見出し画像

【試し読み】精読・涼宮ハルヒの陰謀

※この記事は、2024/5/19発行の非公式考察本『精読・涼宮ハルヒの陰謀 ~非公式考察本シリーズ vol.7~』の試し読みページです。
 本書と同シリーズは、2024/5/19開催の「文学フリマ東京38」(第一展示場 K-20「Joat Lab.」)にて頒布予定です。もし試し読みで興味を持ってくださった方は、ぜひスペースへお越しください。
 会場に来られない方は通販でどうぞ↓
 BOOTH:https://joatlab.booth.pm/items/5713663
 とらのあな:https://ecs.toranoana.jp/tora/ec/item/040031154679
 メロンブックス:https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2402869


〈下記の文章は書籍版にて変更・修正される場合があります〉

はじめに

 初めましての方は初めまして、そうでない方はこんにちは。小説「涼宮ハルヒ」シリーズのファンサイト・涼宮ハルヒの覚書の管理人兼アニメライターのいしじまえいわと申します。この度は『精読・涼宮ハルヒの陰謀~非公式考察本シリーズvol.7~』を手に取ってくださり誠にありがとうございます。
 本書は小説「涼宮ハルヒ」シリーズの第七巻『涼宮ハルヒの陰謀』(以下『陰謀』、他シリーズ作品も同様に表記します)の考察を試みた本です。本書の内容は同書既読の方向けのものになっていますので、未読の方はぜひ『陰謀』までのシリーズをぜひ先にお読みください。また、本書の内容は『精読・憂鬱』以下、弊サークルの他の刊行物とも関連がありますので、それらもご覧いただけますとより楽しめるかと思います。
 「涼宮ハルヒ」シリーズは非常に読みやすい小説であるものの、改めてその内容を理解しようとすると複雑なテーマや構造を有していることに気付かされます。本書での考察を通じて『陰謀』や「涼宮ハルヒ」シリーズ全体をより深く楽しんでいただけましたら幸いです。
 また、今回はいしゆきさん(@ishiyuki00)に挿絵を描いていただきました。『陰謀』のイメージを広げてくれるイラストの数々もぜひお楽しみください。
 まえがきの最後に謝辞を記させていただきます。イラスト担当のいしゆきさん、ネットやオフで私のハルヒ考察に付き合ってくださるフォロワーのみなさん、表紙絵や装丁など本書の文章以外の部分を担当してくれた妻たなぬ、そして何より「涼宮ハルヒ」シリーズの物語を生み出し続けてくださる谷川流先生といとうのいぢ先生に、この場を借りて御礼申し上げたいと思います。ありがとうございます。
 それでは早速、本文へレッツゴー!


第一章 イントロダクション

シリーズ長編四作目!キョンの八日間の物語

 本章ではまず『陰謀』という書籍の成り立ちについて確認します。章の末尾では本書における考察のコンセプトやレギュレーションについても触れたいと思います。 

 まず、書籍としての『陰謀』について。本書は「涼宮ハルヒ」シリーズの第七巻として二〇〇五年九月一日(注1)に刊行されました。前巻にあたる短編集『動揺』が同年四月一日刊行ですのでシリーズとしては五カ月ぶり、書き下ろし長編としては二〇〇四年八月一日刊行の長編三作目の『消失』以来ですので十三カ月ぶりの新作となります。
 『憂鬱』『溜息』『消失』がだいたい半年に一回ペースで刊行されていたことを踏まえると、『陰謀』は久々の書き下ろし長編だったという印象です。とはいえこの頃は雑誌「ザ・スニーカー」にてほぼ毎号(隔月刊行だったので二カ月に一回)新作エピソードが掲載されていますし、それらを収録した短編集『暴走』および『動揺』には書き下ろしエピソードもそれぞれ収録されていたので、この時期の刊行ペースや新作リリースのペースは非常に密だったと言っていいでしょう。 

 なお、『陰謀』の刊行が掲載誌上で発表されたのは「ザ・スニーカー」二〇〇五年八月号においてでした。この号には『編集長☆一直線!(中)』(注2)が掲載されており、その末尾に「書き下ろし長編『涼宮ハルヒの陰謀』9月1日発売!」(注3)と丸囲いで紹介されています。
 ただし、同ページには新刊告知より大きな文字で「ハルヒに何かが起こる!」と記載されており、「重大発表!」と書かれた紙を持ったハルヒのイラストも添えられていることもあり、相対的に見ると新刊発売のインパクトは控え目です。
 なお、この重大発表とは次号(十月号)で明かされる『ハルヒ』のアニメ化(注4)のことなのですが、シリーズの他メディア展開とそれによるさらなるヒットによって霞んでしまった新刊というポジションが、シリーズ内における『陰謀』の在り様を示唆しているように思えなくもありません(詳細は後述します)。

注1 スニーカー文庫版『陰謀』奥付より。以下、参照元は原則的にスニーカー文庫版の非電子書籍とする。
注2 (中)とあるが『編集長』は最終的に全四回掲載されており、次号にて『編集長☆一直線!②』と訂正されている。
注3 「ザ・スニーカー」二〇〇五年八月号、九十三頁
注4 二〇〇三年一〇月号の時点ではまだこの時点ではまだTVアニメとは明かされていなかった。

シリーズ随一の厚みを持つ『陰謀』

 書籍としての『陰謀』の特徴の一つが、シリーズ内でも有数となるボリュームです。角川スニーカー文庫版では全四三〇頁あり、シリーズ内で一番の厚さです(注5)。角川文庫版(最果タヒ氏によるエッセイ込みで全四百二十一頁)では前後編が一つになった『驚愕』(大森望氏による解説込みで全五百五十一頁)に次ぐ二番目の厚さとなっています。『陰謀』は一冊で『驚愕』前後編二冊分の約八割のボリュームを有していることになります。
 物語としては『分裂』『驚愕(前)』『驚愕(後)』が実質一つのエピソードなので、それに次ぐ二番目に長大なストーリーと言えるでしょう。

注5 なお、角川スニーカー文庫版は版によって紙質が異なるため、同じ巻でも厚さが異なる場合がある。著者の手元にある『陰謀』四十五版は『直観』初版全四百二十一頁+広告八頁とほぼ同じ頁数だが、厚さの点では『直観』の方が勝っている。

『消失』の後を描く初の長編

  続いて『陰謀』の物語について概説します。
 『陰謀』はキョンの高一の二月初旬から中旬にかけての物語で、エピソード的には『朝比奈みくるの憂鬱』(一月二十一日前後)(注6)の約二週間後から始まります。

注6 「冬至は一ヵ月も前に過ぎ、」(『動揺』、二百六十二頁)。冬至は日本では概ね毎年十二月二十一日か二十二日に来るため、キョンとみくるが二人で出かけたのは一月二十一日か二十二日となる。ただし、オフィシャルファンブック『涼宮ハルヒの観測』巻頭のエピソード年表では「一月中旬 キョンとみくる、デートする」とされている。

『みくるの憂鬱』は単に位置的に『陰謀』の前にあるわけではなく、内容的にも『陰謀』のプロローグといえるものになっています。それは『動揺』あとがきにおける谷川流先生の以下の作品解説コメントにも表れています。 

 時系列的に、次の長編は今作からダイレクトに繋がっていることになりそうです。それまで雑誌掲載分と書き下ろし長編の連続性にそれなりに四苦八苦していたため、これで今書いてる長編がなおいっそう書きやすくなってくれる効果があれば幸いなことですが、重要なのは読みやすくなっているかどうかであって、またそれ以外の結果を僕はまったく望みません。

『動揺』、三百頁

 雑誌または『動揺』にて先に『みくるの憂鬱』を読んでおくことで『陰謀』の内容が読みやすくなる、という狙いがあったようです。当然、内容的にも繋がりがあると捉えていいでしょう。
 また、『陰謀』は同じく長編である『消失』の後に続く初の長編ストーリーでもあり、時系列的には『消失』との間に『ヒトメボレLOVER』、『雪山症候群』、『猫はどこに行った?』、『あてずっぽナンバーズ』、そして『みくるの憂鬱』を挟んでいる形になります。
 物語の主人公であるキョンは、『消失』での一件を通じてSOS団の面々に対する向き合い方がかなりポジティブに変化しています。その変化の結果は右記の短編群にも随所に描かれているのですが、長編で『消失』後のキョンの主人公っぷりが描かれるのは『陰謀』が初です。仮にキョンが精神的変化を遂げた『消失』をシリーズの第一部クライマックスとするならば、『陰謀』はキョンの新たな活躍を描く第二章の幕開け的なエピソードと言えます。 

 以上のように、単体でもシリーズ有数のボリュームを誇りつつさらに内容を補足する前日談まであり、物語的にも主人公の新たな活躍が描かれる、華々しいエピソードなのが『陰謀』なのです。

透明な『陰謀』の評価

 と、褒めちぎっておいて何なのですが、正直なところ同シリーズの他の長編エピソードに比べて『陰謀』にはそれほど華々しいイメージはありません。
 同じ長編という括りで言えば、単体で非常に高い完成度を誇りシリーズの起点となった『憂鬱』、ファンからも評論家からも高く評価され単独で劇場用アニメ作品にもなった『消失』、完結までに四年をかけた分それまでのシリーズの総決算的な内容となった『分裂』『驚愕』と比べると、『陰謀』はそれほど目立ったエピソードではないように感じられます。
 『驚愕』発売の直後に刊行された雑誌「ダ・ヴィンチ」二〇十一年七月号の特集「読者ランキング好きなエピソードTOP5」(注8)では、『憂鬱』『消失』がワンツーを飾っている一方、同じ長編である『陰謀』や『溜息』はランク外となっています(注9)。 

 では『陰謀』は『溜息』と似たような評価をされているのかといえば、それも少し違うように思われます。というのも、たとえば『溜息』はグーグルの検索窓に「涼宮ハルヒの溜息」と入力すれば、サジェスト機能によって「涼宮ハルヒの溜息 嫌い」「涼宮ハルヒの溜息 つまらない」など、作品がどう評価されているのかが伺い知れるワードが表示されます。ここで私が問題視しているのは、『溜息』が面白いかどうかではなく、人の評論の対象になっているかどうか、という点です。その観点で言えば、『溜息』はきちんと評価の対象にはなっているのです。
 一方、同じことを「涼宮ハルヒの陰謀」というワードでやっても、「涼宮ハルヒの陰謀 考察」「涼宮ハルヒの陰謀 解説」「涼宮ハルヒの陰謀 長門」など、ニュートラルなワードしか表示されません(注10)。
 そして、こちらの方が私にとってはより問題に感じるのですが、今回自分なりに『陰謀』に関わる評論や論文を探してみたものの、結局『陰謀』を批評した文章を見つけ出すことができなかったのです(ご存知の方はぜひ私までご連絡ください)。より正確に言うと、シンプルな感想やシリーズを論じる上で部分的に触れたケースは散見されるのですが、『陰謀』を単独の長編ストーリーとして集中的に論じた文章を見つけることができなかった、ということになります。 

 『憂鬱』『消失』『溜息』はアニメ化していますから、二〇二四年四月現在未アニメ化エピソードである『陰謀』がそれらに比べて影が薄く批評の対象になるケースが少ないのは仕方ない面もあります。ですが、同じく未アニメ化長編である『分裂』『驚愕』に関しては、雑誌「ユリイカ」二〇一一年七月臨時増刊号「総特集=涼宮ハルヒのユリイカ!」の巻頭特集「佐々木敦×大森望 涼宮ハルヒは止まらない!」や甲南女子大学国文学会刊行の論文集「甲南国文」六十巻に収録の論文「谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズにおける物語世界の構成」(横濱雄二)(注11)など、『憂鬱』や『消失』ほどではないにせよ、ある程度批評の対象になっているのです。 

 はたまた、「『陰謀』は『溜息』以上に評価が低く、それゆえ評価そのものがされないのだ」という仮説を立てることもできるかもしれません。
 そこで、変動的な数値にはなりますが、便宜的にアマゾンジャパンにおける『ハルヒ』長編シリーズの評価を見てみましょう。二〇二四年四月十八日現在、各長編の五段階評価(小数点第一位まで表示)と最高点の割合は以下のようになっています。

  • 『憂鬱』 評価 ☆4.6
    うち☆5の割合:74%

  • 『溜息』 評価 ☆4.4
    うち☆5の割合:61%

  • 『消失』 評価 ☆4.7
    うち☆5の割合:78%

  • 『陰謀』 評価 ☆4.6
    うち☆5の割合:69%

  • 『分裂』 評価 ☆4.4
    うち☆5の割合:64%

  • 『驚愕(前)』 評価 ☆4.5
    うち☆5の割合:69%

  • 『驚愕(後)』 評価 ☆4.5
    うち☆5の割合:71%

 『消失』と『憂鬱』の評価が高いのは、先の「ダ・ヴィンチ」のアンケートと同傾向の結果になっています(そちらでは『憂鬱』の方が上でしたが)。一方、『溜息』の評価が相対的に低めなことも、割と多くのファンが妥当に思うところではないでしょうか。
 そんな中、三冊で一エピソードを構成する『分裂』と『驚愕』に対する評価は少し考慮が必要だとしても、『陰謀』はけっして低くない、むしろ比較的高めといっても差し支えない評価を得ていることが見てとれます。少なくとも「シリーズの中で語ることさえ値しない」というほどつまらないと思われているわけではなさそうです。
 
 ここまで挙げてきた事実をまとめると、『陰謀』は他の長編と比べて評価が低いわけではないにもかかわらず、何故かあまり評価の対象になっていないようだ、ということになります。
 面白いとかつまらないとかではなく、そもそも公の場で論じる対象にあまりなっていないのが『陰謀』なのです。

注8 「ダ・ヴィンチ」二〇十一年七月号、二百十六頁
注9同号の刊行は『驚愕』直後だがアンケートは事前にWebで行われているため、『驚愕』は対象外、『分裂』も実質対象外だったものと思われる。
注10 『溜息』『陰謀』共に二〇二四年四月十発日現在の検索結果である。
注11 本論文はサブカルチャーにおけるメディアミックスの構造理解の足掛かりとして『ハルヒ』の物語設定に着目して論じているが、『分裂』『驚愕』の他に『溜息』における古泉の世界へのメタ認知についてもある程度重めに論じている。一方、『陰謀』に関しては少し触れられる程度で議論の対象になっていない。

透明な『陰謀』の評価の理由

 では何故『陰謀』は論じられる機会が少ないのでしょう?
 まず一つ原因として挙げられそうなのが、物語が『消失』の後日談に始まり、謎の新キャラが出て「次回へつづく」というニュアンスで終わるという構成です。
 
 『陰謀』の物語の大部分は未来から来たもう一人のみくるちゃん(以下、みちるちゃんとします)とキョンの八日間の冒険譚なのですが、プロローグで描かれた十二月十八日早朝への時間遡行は、『消失』『雪山』などで再三触れられ、具体的に描写されるのを期待されていたパートです。この部分だけ短編にしてもいいくらいの見どころである上に、一見するとその後の八日間の冒険と直接的な関係が薄いように見える点も、『陰謀』の印象を弱める原因になっている恐れがあります。シリーズのファンでも「『消失』の最後に出てくるもう一人のキョンたちってどの話に出てきたんだっけ?」と思ったことはないでしょうか?
 
 また、後続作品にてそれぞれ藤原、橘京子という固有名詞が明かされる彼らが、『陰謀』終盤のクライマックスに名前なしの状態で登場する点も、単独エピソードとしての『陰謀』の印象を弱めているように思えます。その物語のラスボスが名前も明かさず、しかも再登場を匂わせて退場するのですから、『陰謀』はその後の物語の前振りに過ぎないんだな、と思うのは自然なことです。
 
 また、「『陰謀』は『消失』のエピローグであり『分裂』『驚愕』のプロローグである」という捉え方は、あとがきにおける以下の谷川先生のコメントにも裏付けられているように感じられます。

 ところで、今作はシリーズ中最も長い話になってしまいました。
 『消失』以来、作中で長々と続いていた冬も今回終わり、以降はようやく春が訪れる予定です。

『陰謀』、四百二十九頁

 谷川先生があとがきで『陰謀』について直接的に触れているのはこれだけです。先生がその巻の物語そのものに触れずあまり関係がない話題(マガモの件など)を中心に据えるのは毎度のことでありそれをもって先生が『陰謀』本編を語るに値しないとみなしているとはけっして言えませんが、一方でこの文を見れば「『陰謀』は前後の長編の中継地点的なお話である」という印象が強まるのも自然です。

 このように、物語の始まり方も終わり方も『陰謀』を単独の物語として鑑賞するには向かない作りになっているように思えます。さらに、そういった構成だけでなく、物語の本筋自体にも単独の作品として評論されにくい理由がありそうです。 

 たとえば、『陰謀』が内包する複数のストーリーラインのうち特に大きなものの一つが、物語冒頭に提示される「涼宮ハルヒがおとなしい。」(注13)という形で提示される、キョンがハルヒの態度に感じている違和感の謎です。「ハルヒは何を考えているのか?」「もしかして大事件が起きる予兆では?」という疑念も物語を盛り上げる要素になっているわけですが、その答は最終的に「バレンタインデーが近づいていたからだった」と明かされます。
 これがオチとしてあまりに明瞭なため、一度知ってしまうと改めて論じる必要がないように感じられます。「世界改変者の正体は長門だった」というオチが分かっても「では何故長門は世界を改変したのか?」という問いが立てられますが、『陰謀』のハルヒの言動に関する謎は答えがはっきりしすぎているのです。 

 これはメインのストーリーラインであるキョンとみちるちゃんの八日間の冒険に関しても同様で、大方の謎(未来からの指令の意味)について最後にみくるちゃん(大)が登場して意図を説明してくれますし、意図を説明されなかった要素(オーパーツの件や、各指令の結果が具体的にどのように未来に影響するのか、みくるちゃん(大)は果たしてSOS団の見方なのか、等)については明らかに今後に持ち越しになりますから、これもまた『陰謀』の内容だけをもって論じる必要は薄く感じられます。
 要は、『陰謀』の物語のメインどころの部分は、答えがはっきりした親切モードすぎて、それゆえ改めて論じる必要性が薄く思えるのです。 

 また、本書執筆のために『陰謀』に対する感想や評論を探す中で、「(『驚愕』は)おつかいイベント満載の『陰謀』よりは、出来がいいんじゃないですかね。」(注14)という一文に出会いました。
 この感想自体は(妥当性やボリュームは脇に置くとして)れっきとした『陰謀』単体への評価です。ですが、確かに『陰謀』のメインストーリーはキョンがみくるちゃん(大)の指令をただただこなしていく過程であると言えます。主人公であるキョンの判断や考えが大なり小なり物語を推進する『憂鬱』や『消失』に比べて、やはり『陰謀』は論じにくい面があるのかもしれません。

注13 『陰謀』、五頁
注14 esu-kei_text「『涼宮ハルヒの驚愕』感想「残念ながら」」https://esu-kei.hatenadiary.org/entry/20110604/p1 (カッコ内は筆者による追記)なお、この記事自体は『驚愕』の感想である点も、『陰謀』の語られなさを示している。

ライバルはあの『涼宮ハルヒの憂鬱』?

 さらにもう一つ、『陰謀』の単独の作品としての評価を妨げたであろう要因が、作品の外にもあったのではと私は睨んでいます。それは『ハルヒ』のTVアニメ化です。
 先述の通り、『陰謀』の刊行は『ハルヒ』のアニメ化発表とちょうど同じ頃でした(注15)。アニメ化を報じた「ザ・スニーカー」二〇〇五年十月号から三号連続で『ハルヒ』のイラストとアニメ化を伝える文言が表紙を飾り、巻頭カラー特集もアニメ化新情報特集となります。背表紙に至っては「涼宮ハルヒアニメ化企画進行中!」(十月号、十二月号)「「涼宮ハルヒ」最速TVアニメ情報!」(二〇〇六年二月号)とほぼ同じ文言が三つの号、つまり半年に渡って掲載されており、その猛プッシュぶりは異様ささえあります。

注15 『ハルヒ』のアニメ化の発表は先述の通り「スニーカー」二〇〇五年一〇月号に初掲載されているが、雑誌は慣例的に表示の月日よりも前に発売されるため、同号は『陰謀』の刊行日≒発売日である同年九月一日の前後に古庵攻されていたものと思われる。飯田一史による「『涼宮ハルヒの憂鬱』&谷川流年表(~2011年夏まで)」(https://note.com/ichiiida/n/n3183762c9840)によれば、同号の発売は二〇〇五年八月三〇日とされている。

 加えて、詳細は割愛しますが、放送が始まった後はご周知のとおり『ハルヒ』シリーズはそれまでとは比べ物にならないくらい大きなムーブメントを生むことになります。
 先述の通り、『ハルヒ』シリーズの長編はそれまで半年から一年くらいのペースで刊行されていました。『陰謀』は、刊行後の半年から一年のその期間が、ちょうどTVアニメ版の制作発表から放送開始、そして終了までの期間とそっくり丸被りしてしまっているのです。シリーズのファンの心理として「原作の新作はとりあえず、TVアニメ化が楽しみだ」と意識が原作小説から少し離れるのも道理ですし(実際、アニメ化企画進行中を報じる特集を組まれている間は、原作そのものに関する特集記事は、一部インタビューや振り返りのシリーズ年表があったくらいでほぼありません)、TVアニメ放送開始後はそちらの方で語ることが多すぎて『陰謀』の評論どころではなくなってしまったとしても致し方ありません。また、TVアニメ版から入って原作を手に取った新規ファンは、大抵『憂鬱』から最新刊までを一気に読んだでしょうから、それこそ『憂鬱』や『消失』のように単独の物語として認識しやすい構造になっていない『陰謀』だけを切り出して批評するのは難しかったと思われます。というか、実際私自身がそうでした。
 最後に、二〇〇六年七月十一日、つまりTVアニメ版放送中の私の『陰謀』の初読感想文が当時のブログにあったので、当時のアニメから入った新規ファンの素朴な感想の一例として、ここで一部引用にてご紹介いたします。 

 長門メインだった『消失』に対し、こちらはみくるメインです。ですがキャラ人気と比例して、というか、長編にしてはちょっと微妙な出来でした。時間モノは見飽きてるからかなあ。ただ今回初めてはっきりと敵役っぽいのが出てきたので、今後その辺がどうなるのかだけはちょっと気になります。

LM314V21「谷川流『涼宮ハルヒの陰謀』、角川書店、2005」https://ishijimaeiwa.hatenablog.jp/entry/20060711/1152583830

 かなり雑な感想で、作品やみくるちゃんのファンの皆様にはお目汚しお許しいただきたい所存です。当時の私はそれほど熱が入ったファンでもなく、今に比べれば読み込みも異常に浅く登場人物に対する見る目もなかったのです。ただ、それがアニメから入ったファンとしては割と普通だったようにも思うので、恥ずかしながらサンプルとして挙げさせていただきました。 

 なお、詳細は割愛しますが、当時の私も『憂鬱』や『消失』についてはそれなりのボリュームと深さで感想を述べていました。それに比べると上記の『陰謀』の感想は、ほとんど内容に触れていない印象です。
 また、『陰謀』を単なる時間モノと捉えているらしいこと、敵役が出てきたから続刊に興味を惹かれていることも興味深いです。アニメから入ったにわかファンにとっては『陰謀』は全体の物語の一部に過ぎず、単独作品としてはそれほど面白くなくあまり語ることがない、と感じたようです。生意気ですね。

『陰謀』を単独の物語として読む 

 以上、『陰謀』が作品の出来として特に悪い評価を受けているわけではないにもかかわらず、あまり単独の作品として評価される機会に恵まれていない現状と、その原因の仮説を挙げてきました。こうして俯瞰すると、『陰謀』があまり単独で論じられてこなかったのも仕方ないことのようにも思えてきます。 

 ただし、ここまで述べてきたのはあくまで『陰謀』の置かれている状況についてです。単独の物語として語られにくい『陰謀』を、実際単独の物語として読んだらどうなるのか? どのくらい評価に値する作品なのか? 「ストーリーラインがシンプル過ぎて改めて語るに値しない」という評価は妥当なのか? 等、改めて検証する余地が残されています。 

 ここまでご覧いただいている皆様は既にお気付きだと思いますが、本書で取り組むテーマこそが、「『陰謀』を単独の長編物語として読むこと」です。
 というのも、『ハルヒ』シリーズに対して思いっきり新参者だった十八年前の自分は『陰謀』をあまり高く評価していませんでしたが、今の自分にとっては、『陰謀』は『憂鬱』や『消失』に勝るとも劣らない、単独の物語として鑑賞するに足る独自の魅力を備えた作品と捉えているのです。
 ただ、ここまで述べてきた通りそれが伝わりにくい面はありますし、勘違いされやすいように思える部分もあります。上述の私の『陰謀』を単に時間モノとしてしか捉えていない浅い理解などはまさにそうなのですが、そういった誤解を払拭し『陰謀』を精読することによって、本作が内包するストーリーラインやシリーズならではのテーマの数々が浮かび上がってくるはずです。『陰謀』はそれだけの中身を伴った長編ストーリーなのです。 

 この非公式考察本シリーズでは、元々単独の物語として執筆された『憂鬱』以外については、どちらかというと「シリーズ全体を理解するために個々のエピソードを他エピソードとの関連の中で読解する」というスタンスを採ってきました。今回の『陰謀』に関してはそれが「シリーズ全体から切り離して単独の物語として読む」という真逆のスタンスになります。ですが、一度本作を単独の長編として見つめることで、改めてシリーズ内における意義もよりはっきりします。たとえば、ここまで『消失』のエピローグとして捉えていた十二月十八日の早朝への時間遡行も、なぜ『陰謀』の物語に必要だったのかが明瞭になるはずです。 

 以上のような前提の上で、次の章から改めて『陰謀』の物語を読み解きたいと思います。
 第二章ではまず物語の流れを追い、押さえるべきポイントを挙げながら通読します。第三章では『陰謀』を読み解く上で重要と思われるいくつかの論点をピックアップし、読解することで『陰謀』の単独の物語としてのテーマとシリーズ内における意義を明らかにします。
 これらの精読を通じてみなさんの中の『陰謀』の評価が変わり、これまで以上に語りたくなる作品になりましたら幸いです。

本書における考察レギュレーション

(過去に投稿した『【試し読み】精読・涼宮ハルヒの溜息』と同様の内容であるため割愛します。内容についてはこちらをご覧ください。)



第二章 ストーリー考察

 十二月二十八日~二月四日

考察入門に最適な親切設計

 ここからは『陰謀』の物語を作中の時間の流れに沿って、それが何月何日の出来事なのかを確認しながら見ていきます。
 冒頭のシーンは、「今は二月の初頭である。」(注19)とあり、一見では物語が二月の何日のことなのかが分かりません。少しややこしいのですが、この後十二月二十八日の早朝に時間遡行をした時の回想とそれに対する古泉くんの解説シーンを挟んで出てくる「みくるちゃん、今日が何日か知らないの?(中略)」「二月三日です。でも、それが何か……?」(注20)というハルヒとみくるちゃんの掛け合いで、物語のスタートが二月三日だったことが判明します。
 その後も一回日にちが飛ぶのですが(注21)、キョンと古泉くんがチョコレートをもらった日が二月十四日と確定しているので、そこから逆算すれば比較的簡単に作中のカレンダーを作ることができます。
 作中カレンダーを自分で作って物語の流れを確認することで、文章では明示されていなかった登場人物の心理が見えたり、物語の構造がクリアになったりすることはしばしばあります。特に谷川先生はその点に意識的な書き方をされているようですので、もし『ハルヒ』シリーズを精読してみたいと思った方は、ぜひ一度『陰謀』でそれを試してみてください。『陰謀』は全編を通して作中のある地点が何月何日なのかを確認しやすいという点で、カレンダーを作り考察しながら読むのに比較的適しています。 

 なお、『ハルヒ』シリーズには、日にちが明示されているエピソードとそうでないエピソードがあります。
 たとえば、長編では『憂鬱』や『溜息』、『分裂』『驚愕』は何月のいつごろかの出来事なのかは書かれているものの、キョンが語っている「今」の正確な日にちは一切書かれていません。一方、『消失』と『陰謀』は、折に触れて何日なのかが明示されています。
 どうして日にちが明示される場合とそうでない場合があるのかは公式には明らかにされていません。これは私見ですが、どうやらストーリーのギミックやテーマに関係がある場合のみ正確な日にちを明示する、という方針があるようです(注22)。ハルヒが新世界を創造しようとした日や文化祭の正確な日程は無くても作品に影響ないから書いていないのだと考えられます。
 一方、『陰謀』に関してはオチがバレンタインデーですので、物語の途中で日にちを明示することで伏線の効果が生まれます。勘のいい人はハルヒや長門が何を企んでいるのかが早い段階で想像できる構造になっているのです。
 『消失』については、冒頭で谷口が述べている通り一週間後にクリスマスが来る時期の物語ですから、彼女ができた谷口にとって「胸が躍るような日」(注23)が近づくことが、逆に長門には世界改変をせざるを得なくなった原因になったと考えられます(この辺りの考察の詳細については『精読・消失』をご参照ください)。
 その他、短編作品においても日にちを明示するか否かに意味がありそうですので、シリーズ再読の際はぜひその点も気にして読んでみてください。

注19 『陰謀』、七頁
注20同、四十九頁
注21具体的には、二月五日(土)と六日(日)の出来事は描かれておらず、物語は二月七日から再スタートする。
注22 逆を言えば、必要のない情報は書かない、とも言える。実際本シリーズはキョンの本名をはじめ、準主要キャラクターの氏名、生年月日、(日本であるということ以外の)物語の舞台、西暦何年の物語なのかという正確な時代設定なども詳しくは明かされていない。
注23 『消失』、七頁

〈『精読・涼宮ハルヒの陰謀』試し読みはここまで〉

 以上、『精読・涼宮ハルヒの陰謀』一部を抜粋してご紹介しました。

 続きは2024/5/19の文学フリマ東京38で発行予定の非公式考察本『精読・涼宮ハルヒの陰謀 ~非公式考察本シリーズ vol.7~』でお楽しみください!

非公式考察本シリーズの一覧はこちら▶ http://jl.ishijimaeiwa.jp/

文学フリマ東京38(https://bunfree.net/event/tokyo38/)おしながき

新刊情報・イベント情報はTwitterで発信中!
「涼宮ハルヒの覚書」(@haruhimemo)


この記事が参加している募集

#文学フリマ

11,687件

note継続のためのサポートをお願いいたします!支援=モチベーションです!