ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#13 VIVISICK

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#13 VIVISICK」

 BURNING SPIRITS周辺では鉄アレイを中心として、JUDGEMENT、FORWARDといったバンドの登場で盛り上がりを見せてきたが、変わらずに盛り上がり続けていたのがGAUZEの消毒GIGであった。
 俺はこの時期に、第1章 #11 GAUZEで触れたようにGAUZEと交流がなく消毒GIGに行っていないのだが、平成も10年を超え西暦2000年代に入ると、とんでもないバンドが消毒GIGに出演し始めた。VIVISICK である。
 俺が初めてVIVISICKの凄まじいライブを体験したときには度肝を抜かれ、一発で大好きになってしまった。
 こうした若手の素晴らしいバンドが常時出演していたこの時期の消毒GIGを見逃していたことは、自分のハードコア人生でも非常に後悔が残る期間であり、自分を一生責めたくなるほど今でも悔やんでいる。
 それほどVIVISICKというバンドの登場は俺の中で衝撃的だったし、日本のハードコア界にとっても歴史に名を残すバンドだと思っている。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!