#09 DEATH SIDE本格始動
人物、バンド名等説明
・ SHIN:GAUZEの中心人物でありベーシスト。
・ S.V.S:1980年代に活動していたHARD CORE PUNKバンド。
・ OUTO:1980年代に大阪で結成。中学生でデビューしたHARD CORE PUNKバンド。ボーカルのBUCHERはZOUOのボーカルCHERRYの実弟。
・ SYSTEMATIC DEATH:1908年代に結成された横浜のHARD CORE PUNKバンド。
・ 白(KURO):白と書いてKUROと読ませる、1980年代に北九州で結成された日本を代表するHARD CORE PUNKバンド。
・ FUJIMAKI:元鉄アレイ、BAD ROTS、DEATH SIDEのドラムス。
・ ISHIIちゃん:元DEATH SIDE、SLIP HEAD BUTT、小心者などのベーシスト。当時のライブハウス、特にTHE TRASHのライブには必ずいた人物。
・ イノ君(RAN-LIN):元ASYLUM、POISONなどのドラムス。CHELSEAとずっと一緒にバンドをやっていた
・ YOU:元SYSTEMATIC DEATHベーシスト。DEATH SIDE、FORWARDでISHIYA と共に活動。
・ HUNG THE SUCKER Vol.2:広島のHARD CORE PUNKバンド「愚鈍」のギタリストであるZIGYAKUがやっていたインディーズレーベル「加害妄想RECORDS」から発売されたシリーズオムニバスアルバムの第2弾。
・ BLOODY SUMME TOUR:1987年夏に、LIP CREAM、OUTO、 DEATH SIDEによって行われた日本全国ツアー。ツアータイトルはLIP CREAMの曲名から。
・ LEMMY:THE EXECUTEの中心人物でギタリスト。
#09 DEATH SIDE本格始動
こうして東京に出てからは居候生活をしながら毎日、原宿竹下通りに溜まっては悪さをしてライブに通う日々だった。
ちょうどこの時期に、東京のライブハウスでも、DEATH SIDEとしてHARD CORE PUNKのライブに出演させてもらえるようになっていった。
GAUZEのSHINさんに誘ってもらったり、THE TRASHのライブに出演させてもらったりしたのだが、日本のHARD CORE PUNKシーンでトップのバンドたちと一緒にライブをやっていると、どうしても高校生のメンバーには限界を感じるようになってしまった。
中間試験や期末試験のときにはライブができない上に、髪型やルックスなども全く派手にはできない。10代のPUNKSであれば、ルックスも重要だったし、オリジナル曲はあったものの、どうにもピンと来る感じではなかった。参加させてもらったバンドであるにも関わらず、俺はメンバー全員をクビにするような形で新たなメンバー探しを始めた。
そして、この時期にいつも一緒に遊んでいたCHELSEAにヘルプを頼むのだが、新生DEATH SIDEついては、自著「「ISHIYA私観 ジャパニーズ・ハードコア30年史」(Note連載「ISHIYA私観 平成ハードコア史」第一章、第二章、第三章、第四章)に書いてあるので詳細はそちらを読んでいただきたい。
CHELSEAは高円寺の溜まり場だったアパートから出て、当時の彼女と別のアパートに住んでいたので、その部屋にもよく遊びに行き泊めてもらった。
このアパートの時代に、CHELSEAがDEATH SIDEでヘルプをやってくれることになったと思う。この部屋でDEATH SIDEの1st シングル1曲目の「DRUNK TOO MUCH」を作った。
元々は俺が持っていったリフをCHELSEAがあれよあれよという間にあの曲にしたのだが、原型は平歌リフのバッキングのコード3つのみに残されているだけで、全く違う曲になった。このときに「こんな曲になるのか!こいつ凄ぇな!」と思ったのを覚えている。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!