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学校であれ、職場であれ、家庭であれ、暴力はあってはいけない。


以前、娘が男子の生徒に学校で石を投げられておでこに当たった事。
パンチされた事を書いた。

今日は私の思考が以前と変わって、行動に繋がる話。

思考が変わるきっかけというのが...
過去に娘さんが男子生徒から暴力を伴ういじめに逢ったことがあり、
教師とその本人と保護者ときちんと対話をすることによって、問題を根本解決したことのあるパパさん(NZの人)からの重みのあるアドバイス。


そして、今私がまっすぐに向き合っているのが

いじめ(暴力)はあってはいけない。


という事。


少し話が変わるが、小学校5年生の頃、私が空手を本格的にやりたいと思う前の話...
空手に出会ったきっかけは、偶々、父の職場の知人の紹介でその選択肢が降ってきただけではあるが、興味を持つのにはまた、別の理由があった。

学校内に強さを武器に権力を振るう年上の男子がいた。そいつの存在が心が震えるほど許せなかったのを覚えている。

そいつが学年の最年長だった時が最悪で、同学年も年下も含めて周囲の弱い奴らを子分の様に使って、私の同学年の子分とふざけて遊んでいたら、突然、私が自分の子分に嫌な目にあわせただろう!とありもしない事を言って脅してきたことがあった。

その時は、恐怖極まりなくて慌てて逃げることしか出来なかった。でも、ちょうどその時期に空手を習うチャンスが訪れたのだ。私は1日も早くマスターしてあの、自称正義仮面を被った王様気取りの悪を懲らしめてやりたい。そんな風に思いつつ、稽古に励んでいた。

結局、空手の一撃必殺でその鼻をへし折る機会は無いまま、彼は卒業して行った。

しかし、学校内に自分はまるで王様・嬢王様みたいな奴がどの学年にも往々にしていた気がする。

大人になった今、思い浮かぶ加害者の子供とその親達を考えると、学校側はその権力を恐れて根本解決になる様な歩み寄りが出来ていなかった気がする。

それにしても親のご機嫌を恐れて、本当に子供に寄り添った行動が出来ない学校はどれだけ多いのだろうか。

いつから暴力は私たちの日常生活の様に当たり前のものなった?

私たちはいつから麻痺っていた?


尊敬するボーダレス・ジャパンの田口さんはカンブリア宮殿に出演した時
大人こそ、本気で綺麗事を言わなきゃいけない。
と言っていたが、まさにこれだ。とそう思った。


今日は学校で娘を預ける前に冷静に先生にこう、言います。


「先週は娘へのケア、ありがとうございました。
でも、あれからよく考えて、先生にお話ししたいことがあります。」

たとえ、3歳でも他人への暴力はいけないと考えています。

本人は心から反省しているのでしょうか?

私の母は保育士ですが、子供が投げたおもちゃが目に当たって、網膜剥離で片目の視力を失いました。(その子供は前から問題児だった)

大きな事故が起きる前にその子供に悪い事をしたと認識させ、きちんと本人から謝らせて、もう2度と起こさない様に約束させてください。

反省できない様であれば、その子の親にもきちんと話をしてください。

私は全ての子供に安心して、楽しく学校に行ける様な環境を与えてやりたいです。」


最後に、今の私にとって書くことも空手も最終的に果たしたい目標の一つがクリアになった。それは、常に良い姿勢で俯瞰して物事に向き合って、こう言う事を恐れずに言える様になる事。

日々、人と「真の対話」の機会を作る練習なのだ。









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