はてしない石の物語#68~「余計なお世話」を伝えたネックレス~
高校時代仲良くしていた友人のお母さんが、20歳になった時にお祝いにネックレスを贈ってくれました。それはゴールドの可愛らしいネックレス。嬉しいのと同時に「こんな高価なものを?」という戸惑いもあったことを覚えています。それでも、とても使いやすいデザインでよく身につけていました。
このネックレスをK先生に見ていただいたところ、「そのお母さんの顔を思い出せる?どんな表情?」と聞かれました。友人のお母さんはよく私たち友達を家に招待してくださって美味しいものをご馳走してくださいました。また私は、少し離れたところにある美味しいことで有名なお店にお父さんの車で連れて行っていただいたこともありました。思いだされるお母さんの表情はいつもニコニコして明るいものでした。そのように伝えると、先生は「なんかいつも心配でたまらない、という表情をしているように見えるんだよね」とおっしゃるのでびっくり!どう思い出そうとしても、そんな表情は浮かびません。「お母さんがいつもニコニコしていたのは、娘が心配で、招待した友達たちにどうかよろしくね、という気持ちが強かったから。もてなして、この子の友達でいてね、という気持ちがあったから」とのこと。
そういえば、友人はとても個性的な人でした。私たちの高校は自由な校風で有名なところでしたが、その中でも個性が際立っていて、周りのことは全く気にしない、という雰囲気を持っていました。本人は友達はいてもいなくてもあまり気にならない、そんな感じでした。お母さんはそんな娘が心配で、なんとか友達を作ってほしい、という気持ちが強かったのでしょうか・・・
先生の話は続きます。「お母さんはあなたのことが気に入っていて、ずっと友達でいてね、という気持ちを込めてこのネックレスを贈った。だからかなり重いよね」と。「その友達とは今は?」と聞かれたのですが、卒業後もしばらくは年賀状のやりとりなどしていたのですが、その後彼女は引っ越しをし、そのうち年賀状が届かなくなり連絡が途絶えました。当時は携帯電話などもなく、住所がわからなければ連絡とることが難しかったのです。
「なるほど・・・お母さんは今でも娘のことが心配でたまらないらしい。うーん、その友達とまたつながった方がいいのかなあ」と先生がおっしゃるので、私は(誰に聞いたら連絡先がわかるのだろう?同窓会名簿でも不明となっているからわかる人がいるとは思えないなあ、どうしたらいいかな)と考えていました。でも、先生は「いや、それは余計なお世話だ」ときっぱり。「その友達は母親の心配などどこふく風という感じでいる。それなのに、いくつになっても心配していることの方が問題」と。
そして「このネックレスは浄化した方がいい。それがうまくいけば、お母さんも心配から解放されるかもしれない」と。浄化方法としては水晶の上に3か月とアドバイスいただきました。
浄化期間が終わって見ていただいたところ「すっきりしたね。お母さんももう心配な顔をしていない」と。ネックレスに関しては「あなたにメッセージを伝えたので役割を終えた。これからはアクセサリーとして楽しんだらいいよ」とのことでした。
正直なところ、もう何十年も娘を心配していたお母さんの気持ちがネックレスを浄化したことで解放されたと信じることは難しい気もしています。「はてしない石の物語」としてnoteに綴っている物語はどれも証明は難しいことばかり。でも、いつもすーっと私の心は素直に受け止めているのです。そして今回私が最も腑に落ちたのは、友人に再度連絡をとることは「余計なお世話」と先生がきっぱりおっしゃったこと。今回のこのお話はとても深いものがあるように思っています。「人を想うとはどういうことか」「子どもを想うとはどういうことか」「自分がするべきことは何か」そういうことを考えたときに、とても示唆に富んだエピソードだと思うのです。
友人のお母さんが今おいくつになるか正確にはわからないのですが80歳くらいになっているかもしれません。その年月をどう生きたらいいのかということ、子どもを想うことは「心配してお膳立てをすること」ではないということ、そして私自身も「余計なお世話をしていないで、自分のするべきことをしてこそ」ということ・・・
そう、今回私の心に最も響いたのは「余計なお世話」という言葉だったのです。それは一見厳しい言葉のようですが、私にはとても清々しい光に感じました。そう言われたときに心が解放されたのです。
「子どものため」と思っていることが「余計なお世話」になっていないか、また自分がしているいろんなことが、「実は余計なお世話」になっていないか、そういう視点で考えることは、人生を悔いなく生きるためにとても大事なことだと思います。でもその見極めが難しいのですね。難しくても、もし今「もやもや」が心にあるのなら一度立ち止まって考えてみることは大事なことだと思うのです。
このアクセサリーは役割を終えたとのこと。でもこの物語によって大切なことを多くの人に伝えるという大事な役割をこれからも果たしてくれるでしょう。
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