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#踊り念仏

栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・6

栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・6

思い込みは何度も捨てていい

栗原:でも、そうなんですよね。一遍だと「人間じゃない、仏になれ」という発想なんですけど、常に人として植え付けられている常識ではなくていいという。例えば不道徳に開き直るのはちょっと怖くてできないと。それができなくてダメだなというときにでも、それができなくっても「ダメ」にだって開き直るさ、というところです。

――相手がとか、社会がとか、人が人と比較して判断するところに落

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栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・5

栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・5

                捨ててこそ

――なるほどね。でも、いくら中世といっても、凄すぎですね。日本でそんなことやってる人がいた。で、それに付き従う人も沢山いたというのが。

栗原:それこそ、踊る前から一遍というのはすごくて。すべて「捨ててこそ」でいくんだと決めてから30代後半で旅に出るんですけど、最初は何も持たない。自分で稼いで食い物とかをゲットしたらもう自力になっちゃうんで、全部施しで

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栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・4

栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・4

                浄土教の教え

――時宗の考えは鋭いところもさまざまあると思います。どうでしょう?ちょっと解題、いただけませんか?一遍上人の歩みみたいな部分を含めて。

栗原:そうですね。一遍上人は時期的に鎌倉中期の人で、元寇があったころです。蒙古に攻められるとかいうことがあった時期で、浄土教という教えの一派で法然という人が一遍の「ひいじいちゃん師匠」というか、一遍は浄土教の中では

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栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・3

栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・3

           書きながら自分も自由になっていく

――で、つまりこれだけ漂白された2000年代にね。栗原さんのように、ある意味乱暴な言葉で表現せねばならないという人が出てきたということで。「うれしいなあ」と思って。

栗原:ありがとうございます。

――いや、本当にそうです。結局人に預けちゃう(笑)。じゃあお前は何をやってる?という話ですけど。

栗原:いやいやいや。

――頑張ってインタ

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