と入る分には大丈夫だ。すると目の前に、広くてプールのような手すりのついた浴槽がある。
「このお風呂は何?」
「歩行湯って書いてあるな。足とか腰が痛い人が、ここで練習したりする所だと思うよ」
「へぇ〜」
いろんな浴槽があるために、子どもも時間をもてあますことはない。流石にサウナまで楽しむなら一人で来た方がいいが、かなり充実した設備の銭湯であり「こんな銭湯が近くにあればいいなぁ」と思ってしまう。
すっかり銭湯を堪能しきった息子と風呂を上がれば、お待ちかねのドリンクタイムだ。
脱衣場から出たロビーに様々な飲み物やグッズが売られているが、ここにはビールがあるので、カラカラに乾ききった身体に、スポンジが水を吸うかの如くビールが染み込んで行くあの瞬間が、待つことなく訪れる。
「瓶の牛乳楽しみ!」
「父ちゃんはビールが楽しみ!」
2人の飲み物を買うと、ロビーの椅子に座るのももどかしい。
「かんぱーい!」
「クゥ〜!美味い!風呂上がりの牛乳最高だね!」
ビールと牛乳の違いはあれど、全く同じ気分を味わえる風呂上がり。こんなに気持ちよくて楽しい時間を、大人ひとりワンコインでお釣りがくる価格で楽しめる銭湯とは、なんと凄まじく素晴らしい場所なのだろう。
しょっちゅう旅行に行くこともできず、バカ高い金を取られる虚飾で固められたアミューズメントパークにもほとんど連れて行かず、監禁された動物や魚たちのいる動物園や水族館に行くと悲しく憤りを感じてしまう親が、こんなに息子と楽しい時間を手軽に共有して過ごせるのは、銭湯のおかげです。ありがとう。
さて、次はどこの銭湯に行こうかな。
つづく
広い露天風呂やサウナまであり、朝までやっている素晴らしい銭湯、押上温泉大黒湯さんはこちら。
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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!