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戦国アニマル大集合!

小説・漫画・映画などで豊臣(羽柴)秀吉は織田信長を筆頭に格上の人々から『猿』呼ばれています。

サル

実際にそう呼ばれていたのかはわかりませんが「秀吉=猿」というイメージは覆すのが難しいほど浸透していると思います。

同時代人である、「松下之綱」「玉木吉保」「ルイス・フロイス」らも秀吉の容姿を『猿』のようだったと記していることからも単純に見た目から付けられたあだ名だったのでしょう。

秀吉にはもう一つ動物のあだ名があります。
織田信長が秀吉の正妻「ねね」に送った手紙で、秀吉の事を『剥げ鼠』と記したこともあり、もしかしたら信長からは『猿』ではなく『剥げ鼠』と呼ばれていたのかもしれません。

ネズミ


戦国時代は他にも動物のあだ名・異名を持つ武将がいるので思いつく限りご紹介します。


タヌキ

『狸』と言えば、『狸親父』と言われている「徳川家康」でしょう。

かなり太っていたという容姿と、悪辣な手段で豊臣家を滅ぼし天下を奪い取ったことから『狸親父』というあだ名が付けられたそうです。

秀吉と違い、生前にそう呼ばれていたのではなく江戸時代が終わり明治になってから付けられたものです。


トラ

『虎』と言えば、風林火山でお馴染みの「武田信玄」です。

戦上手で『甲斐の虎』と呼ばれ恐れられていました。どれくらいかと言うと魔王織田信長もビビるほど。

そして信長の父「織田信秀」も『尾張の虎』と呼ばれていました。もしや父ちゃんと同じ異名だったから恐れていた?


リュウ

信玄ときたら『越後の龍』「上杉謙信」でしょう。
毘沙門天の化身とも言われこちらも織田信長が恐れるほどの戦上手。
信玄と謙信、まさに竜虎相打つといったところです。

そしてもう一人の『リュウ』といえば、あと十年早く生まれていれば歴史が変わっていたかもしれないでお馴染みの、『独眼竜』「伊達政宗」です。

伊達政宗が「独眼竜」のあだ名で呼ばれるのは、江戸時代後期の儒学者・頼山陽の賦した漢詩にまでさかのぼる。山陽の没後、天保12年(1841年)に刊行された『山陽遺稿』に収められた「詠史絶句」15首のひとつに、政宗に題をとったものがある。天保元年(1830年)の作とされている。

Wikipediaより


シシ

『相模の獅子』「北条氏康」。
大将でありながら軍の先頭に立って戦うことからついた異名です。
武田信玄、上杉謙信らの猛攻を籠城戦で跳ね返したという名将。
このお方が生きてたら秀吉の小田原征伐も変わっていたかも!?


ヘビ

油商人から戦国大名まで上り詰めた『美濃の蝮(マムシ)』「斎藤道三」
はまさに下剋上を体現者です。
帰蝶(濃姫)の父であり一説では明智光秀の元主君とも言われ織田信長と関わり合いの深い人物でもあります。


クマ

『肥前の熊』「龍造寺隆信」。
肥前国の戦国大名。肥前の国は現在の佐賀県と長崎県(壱岐・対馬を除く)。
”龍造寺”なのに”熊”とはこれ如何に? とは思っていても突っ込んでいけません。

「五州二島の太守」の称号を自らは好んで用いたが、肥前の熊の異名をとった。少弐氏を下剋上で倒し、大友氏を破り、島津氏と並ぶ勢力を築き上げ、九州三強の一人として称されたが、島津・有馬氏の連合軍との戦い(沖田畷の戦い)で不覚をとり、敗死した。

Wikipediaより


キツネ

権謀術数に長け『羽州の狐』と称される「最上義光」。

戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。南羽州に勢力を広げ、縁戚である伊達輝宗・政宗と争う。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、57万石の版図を築く(『徳川実紀』)。

Wikipediaより

伊達政宗の母の兄、つまり伯父さん。
徳川家康や伊達雅政宗さらに家臣にまで鮭を贈っていたという無類の鮭好きの一面もあります。


コウモリ

織田信長から『鳥なき島の蝙蝠』という不名誉な呼ばれ方をされたと言われるのが「長曾我部元親」です。

鳥がいないところでは、ただ飛べるというだけでコウモリが偉そうにする、あるいは偉そうに見えることから、ある分野に関して、本当に優れた人がいないところでは、ちょっとその分野に知識等があるだけで、その道の権威然とすることのたとえ。

Wikipediaより

出典が18世紀に成立した「土佐物語」からなので実際に信長が言ったという信憑性は低いと言われています。


ウシ

武田信玄・勝頼に仕えた武田二十四将の一人『甲斐の猛牛』
「秋山信友」……ではなく近年では「秋山虎繁」と言うそうです。

諱は『甲斐国志』による「信友(のぶとも)」や、近世の軍記物に拠る「春近(はるちか)」「晴近(はるちか)」「信近(のぶちか)」とする説もあったが、近年は『戦国遺文』『山梨県史』の編纂事業に伴う文書調査によって武田家臣の実名の確定作業が行われ、確実な諱は署判部分の写により「虎繁」であることが指摘されている。「虎」は武田信虎からの偏諱であると考えられている。また、実名の誤伝のうち「晴近」は虎繁の同心である「春近衆」が訛伝したと考えられている。

Wikipediaより


オオカミ

『雲州の狼』「尼子経久」。出雲守護代、のちに出雲守護。

北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、大内義興と戦い、尼子氏の領地を広げ、全盛時代(実際の全盛期は彼の嫡孫にあたる尼子晴久の代)を作ったことから、「謀聖(ぼうせい)」「謀将(ぼうしょう)」と称された。「毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才」とも云われ、経久、元就、直家は中国の三大謀将とも称される。

Wikipediaより


他にもあるかもしれませんがとりあえず今回は以上です。

戦国武将にはあだ名や異名・二つ名が数多くあり自称他称様々です。
今回は動物しばりにしてみました。
いずれ他の分類も記事にしたいと思っています。


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