ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#10 FORWARD秋山加入

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#10 FORWARD秋山加入」

 様々な日本のハードコアバンドが海外進出をする中、2004年と2006年にアメリカツアーをやっていたFORWARDだったが、2012年に3度目のアメリカツアーを行うまで海外ツアーができる状態ではなかった。
 SOUICHIとT.Tのツインギターになったことは第4章#1で触れているが、平成16年である2004年から5人でやっていたのだが、平成21年である2009年に、Dr.が脱退したため新しくドラムを探さなくてはならなくなった。
 Dr.が脱退した理由については、書いても決して良い気分になる話ではないので割愛するが、他のメンバーは皆FORWARDの活動を辞める気は全くなかったので、ドラムを探すこととなった。

 そのときにドラムをやりたいと言ってきてくれスタジオに入った人間もおり、一生懸命やっているしやる気もあったのだが、ライブをやるまでにはかなりの時間を要するだろうというメンバーでの判断により、ほかのドラムの人間ともスタジオに入ってみようということになった。そこでそれまでに観たドラムの中で素晴らしかった人たちをあげてみて、一度スタジオに誘ってみようということになった。

 そのドラマーは、マリア観音などのDr.平野君、COROLED RICE MENのDr.YUKIという2人の候補が上がりスタジオに入ることとなったのだが、そこでもう1人、ブルースビンボーズの秋山もやってみようと俺が言い、この3人とスタジオに入ることとなったのである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!