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自己愛の時代を助長する偽セラピストたち

「自己愛の時代」ということを、ここでも一度書きましたし、
YouTubeでもお話ししました。

「自己愛の時代の治療者」はこちら


最近、
「カウンセリングの垣根を低くしよう!
手軽に、ライトに、カウンセリングを受けてもらうべく、
お値段も内容もとりあえずライトに。
ただし、心理学的な裏付けは正しく」

の、ような方向性で頑張ってる子育て支援カウンセラー(女性)と知り合ったのですが


その支援内容に、私は


強烈な違和感 を覚えました。



その方が言うには、
「母親は、特に女の子を持つ母親は、自分(の娘時代)と娘を比較してしまう。そして娘のほうが(自分よりも)可愛く愛情をたっぷりと受けていると感じると、嫉妬して、娘を愛せないという感情が湧く。
そこで、女の子を持つ母親が
子どもを愛し健全に育てるためには、自分も可愛く美しく、愛されるということに取り組むべき。見た目を磨くことも大事。ダイエットも大事」

とのことです。

いや、前段はあってます。正しいです。
母親が、同性である娘と自分を比較することも、
嫉妬を感じることも、
当然のようにあります。


しかし、後段はどうでしょうか…

見た目を磨く…
ダイエット…

それって、雑誌の「VERY」(オシャレでステキなママを目指す雑誌)とかと
何か、違うところあるんでしょうか…?(*´-`)


世の中
「綺麗なお母さん強迫」だらけじゃないですか?
今時のお母さんといえば、けっしてサザエさんみたいではなくて笑、
子持ちとは思えない美貌と若さとおしゃれで
武装していないと、
ママ友仲間の中で恥ずかしい、ですよね。

上の写真で紹介した
「バッドマザーの神話」を著したJ.スウィガードは、その著書の中で
「私たちの社会では」、「女性のほうが(男性よりも)老化のプロセスに敏感だから」
と、娘に嫉妬する母親の心理をあっさりと解説しています。


若さを失いつつある母親が、成長と共に美しくなる娘に嫉妬し攻撃する心理は、
普遍的物語として多数表現されています。

白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女などがそうです。
(それぞれ、魔女や継母など、実の母親よりもマイルドに変更が施されています)


しかし、実際のところ全ての母親が
嫉妬で娘を傷つけているわけではありません。

「ごく普通の母親(good enough mother)」は、
「自分にも、父親に愛された可愛い女の子の時代や、
若くて美しい時代があった。
その時代を楽しんだ」
という記憶があります。

自分だってかつて通った道を、今度は我が娘が通っていくのです。
そのため、「次はあなたの番ね」と、その権利を譲る感覚を持つのではないでしょうか。

つまり、


「足るを知る」精神です。


老いはどんなに抗っても、万人に訪れる自然現象ですので
それをどう受容していくかが、人間性の問われるところです。


ところが、
肥大した自己愛を持つ人は
「私には足りないのだ、与えられていないのだ、だから嫉妬してしまうのだ。
だから、(美しい身体や、愛される見た目など)満足するまで手に入れなくては!
それを手に入れれば、嫉妬しなくて済むだろう」

という短絡的な発想をする。


「足りないものを、満足のいくまで手に入れ続ける」人生は、
一見ポジティブな生き方のようですが、
諦めや喪失感など人として大切な気づきを否認した、幼児的な自己愛(肥大した自己愛)の人生観だと私は思います。

そのため、
いくら「カウンセリングの垣根を下げて
手軽な内容で」
と言われても、
ダイエットのお手伝い???

それは、ダイエット・カウンセリングであって
臨床心理学的な心の支援とは、関係ないですよね?

…と思ってしまったのです。
(実は私は意外と真面目な臨床心理士なようだ)


娘に対抗して、おしゃれで美しい母親になることは、一時的には楽しくなるでしょうが、
最後には娘が勝つことを認めてやらなくてはなりません。

また一方で、母親は可愛く美しい我が娘を誇らしくも感じています。


人間はいつでも一面的ではなく、愛していても嫉妬したり、
負けたと感じさせられても、誇りを感じたり、自分でも理解し難いような複雑な感情が去来します。


思うに、私が出会った「手軽な子育て支援カウンセラーさん」は、
自分自身が娘の成長と自分の老いの受容プロセスの真っ最中で、
悩んでいる途中なのでしょう。

しかしプロとしては、自己愛の肥大化には気をつけないと。
健全な自己愛とはどういうことかを、しっかり見つめないと。

と、考えさせられた出会いでした。







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