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自己肯定感低い少女ベル、モデルは私でした

前回の記事「自己肯定感低い恋愛の末路②」、読み手の少ない私の記事の中では
わりと多くの共感・反響をいただきましたが

美女と野獣パロディの「自己肯定感低いベルさん」、モデルとなったのは、
私自身です〜( ^∀^)

私の自己肯定感の低さ、筋金入りだったんですな…


しかし、痛い目に遭って

「あっ、私の目が曇ってた。彼が王子様に見えなかったのは、私が自己投影してたからだ。私の自己肯定感が低いからだ」

と、自己分析で気がついて修正できる私であったことは、自分を褒めたい。


つらい事があった時に、自分をごまかさない。
言い訳を探さない。
自分のダメなところを認めて、成長しようとする。

その過程では、泣き言を言って人の助けを借りることも、人に迷惑をかけることもあるけど、
それはいい。
弱い自分がいてもいい。
助けてくれた人に感謝すればいい。


人が「自分自身を成長させる(自分と本気で向き合う)」
のは
痛い目に遭った時しかないです、
これは間違いない。


しかし、私が遭遇した最も成長を迫られた
「痛い目」
は、こんな失恋レベルじゃありません。
私が人生最大に痛い目に遭ったのは
父の死で、
最終的にこの一件によって家族療法の治療者になることを心に決めました。


父は頸部がんにより55歳で亡くなりましたが
間近で見ていた家族として、
あれは癌という病気による死ではなかったです。

人体実験まがいの異常な癌治療によって
(それが当時の「標準治療」なんだけど)
拷問死したと思います。

これは、アウシュビッツとか731部隊とか、
平気でありうる世界だな、と思いました。

あまりの地獄絵図だったし
信じがたい悲惨な出来事だらけでしたので
医療裁判をしようとし、親身になってくれた弁護士さんたちもいました。

しかし、最終的に協力医というのが見つからず
「勝ち目がない」
ということで裁判には至りませんでした。


…それで、私はどう考えたか。

いろんな道があると思うんですよね、こういう経験をすると。

医療ジャーナリストとなって、「医療の闇」を暴くとか
「癌治療の真実を暴く」とか。
大学病院という組織の腐敗を暴くとか。
あるいは、ホスピス・緩和ケアの普及に尽力するとか、
がん患者の家族会などに参加し、何らかの貢献をするとか。
今からでも医師になるとか…

私もいろいろいろいろ考えたのですが…


私の場合は
「こうなってから(癌になって死んでから)戦うのでは遅い。遅すぎる。

そうではなく、

家族が機能不全なのがダメだ。

機能不全だから、家族がお互いをきちんとケアできないし、
対人恐怖だから命の関わる場面ですら他人の顔色伺って決定するし、

権威ある医者とか、肩書きで人を判断したり、

命より仕事優先したりのアホな判断になるし、

要所要所で、全部ハズしてんだよ。

だからアホな医療の餌食になって死んでんだよ!

家族の機能を立て直すこと、
命を守るためには、
それをやらなきゃダメだし、私に出来ることは
うちみたいに悲惨なことになる前に
まだなんとかなる家族を
助けること!」

…私はそのように考えました。

私は無力感を感じたくないので、
「巨大な癌治療利権の闇」とか厚生労働省とか国を相手に戦うとか
敵が大きすぎる闘いは
積極的にやりたいと思いません。

自分に出来ること、小さなことで良いから
私の経験を役立てて
幸せな家族が増えることに貢献できたら
と思いました。


うちの場合はたまたま癌という病気だけど
うつ病でも家庭内暴力でも、不登校でも、 機能不全のままで対応を間違えれば死に至りますよ。

逆に、家族がこの「痛い目」に遭って
自分たちを見つめ直し、
本気でやり直そうと、苦しくても
治療に取り組めば
家族のパラダイム・シフト(価値観の大転換)
があり得る。
家族が生まれ変わる可能性があります。


そう考えると
私の仕事は、私自身の傷ついた自己肯定感を修復する作業とも言えます。

クライアントの傷つきを修復することが、
治療者自身の傷を修復するという逆説、
相互作用が生まれます。


私はクライアントの自己肯定感を引き上げ続け、私自身が修復され続ける。


死をもって私に道を指し示した父に感謝します。

私の著書はこちらです↓。あとがきに私の上記の経験を詳しく書いています。




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