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記憶力が悪いことにもメリットはある

自分の好きな作品を皆さんにも知っていただきたい、読んでいただきたいという情熱はあるのに、読書感想の記事を書き始めるとすぐにタイピングの指が止まります。

タイトル・作者名・あらすじを入力……でストップ。言葉がでてきません。下書きで保存です。

それでもなんとか書きたいな~、noteを始めた理由の一つでもあるしな~、まあでも他に書きたいことはあるしいつか書けるだろうと記事の作成を棚上げしていました。

そんな時にYouTubeのとある動画で「本に限らずレビュー記事は体裁を気にするよりも思いのたけをぶつけた方が読者に届く」とスキンヘッドにグラサンのフリーライターさんがおっしゃってました。

雷が落ちるとはまさにこのこと。

そうか、私はプロでもないのに少しでも上手く書き上げなければと思い込んでいた。だから指が止まってしまったのか。そもそも文章力の修行として始めたnote、体裁など気にせず思いのたけをぶつければいいのだ。

一条の光明が見えた気がしました。

よーしそれじゃあまず場面場面で感想を書いてみよう。でそれを最低限読める文章に直すという流れで……よし、いける!

・・・

・・・・・・

いけませんでした。光明は気のせいでした。

「あれ? 物語の導入ってどうだったっけ?」「登場人物は何人?」「トリックは?」「そもそもどうやって終わった? オチが思い出せない」

面白かったという感動は覚えています。なんとなくのあらすじも覚えています。でも物語の詳細はすっかり忘れていました。

体裁とかいう以前の問題です。覚えてないものの感想なんて書けるわけがありません。なんとも単純な答えでした。

とは言え、今まで読んだすべての本を忘れているわけではありません。定期的に読み返しているものや最近読んだものはさすがに覚えています。

ですが、記事で取り上げたい作品はどちらかと言えばマイナーなもので1回しか読んだことのない作品がほとんどです。3ヶ月以上経ってしまうとだいたい忘れます。

仕方がないので本棚から記事にしようとした本を引っ張りだしてきて読み返すことにしました。忘れたのならもう一度読めばいいのです。

やっぱり面白い。ああ、そうだったと思い出す箇所もあれば、既読のはずなのにまったく覚えてない箇所もあります。むしろ覚えてないほうが多いかもしれません。

ハッと気づきました。今度は気のせいじゃありません。

2回目なのに新鮮に楽しめている。

よく「記憶を消してまた読みたいな」と言ったりしますが、まさにその状態です。感動再びです。

記憶力は良いに越したことはありませんが、人と比較して自分は悪いのかなと感じているご同輩の方々にお伝えしたい。記憶力が悪いことはけっして悲観することでは無いということを。
何故なら、我々は時間をおけばあの名作の感動を新鮮な気持ちでまた味わえるのですから。

一度見たもの読んだものはなかなか忘れないと記憶力マウントを取ってくる脳みそフル稼働人間どもにドヤ顔で言ってやりましょう、

「私は”それ”できますよ」と。


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