見出し画像

京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(33) 聖地ベナレス②バラモンと仏教

ベナレスは、Varanasiと書き、実際はワーラーナシーと呼ぶ。ベナレスは、英国が植民地時代に誤訳した呼び名だが、今でも日本の旅行社のパンフやネットの記入に、多く使われている。なので、ここでは、ベナレスの地名で話を進めたい。

ベナレスは「聖地」として、3000年以上の歴史を有している。
当時のインドはバラモン教が、強い影響力をもっていた時代だ。バラモンとは司祭階級を指すが、バラモン教は、紀元前1500年頃から、インドを侵略し始めたアーリア人が、先住民を支配する中で創出した宗教=バラモン中心主義の統治システムである。

雷、火、太陽、風、雲などを自然崇拝する多神教だが、多くの聖典(ベータ)を作り、バラモンの教えを体系化し権威づけた。
バラモンは祭祀により、神々も動かせる絶対的な力を持つとして、王の上に立ち、国の祭祀を独占する事で大きな力と富を得た。

さらにバラモン以下、四種姓(ヴェルナ)の身分制度を作った。
今もなお、インドに続く「カースト制度」の原型である。司祭者“バラモン”の下に、王族、武人の“クシャトリア”次に、農業、商工業に従事する平民“ヴァイシャ”、さらに先住民を奴隷“シュードラ”として、小作人や使用人の身分に置いた。

カーストは宿命的で、個人の“能力や努力”では変えれない。
バラモンの子は司祭となり、シュードラの子は奴隷となる。全階層で世襲が行われ、職業選択の自由などない。

そして、この固定化した社会を支えたのが、原始インドの時代から人々に浸透していた、“輪廻転生”に基づく死生観である。
人は死んでも霊魂は不滅。また別の体を借りて、生れ変わり続ける。

だが、どの身分に生まれるかは、前世の行い(業)の結果によるもの。
仮に今、王族で幸せな人は、前世に良い行い(業)を積んだ人であり、逆に今、低い身分で貧しさに苦しむのは、前世で悪行を重ねたから。

因果応報。今の苦しみを受け入れて、来世の為に徳を積みなさい仮に今、王族で幸せでも、悪行を重ねたら、来世は奴隷になるかも。
逆に今、低い身分でも、良い行い(業)で徳を積めば、富豪になるかも。良い行いとは、バラモンに従い多くの祭事をして、お布施もはずむ事。
さすれば、来世は安泰。輪廻転生、万歳。バラモンBANZAI。と、バラモン様は、時に耳元で囁き、時に、声高々と訴えたのである。


永く続いたバラモン社会だが、行われる祭祀も徐々に儀礼的となり、時代の変遷と共に、バラモンの権威や力も衰え始めていく。
一方、ガンジス河中流域を初めとして発達した稲作は、食糧の貯えを可能とし、富の拡大を促す。
その結果、地域間の争いは増え、小国から大国への統合も進み、都市が形成されていく。

村から都市へと、人、物、金が流れ、市場経済が躍動する。
バラモンに代り、新たに王族が力と富を持ち、都市では商工業を営んで成功したヴァイシャからも、超富裕層(富豪)が誕生する。
自由競争に基づく経済の発展は、既存の体制の矛盾を曝け出し、新しい価値観を生み、社会構造や通念も変えるパワーを創出する。

この時代の転換期に、釈尊(ブッダ)はシャカ国王子として誕生した。
29才で出家し、6年間の激しい苦行の後に、瞑想により悟りを開く。
紗門と云う、新しい思想家の一人として、バラモン教による身分制度を否定し、平等主義を掲げ、分け隔てなく、生き方の“智慧”を広めた。
来世の為でなく、今の四苦八苦を滅し、生きる為の教えと実践を…

そんな釈尊(ブッダ)を強く、支持したのが、階層に縛られず個人の“能力や努力”で伸し上がってきた、王族や富豪たちであった。


ベナレスから北へ約10kmの郊外に、悟りを開いた釈尊(ブッダ)が、教えを初めて伝え(初転法輪)に行った街、サルナートがある。
そのサルナートから仏教の教団化が始まる。当然、隣町のベナレスも、多くの仏教信者が集い、寺院も造られていたと想像される。

だが、今のベナレスは、ヒンドゥー教一色の街模様である。
インドから誕生した仏教は、釈尊(ブッダ)入滅後、約100年を経て戒律の解釈の違いから根本分裂し、大衆部と上座部に分かれた。

さらに、両派内で細かい分裂(部派仏教)を続け、紀元前1世紀頃に大乗仏教と上座部仏教に分れ、北へ、南へとインド国外に伝播した。
しかしインド国内では、仏教の分裂により、信者離れも始まって行く。

呼応して、バラモン教の進化系「ヒンドゥー教」が、土着の神々や伝説のヒーローを取り込み、民衆の支持を受けて躍進する。
あの釈尊(ブッダ)さえも、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌの九番目の化身として取り込まれ、ラインナップされていったのである。

また、以前、ナーランダ大学の時にも書いたように、仏教は12世紀末、イスラム勢力により、主要な仏教施設への攻撃を執拗に受けている。
その時、多くの仏教徒は殺害されたり、国外に逃れているが、中には、イスラム教やヒンドゥー教へと、改宗した人々も少なくない。

最もインドでは既に、仏教は民衆の支持を失くしていたとも云われているが、何れにしても12世紀の終わりには、インドから仏教は、限りなく消滅に近い状態になっていたようである。

3000年以上の歴史を持つ、「聖地」ベナレス。
この街の“偉大なるガンガー”の流れの如く、諸行は無常であり、この世にある一切の物は常に移り変わり、不変の物など無い。

だが…この街は、遥かな時の流れの中で、幾多の宗教者の盛衰を見ながら今も変わらず、ガンガーに願いを寄せる人を迎え、歴史を重ねている。

インド仏跡巡礼(34)へ、続く

(2015年3月10日 記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?