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オールの小部屋から㉑ 新たな賞の作り方と3人の書店員さん

 みなさん、いつもお読みくださってありがとうございます。
 現在発売中の「オール讀物」5月号の中でも、今日はとくに多くの方に知ってもらいたい「大人の推理小説大賞」について、その裏側といいますか、スタートまでの背景を少しご紹介したいと思います。
「ミステリー通書店員が選ぶ 大人の推理小説大賞」。栄えある第1回の受賞作は、黒川博行さんの『悪逆』(朝日新聞出版)に決まりました。『悪逆』は本当に傑作で、警察小説の名手、黒川さんの最近の作品の中でもすごく面白い1冊です。大人の推理小説大賞ノミネートが決まった少し後で、吉川英治文学賞というエンタメ小説界最高の賞を受賞するという吉報もありました。

黒川博行『悪逆』(朝日新聞出版)

 いちおうここで断っておきますと、吉川英治文学賞をとりそうだからと「乗っかって」ノミネートしたわけではありません。『悪逆』が刊行されてすぐ読み、「これは面白い!」と思った私たちは、オール讀物2月号「大人の警察小説特集」にて、黒川さんと元警視庁・服藤恵三さんとの対談を企画しています(『悪逆』の巻末の参考文献に、服藤恵三さんの著書『警視庁科学捜査官』が挙がっていたからです)。その2月号がちょうど出た頃に、大人の推理小説大賞の候補推薦をお願いしていた池上冬樹さん、香山二三郎さん、西上心太さんから『悪逆』が推薦されてきた、という流れですね。

黒川博行さん(©文藝春秋)

 ちなみに『警視庁科学捜査官』は3年前に文春から出た本ですが、決して自社の本だから大げさに言うのではなく、警察の科学捜査の現実がビビッドにわかる圧倒的に面白いノンフィクションです。ミステリー作家(編集者も)必読の資料だと思います。

黒川さん(右)と服藤恵三さん(©文藝春秋)

 さて、「大人の推理小説大賞」を始めようと思ったきっかけから申しますと、「最近、松本清張みたいなミステリーはないの?」と、読者の方に聞かれたことです。
 みなさんご存じのように、昨今のミステリー界は非常に活況を呈してまして、ことに謎解きをメインとする本格ミステリ分野にはどんどん新しい才能が登場し、年末の各種ベストテンを賑わせています。そういった作品の1つの傾向として、特殊な能力を持った探偵が活躍するとか、変わった場所を舞台にしているとか、何らかの特殊な設定を前提にしていたりとか、SFやホラーの要素を加えていたりとか……どこかに新しい趣向、新しい実験を入れた力作が多いのですね。
 いっぽうで、昔ながらの推理小説、たとえば刑事が靴底をすり減らして現実に起きた事件を捜査するというミステリーが、決して書かれていないわけではありません。とくに警察小説はジャンルとして大人気で、シリーズものがたくさん書かれ、読まれています。ただ、そういった作品は、あまり書評が出なかったり、ベストテンで挙がってこなかったりする。私自身、特殊設定ミステリだけでなく、地に足のついた、リアリズムをベースとした推理小説が好きなので、そういうものを紹介する賞を作ってしまえばいい、と思ったわけです。既存のベストテン企画とも差別化できるかなと思いました。

 最初の一歩は、昨年10月、鮎川哲也賞の贈呈式でした。久しぶりにリアル開催された鮎川賞の会場で、今回、選考委員を引き受けてくださることになる、おふたりの書店員さんにお目にかかりました。このnoteの第10回「鮎川哲也賞の贈呈式」に「広島の書店員Mさん」に会った話を少し書きましたが、このMさんが、啓文社岡山本店の三島政幸さん。もうひとりは、ときわ書房本店の宇田川拓也さんです。
 鮎川賞の贈呈式前に三島さんに会って「こういう賞をやれないか」と相談し、その流れで会場にいらした宇田川さんにも声をかけて、おふたりの反応がよかったので、「やってみよう」という気持ちになりました。さらにもうひとり、TSUTAYAの栗俣力也さんにも選考委員を引き受けていただくことができて、私としては、「大人の推理小説大賞」はうまくいく! と自信を深めることができました。というのも、この3人こそ、日本を代表する最高最強のミステリー書店員だからです。三島さん、宇田川さん、栗俣さんが選ぶ、というところが、「大人の推理小説大賞」最大のアピールポイントになるだろうと思えたからです。

 この3人がどういう方かということを、私の個人的なエピソードを絡めて簡単にご紹介します。まず、おつきあいのいちばん長い啓文社の三島さん。三島さんは政宗九というペンネームをお持ちで、90年代後半、インターネットが普及し始めた頃から個人のホームページ「政宗九の視点」を開設して、ミステリーの新刊紹介をなさっていました。当時、私は推理小説研究会に所属する大学生だったのですが、図書館や自宅PCから(電話回線で接続していた時代です)、「政宗九の視点」を毎日のようにチェックしていました。この頃、ミステリーの書評サイトがどんどんできて、大矢博子さんの「なまもの」市川尚吾さんの「錦通信」黒田研二さんの「くろけんのミステリ博物館」など、本当に楽しく拝見していました。
「政宗九の視点」は、三島さんが当時すでに書店員さんだったからか、新刊情報が充実していて、本当に重宝しました。今では想像もつきませんが、当時は、新聞広告に載るような本を除けば、実際に書店の店頭に行ってみないと、どんな本が出ているか、わからなかったのです(毎月4日とか5日頃になると「今月はどんな講談社ノベルスが出てるかな」と、そわそわしながら書店のコーナーを見に行ったミステリーファンは多かったのではないでしょうか)。

 宇田川拓也さんとは、私が文春に入社して8年後、書籍の編集者をしている頃に知り合いました。2008年、伊集院静さんの『羊の目』という長編小説を担当したのですけれど、宇田川さんはいち早く『羊の目』が「たいへん面白いハードボイルドである」と、つまりエンタメとして、ミステリーとして面白いんだということを言ってくれて、書店の店頭で大々的に展開をしてくれたのですね。当時、伊集院静さんはまだ50代後半。「大人の流儀」の連載もまだ始まっておらず、もちろん数々の文学賞をおとりになった大御所ではありましたが、業界内の認識としても「短編の名手」「上手くて渋い小説の書き手」といった感じだったと思います。いわゆるエンタメの筆者として捉える視点は皆無で、伊集院さんご本人もそういう評価に対して「ミステリーって何だ? 推理小説ってことか? 推理してないけど」と戸惑っている様子でした。ただ、ありがたいことに後押しを受けたおかげで『羊の目』がよく売れたんですね。さらに少しして、雑誌「一個人」の誌上で、書店員のみなさんが選ぶ「人生、最高に面白い本大賞」というのが企画され、文芸部門の第1位に『羊の目』が選ばれた。そこでもやはり宇田川さんが誌面に登場して、「ミステリーやハードボイルド好きの人に読んでほしい」と、熱い賛辞をおくってくださった。「ミステリーも悪くないな」と、伊集院さんもご満悦で、急に、私にやさしく接してくれるようになりました(笑)。そういう個人的な思い出もありまして、足を向けて寝られない、とてもお世話になった方が宇田川さんです。

伊集院静『羊の目』(文春文庫)

 TSUTAYAの栗俣さんは「仕掛け番長」というふたつ名をもつ、本の販売全般にかかわるプロデューサーのような方(現在は新装オープンしたSHIBUYA TSUTAYAの書店フロアを担当されているようです)。POPなどの陳列物で「この本は面白いよ」と広めるだけにとどまらず、絶版の本の復刊を出版社に呼びかけてヒットさせたり、装幀やオビに至るまで提案してくれたり、いろんなやり方で本の魅力を発信されているプロフェッショナルです。
 私、個人的には今回の選考会まで栗俣さんとそんなに親しくお話ししたことがなかったんですけれど、忘れがたいエピソードとして、歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』「夜桜カバー」があります。単行本は会社のA先輩が担当し、私は文庫化を担当したのですけど、もともと文庫には葉桜の写真を加工したカバーをつけていました。あるとき「夜桜のデザインで売りたい」と栗俣さんが提案してくれて、「夜桜カバー」をつけた本書を、TSUTAYAでものすごい冊数売ってくださったんですね(厳密には本来のカバーの上に巻く全幅オビです)。
 現在では、葉桜の季節になるたび重版がかかるロングセラーとなった歌野さんの傑作。単行本のときからベストセラーではあったんですけれども、『葉桜』が、長く売れる定番の商品となるきっかけを作ってくださった方が栗俣さんです。

夜桜カバーをまとった『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫)

 こうした個性あふれる3人が、文藝春秋に集まって、候補5作について徹底討論してくださるわけですから、楽しくないはずがありません。侃々諤々の大激論をへて、満場一致で黒川博行さんの『悪逆』が大人の推理小説大賞と決まりました。
 まさに「大人の推理小説」の冠にふさわしい傑作です。黒川さんと言えば〝会話〟の面白さがつとに知られていますが、本作でも刑事たちの軽妙なかけあいが2ページ、3ページ、4ページと続きます。複数の刑事が口々に大阪弁で捜査状況を語っていく、そのやりとりがまず笑える上に、何人もの刑事が発言してるのにちゃんとそれぞれのキャラが立っていて、いま誰がしゃべっているかわかる。地の文がなくても、発言している刑事の風貌まで浮かんでくる。一言一言のセリフによって、くっきりと発言者の表情や性格がわかり、強烈な印象を残す。そういう会話を延々と書きつづける名人、カギカッコの達人が黒川さんなのです。
 少しだけ筋を紹介しますと、詐欺師とか新興宗教のトップとか、悪いことをして金を蓄えている非道な連中が次から次へと殺され、金品を奪われていきます。犯人側の視点から描かれるその完全犯罪の模様がまず面白く、それを追いかける大阪府警捜査一課の面々の描写がまた面白い。殺されるのが悪い人たちなので、だんだん犯人側にも感情移入して、犯行が痛快に思えてくるんですよね。犯人はなぜ警察の目をかいくぐることができるのか、警察はいかにして犯罪の証拠を掴むのか。完全犯罪者vs.大阪府警。その戦いの行方から目が離せなくなります。
 オール讀物5月号とともに、『悪逆』を多くの方に読んでいただけたらと思いますし、何と言っても誌面で三島さん、宇田川さん、栗俣さん、お三方の討論の模様を読んでほしいです。
 2024年に刊行された推理小説を対象にして、来年、第2回「大人の推理小説大賞」を開催したいと思っています。多くのみなさんの応援をいただけたら、こんなにうれしいことはありません。賞って、勢いよく始めるのは意外と簡単なんですが、続けていくのは本当に大変です。読者のみなさんの応援あってこそ賞は生きていけます。
 ありがたいことに104回目を迎えたオール讀物新人賞(賞がなくなるのは雑誌がなくなるときでしょうね)の他にも、オール讀物では、同じく本屋さんに選んでいただく「時代小説大賞」と「大人の恋愛小説大賞」を雑誌の企画としておこなっております。さらに、今年で第11回になりますけれども、事務局として運営をしているのが「高校生直木賞」。「高校生直木賞」は全国から高校生を招いて大会をおこなうので、資金面でも、人手の面でも本当に苦しくて、完全ボランティアの有志で運営しているという事情もあり、正直、これまで何度も「もうここまでか」「やめるしかないか」という局面がありました。それでも「高校生が喜んでくれるので何とか続けたい」この一念で継続して、今ではOB・OGの交流が生まれたり、作家が出たり、出版社や新聞社に進む人も増えたりと、ゆるやかにコミュニティができつつあります。
 オールは年に2回の直木賞の発表媒体ですが、それ以外にもいろんな賞に関わっていますので、この機会に注目してもらえたらうれしいです。「大人の推理小説大賞」を今後、長く続けていけますように、どうか応援をお願いします。
 ミステリー関連ですと、オール5月号では、有栖川有栖さんデビュー35周年のトリビュート企画もやっております。今回は長くなりすぎたので、こちらはまた次の機会に、舞台裏をお伝えできたらと思います。

(オールの小部屋から㉑ 終わり)

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