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福沢諭吉と親ガチャ
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
『福沢諭吉』著「学問のすゝめ」冒頭の一節です。
「学問のすゝめ」は未読でも「天は~」の一節は誰しも一度は聞いた事があるかと思います。
”人は皆平等”という意味でよく使われる一節ですが続きがあり、実はそちらも含めたものが本来『福沢諭吉』が言いたかったことなのです。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり。されども今廣く此人間世界を見渡すにかしこき人ありおろかなる人あり貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや」
である。つまり、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている。人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう? 」
あくまでスタートラインが平等なのであってそこから先は本人次第。
だから勉強しなさいと言っている。
それゆえに「学問のすゝめ」。
さすが『福沢諭吉』。良い事おっしゃる!
……とは素直に思えませんでした。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
はたしてそうでしょうか?
真っ先に思い浮かんだのは少し前に話題になり賛否両論巻き起こした、
『親ガチャ』という言葉です。
親ガチャ(おやガチャ)は、SNSの普及で他人の私生活の良い面が見えるようになったことで、羨望する他者との遺伝的要因(生まれ)と環境要因(育ち)の違いを「努力では挽回できない差」と“ガチャ”に例えた日本のインターネットスラング。ベースと本人の努力で人生は決まるが、「親ガチャ」という言葉はベースで人生の結果が決まるというニュアンスが強いために、言葉への反感もある。
『親ガチャ』……嫌な言葉です。
出来ればあまり聞きたくない、まさにスラングです。
しかし現実に存在している格差を的確に表している言葉でもあります。
「『親ガチャ』など存在しない!」と何の疑いもなく言える人はさぞ幸せな人生を歩んできたのでしょう。
親類縁者に恵まれ、お金の心配をしたことがなく、将来の選択は努力次第。
幼児虐待や一家心中などの悲惨なニュースを聞いても現実のこととは認識できないのかもしれません。
貧困という状況がどういうものか理解できないのではないでしょうか。
「議長になっても、毎月もらう歳費は100万円しかない」
「月給で手取り100万円未満であるような議員を多少増やしたって罰は当たらない」
こんなことを平気で発言する人間が政治家をやっている以上、格差は広がる一方です。
”だからこそ勉強するのだ”
正論です。
どん底から必死で勉強し成功をおさめた人がいるのも事実。
しかし何の努力もしないでそれ以上の恩恵を受けている人もいるのも事実。
塾に行きたくない子供。
塾に行きたくても行けない子供。
入学金や授業料の心配などすることなく親の金で遊びまくる大学生。
親に迷惑をかけまいとバイトを掛け持ちさらには奨学金というなの借金を背負う大学生。
平等ですか?
学問をすすめられても学ぶことができない子供はどうすれば?
『福沢諭吉』と言えば「一万円札」。現状我が国の最高金額紙幣です。
何とも皮肉な人選だなと今更ながら思ってしまいました。
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