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京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(28)ブッダガヤへの道

「ナーランダ大学」からブッダガヤまでは、約80kmの行程だ。ずうっと悪路を長い距離、走り続けてきたので、何だそれ位かと、安堵している。

そう言えば、昨日からあまり仮眠をすることなく、揺られていて、ポンコツな思考回路がさらにマヒしているようだ。少しでも休もうと、瞼を閉じるが、ヘンに頭が冴えて寝れない。
周りでは静かな寝息も聞こえ始め、羨ましさを感じながら、ボンヤリと、外の明るい青空の下に、流れる景色を見つめている。

デザイン学校の頃、徹夜で課題を作り、そのまま授業に出て、講義も聞かず、ボーっと見ていた、四角い空の色が想い出される。
近頃、昔の風景が想い起されるのは、やはり歳のせいかな?などと思ううちに、空の青に、緑や茶色がブレンドされて、やがて、優しい、まどろみが訪れてきた。


我々を乗せたバスは、雲ひとつない青空の下を、ただひたすら、ブッダガヤ、ブッダガヤへと向かって、走り続けている。
途中、交差する道路や分かれ道など、ほとんど見えない。地面に棒で真直ぐな線を引いたように、道は続いている。

ホテルを出て直に、“古代の轍”と云う、遺跡を見た後は、車はずうっと走りっぱなし。考えてみると、我々より、運転手のほうが、何10倍も大変なはずである。昨日の朝からほとんど寝ずに、悪路と睡魔と、異常な運転マナーの車達と、闘いながら運転してきたのだ。
初日に空港で、今回のツアースタッフを紹介された時は、運転には男性が二人つくように、思われた。だが実は、運転手は一人。もう一人は荷物を運んだり、バスの昇降口に、踏み台を置いたりする手伝い役だった。


インドは、今も身分差別の強いカースト制度が残っている。それを前提に、働ける職業も決められてしまう。
身分が低い人々には、人の嫌がるキツイ、汚い、危険な仕事。特に手足を使う仕事があてがわられ、代々、受け継がれた。
死体や汚物処理だけでなく、日本では考えられないが、コック、大工、理容師、運転手も下層クラスの仕事とされているようだ。

我が、石屋も、間違いなく、同じクラスだろう…インド社会の暗部については、ネットでも多くの事が書かれ、驚く内容も多いが、ただインドの観光地を巡っただけの者が、表層だけを見て語れる事ではなく、避けたい。

だが、この運転手には、自分の任務に対する強い責任感と、職業人としてのプライドがあることは、しっかりと感じられた。
乗客の見学中や食事中に、後部座席で束の間、横になり、時間になると、にこやかな笑顔で起きて、また運転する。相当に疲労しているはずだが、それを感じさせない。

当時、日本では、深夜バスが、運転手の居眠り運転の為、悲惨な追突事故が起きたばかりなので、肝はヒヤヒヤだ。そんな乗客の思いとは別に、バスは軽快に目的地へと進む。


万里の長城のような高い、石垣の築かれた山を後にして、

パラパラと痩せた牛が草を食む、放牧の風景を横目に、幾つも丸々とした巨石が、意味無く(?)積まれた草地を越え、

屋根に人をのせてバスが、疾走するアスファルトを滑り、大きな夕陽が、高木にシルエットをあたえた、野を駆ける。

やがて、バスは賑やかな街の灯りと喧騒に迎えられて、ブッダガヤへ。今まで見てきた場所とは、うって変わり人と車と、光と音の溢れた、釈尊(ブッダ)の聖地へ着いた。
バスが止まり、エンジンを落とし、振り向いた運転手に、誰もが惜しみない、感謝と慰労の拍手を送った。


さ、明日はいよいよ、釈尊(ブッダ)の悟りの聖地、ブッダガヤ。世界遺産「マハーボディ寺院」の見学である。

インド仏跡巡礼(29)へ、続く

(2014年12月31日)

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