ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#17 PAINTBOX Ⅱ

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#17 PAINTBOX Ⅱ」

 鉄アレイが絶頂期とも言える時期を迎え、ハードコア界での人気と存在感を不動のものとし、JUGEMENT、FORWARDも活発な活動を行なっていた2000年代に入ってからだが、PAINTBOXだけは俺とCHELSEAの仲が悪かったこともあり、BURNING SPIRITS周辺に出演することはほとんどなかった。
 鉄アレイとPAINTBOX、JUDGEMENTとPAINTBOXなどはやっていたと思うが、FORWARDとPAINTBOXが絡むライブはほとんど皆無に等しいほど無かったと思う。
 あるとき俺が、高円寺にある老舗パンクレコードショプBOYに行ったときに、PAINTBOXのメンバーが勢揃いしていて、店員でありBOYと雑誌DOLLのオーナーである森脇美貴夫氏の妻であるベックさんに歌詞の英訳を頼んでいる所に出くわした。
 狭い店内だが相変わらずCHELSEAのことは無視しながら様子を伺っていると、カウンター内にCHELSEAがどっかと座り、横にいるベックさん歌詞の説明をしているのだが、他のメンバーは店舗内で並んで立っていて、CHELSEAの言うことを頷きながら聞いているだけだった。
 俺から見ると、CHELSEAがメンバーに対し偉そうに演説をしながら、自分本位の勝手な理屈をこねてメンバーに自分のわがままを押し付けているだけのように見えたのだが、メンバーは何も言わず黙っているのを見て「PAINTBOXはCHELSEAのワンマンバンドだな」と心の中で思ったことがあった。
 しかし実際はどうだったのだろうか?
 CHELSEA亡き後、今だから思うことなどをMUNEとSUGURUに訊いてみた。

ここから先は

3,049字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!