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1+1=2?本当に?絶対に?

最初に教えてもらったのがいつなのか思い出せないほどに算数の基礎中の基礎である、「1+1=2」。

”ここにりんごが1個あります。もう1個りんごを持ってきたら合計でりんごは何個あるでしょうか?”                              など身近なものを題材に覚えていった方が大半ではないでしょうか。                 私もたぶんそうっだのでしょう、覚えてないですが。                     

「なんでそうなるんですか?」と質問しても「そう決まっているから」としか答えようがないと思います。もしかしたら数学の研究者の方々は論理的に説明してくれるかもしれませんが、文系な私には無理です。

あいにくまわりに数学者がいないので、湯船につかりながら「1+1=2」という結果は覆らないのかな?とちょっとした思考実験をしてみました。考え事は入浴中が一番です。

①まず「りんご」1個が机の上に置いてあり、後から「りんご」1個をその横に置く。                              →1+1=2                                   これは疑いようがありません。通りすがりの他人に結果を見せて「りんごは何個ありますか?」と聞いても2個と答えるでしょう。

②「粘土の塊」2個を混ぜ合わせ1個の塊にする。             →1+1=2?                             そもそもこの状況が頭に浮かんだことがきっかけです。この場合混ぜ合わせた粘土の塊を途中経過を知らない人に見せたら1個と答えるでしょう。               つまり1+1=1。

③水の入ったコップが2個ある状態で、片方のコップに水をすべて移しもう片方は空にする。                                結果、コップの数は変わらず2個→コップ1個+コップ1個=コップ2個。                                      ただし「水が入っている」という条件を付ければ→水入りコップ1個+水無しコップ1個=水入りコップ1個。

自分でも屁理屈だなと思っていますが、もし②のように子供と粘土で遊んでいて「”1+1=2”じゃないの?」と聞かれたらどう説明していいかわかりません。

①と②③では条件が違うというツッコミがあると思います。                ですが、「条件が違うと結果が変わる」のであれば、数学というのは意外と不安定なものの上に成り立っているなと考えてしまうのは極端すぎでしょうか。       

もしかしたら上記の疑問は百も承知で、毎回「1+1=2 ※ただし○○の場合は成立しない」などの注意書きを添えるのは面倒なので省略してるだけなのかもしれませんが。                                                             

別に数学を否定しているわけではありません。                      膨大で緻密な計算がなければ現在までの発展はなかったことは疑いようのない事実です。                                    ですが、もしかしたら、万が一いや兆が一、すべての根幹である「1+1=2」が曖昧なものであったとすると未だ解明できない計算できない事柄があってもおかしくないのかもしれません。                     宇宙の始まり、タイムマシン、ワープ航法などなど現状解明や開発が不可能な理由もこれなのかも!?

すいません、だんだん自分でも何を書いているのかわからなくなってきたのでそろそろ締めます。                                今回言いたかったことは「常識を疑え」という何かのキャッチコピーみたいなことなのかもしれません。                            当たり前のこと、今更考えるまでもないことを再検討したさきにあるのがパラダイムシフトです。                                「1+1=2」という一見絶対的な計算ももしかしたら・・・                    数学者の方々の健闘を祈ります!他力本願万歳!


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