#20 これがアメリカか
人物、ベンド名等説明
・ ライアン:マークの家に同居していた住人。他にもピチョウィックという人物も、後年まで仲の良い友人となっていった。
・ ハボック:HAVOC。アメリカのPUNKマガジンで一番有名な「マキシマムロックンロール」誌で「 HARD CORE〜俺が掟だ」という連載を持っており、翻訳されて日本のPUNKマガジン「DOLL」に連載されていた。自身のレーベル「HAVOC RECORDS」も運営しており、世界中のHARD COREにかなり精通した人物。
・ JIMMY CLIFF:1962年デヴューの、ジャマイカ人レゲエシンガー。
・ MANY RIVERS TO CROSS:JIMY CLIFFの楽曲。アルバム「JIMMY CLIFF」などに収録。
・ ラナ:ミネアポリスの住人で、俺たちの他にも日本のバンドがミネアポリスに来ると泊めてくれた日本人の血が入った女性。
#20 これがアメリカか
シカゴでは2、3日、マークの家に滞在したのだが、若い彼らは非常にイキイキとしていて楽しく、安い食べ物やビールもたくさん知っていた。シカゴにはOLD STYLEという地元のビールがあり、これが安い。確か1ケース30本ぐらい入って10ドルぐらいだった。しかし、これがマズくて薄い。一向に酔いが進まず、飲むことすら困難になっていく。しかし金がないため、シカゴでは毎日これを飲んでいた。
シカゴにはヒスパニックの移民も多いので、タコスやブリトーなどのメキシカンフードも初めて体験した。当時日本ではほとんど食べる機会のないメキシカンフードは安く食べられる美味しい食事だった。
ライブもなく暇なのでマークのバンドのスタジオ見学に行き、そこで「何かやってくれ」というので演奏したり、他にもマークは街中も案内してくれた。
夜になるとマークの家の近所の高架下にいつもいる、アフリカ系アメリカ人には、一度話しただけなのに「ISHIYA」と覚えられていて、この人の記憶の良さと観察眼から、周辺のボスというわけでもないのだろうが、近辺での何か役割がある人間のように感じられた。
3日間一緒にいた家の人間たちとはかなり仲良くなった。その中のライアンは、PUNKなど全く知らなかったのに、俺たちのライブも観に来くれ、何が楽しかったのかその後日本にやって来て、今では日本人と結婚して東京に住んでいる。
知らない人間に大きな影響を与えるという部分では、日本もアメリカも大差がないと思う。ライアンは、今でも会えば仲の良い初めてのアメリカ本土で友達になった奴だ。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!