2004年6月
人物、バンド名等説明
・ GG ALLIN:ステージ上での排泄、ガラスやビール瓶で自分を切り刻む自傷行為、観客に向かって罵りと糞便と暴力を撒き散らすという、過激なパフォーマンスで有名なアメリカのPUNKロッカー。
・ THE STOOGES:1960年代に、過激なステージパフォーマンスで知られたアメリカのロックバンド。
・ IGGY POP:THE STOOGESのボーカルで、現在はソロで活動中。「ゴッドファーザー・オブPUNK」とも言われ、後世のPUNKSたちに大きな影響を与えたボーカリスト。
・ サイモン:FORWARD初の海外レコード発売をしてくれたレーベル「UGRY POP」主宰で、FORWARD初のアメリカツアーをとってくれた。
・ アンディ:ミシガン州アナーバーのオーガナイザー。ハウスパーティーも開催してくれた。
・ BAD IDEA HOUSE:ハウスショー会場の一軒家につけられていた名前。
・ D.I.Y:Do it your selfの略で、自分自身でやるという意味。アンダーグラウンドシーンで活動するため必要不可欠な、メジャーの商業主義的音楽産業のやり方に依存しない、世界中のHARD CORE PUNKSが実践しているバンド活動の方法。
・ STATE:1980年代から活動するミシガン州アナーバーのHARD CORE PUNKバンド。
・ T.T: FORWARDの元ギタリスト。現在EIEFITSで活動中。
2004年6月
「おお!ここがGG ALLINが住んでたアパートかよ!」
「ハハハ!あなたは日本のGG ALLINですねー」
「んなわけねぇだろ!」
そこはアメリカのミシガン州デトロイト近郊にあるアナーバーだった。ミシガン州立大学を中心として成り立っているような街だ。
PUNKの元祖と言われていIGGY POPのホームタウンであり、THE STOOGESが誕生した街でもある。
アナーバーには、ライブで人を殴る、ステージで排泄をした自分の糞を観客に投げつけ、自分の身体に塗りたくる。挙げ句の果てには糞を食べてしまうパフォーマンスで、アメリカ最悪にして最狂のPUNKロッカーGG ALLINが一時期住んでいた。
GG ALLINの大ファンだった俺、ISHIYAは、この街に訪れたときに「彼が住んでいたアパートがある」と聞いた。今回のアメリカツアーをオーガナイズしてくれたカナダのレーベル「UGLY POP」のサイモンに案内され、バンドのメンバーと訪れたのだ。
初めてのアメリカツアーでの時差ボケもやっと取れ、何本かのライブをこなしてきたので、なんとなくアメリカという国の感じがわかってきたところだった。
アナーバーには前日到着したのだが、ライブまで時間もあり疲れていたので休もうかと思っていたその矢先、その日に泊まる予定だった家に続々と人が集まりだした。手に持っているビールも、1缶や2缶ではなく、ケースや箱の明らかに大人数分だ。
「ライブ前のいったい何が始まるんだ?」
庭ではバーベキューの用意がされ、家に入りきれない人数が集まってくる。そして「ハーイ!」とかなんとか言いながら、みんなで酒を飲みだすではないか。
「な、何だこれは?」
これが〝アメリカ名物ハウスパーティー″だと気づくまでに、そう時間はかからなかった。
「ライブ前にパーティー?マジかこいつら!」
剛に入っては郷に従え。せっかくやって来た初めてのアメリカだ。パーティーでも何でもやってやろうじゃねぇか!
かなりの人数が集まり、どいつもこいつもバカ騒ぎをしていやがる。家主はアンディとその彼女だが、彼女の方はみんなの騒ぎに限界寸前だ。
そりゃそうだ。見知らぬアジア人がやって来たかと思えば、今度は知らない人間が大勢押し寄せ、静かに暮らしていた家がどんちゃん騒ぎになっている。
マズイ。これは絶対にマズイ。彼女が怒り出す前に移動すべきだ!
生焼けで着火剤の味がするバーベキューを無理やり口に放り込み、パーティーをお開きにしてライブ会場へ向かう。
「今日はどんなところでライブなんだろうなぁ」
それまでのアメリカでのライブでは、日本のようなライブハウスはひとつもなく、バーが併設されたステージとマイクシステム、スピーカーだけがあるような場所が基本で、他にはボーリング場だったりと、全てがカルチャ—ショックだった。「世界は広いんだなぁ」と実感していた矢先の、アメリカ体験初期であった。
そして、この日のライブ会場についた途端、メンバー全員の頭に「?」マークが浮かんだ。
「え?ここでやるの?」
「家?だよね?」
「うん。どう見ても人が住んでいる家だね」
「ライブだよね?」
「うん。これからライブだよ」
全く状況が飲み込めないまま、アメリカのどこにでもあるような普通の一軒家(と言っても多少はボロいのだが)にある玄関の扉を開けた。そこには廊下がありキッチンがあり、部屋がある、家の形状をした廃墟とまでは言わなくても、やはり古い普通の家だった。
映画に出てきそうな、PUNKSたちがタムロする雰囲気の落書きだらけの家なのだが、そこの家主らしきPUNKSがやってきて俺たちを歓迎してくれた。
「ようこそBAD IDEA HOUSEへ。ここではいつもライブをやっているんだ」
「マジか!今日はここでライブなのか!家だぞ家!昨日泊まった家より広いじゃねぇか!」
口には出さなくとも、メンバー全員の声が聞こえてくるようだ。
「日本から来たんだよね?マーチャンダイズはこっちの部屋ね」
「子ども部屋か?」というような部屋にテーブルがあり、どうやら物販を売るスペースはこの部屋のようだ。といっても6畳ぐらいだろうか、わけのわからないガラクタも散乱しているので、かなり狭い。
「ライブをやるのはこっちだよ」
メイン会場は、リビングと思われる場所で、その家の中の部屋では一番広いスペースで、ドラムセットが置いてある。
「本当にここでライブをやるみたいだな」
メンバー一同が唖然とする中、会場時間が押し迫っていたので、物販のTシャツやレコードの入った段ボール箱を運び込み、物販部屋のテーブルにセッティングした。昨日泊めてくれたアナーバーのオーガナイザーであるアンディに物販を任せた。
通常、ライブ前は、ギターやベースのアンプ、ドラムセットなどを運び込むのだが、この日は手はずが整っているのか必要はないらしい。とは言っても、毎回ライブが始まる直前まで、どの機材を使うのかが分からない。
「本当にここでやるの?」
「もうガタガタ言ってもしゃぁないよ。やるしかないんだから」
うっすらと覚悟を決めて行く。今まで日本でどれだけ恵まれた環境でライブをやって来たのかと痛感し、アメリカHARD CORE PUNK D.I.Y(Do it your self.自分自身でやるの意味)シーンの現実に、打ちひしがれる寸前だった。
あまりの衝撃の大きさに呆然としていると、すぐに出番だというではないか。どうやらこの日の出演バンドは少ないらしく、3バンドのようだ。そのうちひとバンドは地元では有名で、アメリカPUNKシーンでもその名の知れたSTATEのため、俺たちFORWARDの出番は2番目だという。
出演直前までそのことを知らなかったメンバーたちは、急いで準備をするが曲順を決めていない。
「もうしゃぁねぇから、ライブやりながら決めよう。日本語なんかわんねぇだろうから、俺がマイクでみんなに曲名を聞くから、それをやろう」
それ以外に方法が見当たらない。すると一番セッティングの早かったツインギターのひとりT.Tが、聞いたことのあるメロディを弾きはじめた。
「テーレーレ レレーレーレ テレーレーレ レレーレー」
「お〜れ〜が いた〜ん〜じゃ およ〜め〜にゃ 行け〜ぬ〜」
寅さんこと渥美清の映画『男はつらいよ』のテーマソングだ!初めてのアメリカで初めて体験するこの状況。この時の気分がありありとわかるようなこのメロディ。
俺は床にあったマイクを拾い、声を出した。
「さぁ何やる?」
こうしてそれまでバンド経験20年以上の俺でも初体験の、ハウスショーが始まった。始まってみると「こんなに盛り上がるのか!」と驚くほどの大盛況で、これまで体験したことのない楽しさと充実感に包まれた。
「やっぱり世界は広ぇなぁ」
2004年6月。俺自身初めての海外となる、アメリカツアー3か所目の出来事だった。
ここから先は
2023年に刊行された自著「Laugh TilYou Die 笑って死ねたら最高さ!」のWEB版です。 本作に収められた話全てはもちろん、…
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!