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京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(39)/サルナート④ 釈尊の“教え”四諦

前回、釈尊(ブッダ)は、「中道」こそ、聖者が選ぶべき道だと修行者達に、自らの実体験を踏まえ、解り易く説いた。
そして、この「中道」を歩む為には“人生は全てが苦(一切皆苦)”だと云う真理を得ることが大切であり、さらに、そこを起点に展開される“教え”「四諦/したい」を学び、実践する事が必要だ。と話が進み、今回はその「四諦/したい」について、釈尊は語る。


釈尊、トイレ休憩から戻り、衣で手を拭きながら、開口一番。「人生は全てが“苦”なんドス。え~ナンデ、苦なん?ちゅう皆さんのお顔に応える“四諦の真理”について話します」


【教え2】「人生=苦」の真理を四諦に学ぶべーし!。

釈尊曰く…
「え~まず四諦とは、①苦諦、②集諦、③滅諦、④道諦の総称やけど、諦はアキラメでは無く、シンリちゅう意味。ドス」
「つまり、人生は全て苦やけど、その“苦に関して四つ真理”があるっちゅうことドス。ほなら、順番に説明をしますえ」

【①苦諦/くたい】とは
「え~人生には、誰も避けられヘン、四つの苦しみがあります」
「それは、生・老・病・死、ドス。これは科学が、ナンボ進歩しても、どなたさんも避けられへん、人生の苦しみ。ドス」
「他に、愛する人との別れ、嫌な奴との出会い、望んでも得られない苦しみがあり、要するに、人が身体に感覚や感情や思考を備えて生きる事が、そもそも“苦”やデ。ちゅうのも含めて…」
「四苦八苦と申します」
「ハイ、知ってる四文字熟語、ドスエ」
「つまり人生は四苦八苦であり、生きる事は全てが苦(一切皆苦)である。ちゅう真理(苦諦)を原点に置く事が、重要なんドス」

「人は元々、自分では制御できひん“苦”を背負ってるちゅう事」「あ~そこの君、寝たらアキマヘン」思わず、目をむく修行者B。
「ところで、この苦にも“苦が生じる原因”があるんやけどー」

【②集諦/じったい】とは
「その原因って、なんやろ?」サッと目をそらす、修行者D。
「答えは~、人の欲(煩悩)が作る“執著/しゅうじゃく”ドス」
「食欲、睡眠欲、性欲などの本能的欲と、財産欲、名誉欲などの五欲が、モノへの“執著”を生んで、心の苦しみとなるんドス」
「手にした成功や財産を失いたくない。いつまでも綺麗でいたい。ちゅう思いが強いと、失うことの恐怖が、心の苦痛となるように、モノへの“執著”が強く、多く集まると“苦”が生まれるんドス」
「この“苦”の原因は“執著”ちゅう、真理が、集諦なんドス」

【③滅諦/めったい】とは
「ちゅう事は反対に“執著”がノウなったら、人の“苦”もノウなる(滅する)ちゅうわけで、この真理が、滅諦と申します。ハイ」「つまり悪い結果に繋がる、悪い原因を無くしたら良い。ちゅう事」「B君も説法中に寝とったら、悟れまへんえ」思わず、目をむく修行者B。

【④道諦/どうたい】とは
「そして、この“執著”も、行いで無くせる(滅する)ことができる、ノウハウ(修行法)がありますよ。ちゅう真理が、道諦。ドス」
「さらに、この道諦の道こそ、聖者が歩む正しい道、中道であり、その正しい道を歩む為の、八つのノウハウ(修行法)が八正道。ドス」
「さ~て、この釈尊オリジナルの修行法である“八正道”ですが~」


と、釈尊の説法は、いよいよ核心に迫る。
のだが、今回の連載ブログ「インド仏跡巡礼」では、ここまでにしておきたい。何故?なら、あと一回で、本ブログも40話。
取あえずこの切の良さで「インド編」は完結したいと云う、勝手な理由と、続いて、最近訪れたミャンマーについて話す「ビルマ仏跡巡礼」へと、連載を移したいからである。

が本当の理由は、釈尊の最初の教えとされる、原始仏教については、もっと丁寧なアプローチと考察で、内容を探りたいと考えており、さらに。
釈尊が生まれた時代とも、国とも、社会構造や人種とも、全く異なる、今の日本の中で、釈尊の教えが、どのように活かされるのかと云う、メンドクサイ事も含めて、次の「ビルマ編」の後で、凡夫なりに、まとめられたら良いな、と思うからである。
とか何とかで、やっと次回は、ヤレヤレの最終話である^^。

最終話/インド仏跡巡礼(40)へ、続く

美しすぎるブッダ。ドス (in Myanmar)

(2015年9月21日 記)

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