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読む前に消せ

 付箋だらけになってしまった文庫本を片手に、僕は図書館のカウンターで司書さんを呼んだ。
「ご用件は? 返却でしょうか?」
「取り寄せていただいたこの本、ずいぶんと書き込みが多くって」
 同じ本は電子化もされているし、新しいデザインで重版もかかっているけど、僕としては最初期のそれを手に取りたくって、わざわざ他の図書館から取り寄せてもらったのだ。
 なのに、鉛筆で丸がつけてある。
『本は文化財だ』今の時代では少数派かもしれないけど、そんな考えを持つ僕としては、こんな風に本を傷つける行為は看過できない。
 司書さんは、目の前のコンピューターの画面で履歴を見た後、付箋のついたページを何か所かめくって確認した。
「これは……」慌ててどこかへ内線電話で連絡をした。
「すみません。いま責任者を呼びますので」
 こちらでお待ちくださいと、本を持たされた僕は入り口横にあるガラス張りの事務室に案内され、大きなソファーに座らされた。

 「お待たせしました」現れた人は軽くお辞儀をして向いに座った。手を伸ばして付箋だらけの本を受け取って中身の確認を始めた。
 センター分けの髪に額を覗かせて、黒ぶち眼鏡、黒い腕抜きをしている。おしゃれには程遠い雰囲気にお堅い図書館職員らしいなと少し感心してしまった。こういう仕事を選ぶ人なら昔でも未来でも同じようなファッションセンスなんだろう。
「よかった。鉛筆書きばかりですね。すでに一部消えているのかな?」
 そういって、消しゴムを取り出して書き込みを丁寧に消し始めた。
「最初は見つける毎に僕が消しました。あんまり多いもので、付箋を貼ってみたんです。こんな扱い方、良くないですよ。直前に借りた人に注意しておいてもらえないでしょうか」
 注意してほしいという僕の言葉には反応せずにこちらを見て質問してきた。
「ずいぶんとしっかり確認されていたのですね」
「ええ、本が傷つくのは嫌いですし。きっと僕のような人はほかにもいるでしょうから」
「丸がついた文字を読み上げたりとか?」
「そんな事しません。まずは消したんですけど、丸があまりに多くって」
 立ち上がって、うやうやしく頭を下げた。
「この本を大切にしていただいて、ありがとうございます」
「大げさですよ。ただ、僕の前にこの本を借りた人に確認してください。この書き込みがその人のいたずらなら、しっかり注意して欲しいのです」
 座りなおして手を前に組んだ後、しばらくしてから教えてくれた。
「あなたの前には貸出記録は無いのです」
「そんなっ!」
 悪戯っぽく微笑んで言葉を続けた。
「いえ、ちょっと意地悪な説明でしたね。この本はいくつかの図書館で開架されて、渡り歩いている本なのです。施設統合などで処分されずに残っている強運な本なのですが、本以外の、たとえば貸出記録とかは無くなっているのです」 

 事務の人がお茶を持ってきたのをきっかけに話をした。本好き同士、本の内容についての話題から、出版の歴史や未来の図書館像に話がはずむ。電子化が進む中で、実際の本はすこしずつ減っていくだろうとか。
 なんとなく初期に出版された本にこだわる僕としては少しさみしい未来予測を口にしてみた。
「きっと装丁に特徴があるとか、時代を代表するような美しい本以外はなくなっていくんでしょうね」
「そうですね。ほとんどの一般的な小説や随想、旅行記は未来では電子化されてしまいますけど、一握りの強運な本は別です」
 お茶を手に取って……僕が借りていた本を見つめながら、語ってくれた。
「物理的な本を開架するような図書館は、ほんのわずかだけど施設として存続し、この強運な本はこのまま1万年後も存在している……時間を超越したモニュメントなのです」
――あれ? 僕は話に付き合うことにした。
「そんな事、わかるわけないでしょう」

「ハードSFって、お好きですか?」
「ええ、J・P・ホーガンとか」
「遠い未来で、科学の力で時間をこえる方法が編み出されたとしたら?」
「?」
「じゃあ、科学ではなく魔法みたいな話をひとつ。その魔法では、何か、モノに書き込むと時間を遡って書き込みが見えるようになります」
「時間を遡って?」
「たとえば、古い神社の建物などに魔法で落書きすると、はるか過去にさかのぼってそれを読むことができるように。言い換えると、今、その神社で見えている目の前の落書きは、今よりも過去に書かれたかもしれないし、その魔法で、はるかな未来で書かれたのかもしれない。とっさにはわからないという事です」
 よくあるSFの設定なら、僕も知ってる。
「でも、時間を遡った行為なら、タイムパラドックスを産むのでは? 成立できないですよね」
「いえ、実際にはいくつか条件があるのですよ」
 要は、その情報が伝わる事で大きく歴史を改変しない状態なら、存在可能らしい。
「あなたが気が付いた本の落書きは、昔に書き込まれたかもしれないし、未来の世捨て人の呪いの暗号かもしれませんね」
――暗号? 

 僕が疑念を口にする前に立ち上がってノビをして言った。
「冗談ですよ」
 お送りしましょうと、入り口へ案内する背中に一つだけ聞いてみた。
「もし、歴史を改変するような事が暗号で書いてあったら、どうなると思います?」
「解読した瞬間に改変が起きて、タイムパラドックスにより、この世界は消えるでしょう」
 真面目な顔でドアを開けて、大きくお辞儀して言った。
「マメな貴方だから、世界は救われたのですね」

【了】


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