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14th #ぼくてつカフェ「わかるって、なに?」の簡単なレポート

14回目の #ぼくてつカフェ (オンライン哲学カフェ)をZoomで開催しました。オープン1周年記念イベントとして、通常回とは少し趣向を変え、『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』(土屋陽介著/青春出版社/通称「ぼくてつ」)に掲載された「哲学対話の授業」のようすを、Zoom上でなぞってみる!という試みでもありました。

開催概要)
■日時:2021年9月18日(土)13:00~15:00
■テーマ:「わかる」って、なに?

進行:土屋陽介さん
場所:Zoomにて開催
参加費:無料
定員:25名

人の話を聞いて「わかる」と言う。場合によっては「わかる!!!」と叫んだり「わかる…。わかるよ……」と噛みしめるようにつぶやいたりもする。そうして共感・納得・同意などの気持ちを示すとき、互いに通じあえたような感覚になったりもする。

だがその一方、過去の言動に対する「そういう意図はなかった」「誤解を招いたのであれば、謝ります」といった言い回しをニュースなどで見聞きすると、どこかモヤモヤしてしまう。

話し手と聞き手との間に、誤解・思い込み・勘違いといった「ズレ」が生じるのは、なぜなのか? 私たちは言葉によってどこまで通じあえるのだろう? そもそも「わかる」って、なに? といったことを当日集まったみんなで考えてみたいです。

Peatixで参加募集しました⇒ https://bokutetsu14.peatix.com/

当日)
12:55~入室開始。今回から入室時に出欠をとることにしたら、出欠確認だけで10分近くかかるという事態に…。若干どたばたしながら13:07ごろスタート。申込者24名⇒参加者22名(初参加6名)。

ルール説明&YouTube動画(『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』掲載の「YAMASUKI」と、この授業を見た方が「こういう動画もある」と教えてくださった宮崎県小林市の移住促進PRムービー「ンダモシタン小林」)を視聴したあと、それぞれに思うところを「問い」の形で出しあう。


問い出し一覧)

①「○○っぽい」ってなんだろう?
②「伝わる」「通じる」ってどういうこと?
③「感じる」とは何か?
④物真似をすると、なぜ面白いのか?
⑤言葉以外で「わかる」のはどういうことか?
⑥言葉にとって意味はどれだけ大事か?
⑦見た目が判断にどれだけ影響するのか?
⑧快・不快と伝わることには関係があるか?
⑨人がGOを出す瞬間とは?
⑩音楽に声は必要か?
⑪リズムや音程をもつと言葉は意味を持たなくなるのか?
⑫同じものを聴くとはどういうことか?

問い出し後、「似ている問いは合体させよう」ということで④+⑨を合体。今日話したい問いについて、それぞれ数分間考える。

多数決をとり、本日の問いは【②「伝わる」「通じる」ってどういうこと?】に決定。(ここまでで約60分。小休憩を挟んで再開)

議論の流れ)
15:00までの約1時間、いろんな意見を交わしました。今回はいつもに増して超ざっくりすぎるメモになりますが…【最低条件は、互いの共通項のもとに話すこと】【「伝える」と「伝わる」は別】【誤解が生じるのはなぜ? 伝える精度を高めるには?】【「わかる」にはいろんな階層がある。同じことを聞いたとしても、知識、経験、そのときの感情などで違う】【伝えようと思って伝わる場合と、勝手に伝わってしまう場合の伝わりの違い】【誤解は嫌われがちだけど、演劇や小説のように、さまざまな解釈を楽しむ場もある】などなどの論点が出てきました。

途中、ある方が挙手をして話しはじめようとしたけれどマイクの不調で声が届かない…という場面が。あとでデバイスを変えて入室しなおし、ようやく声が聴けたのですが、「まさに今『伝わらない』を体験しました」とご本人談。もしかすると、Zoomのようにオンラインでマイクとスピーカーを通して対話する場は、「声を出せない人」を排除してしまっているのかも…と思わされる一件でした(じゃあどういう場なら、より開かれた場になるのか?は今後の課題)。

終了後)
10名前後が「廊下」に残り、ふりかえりや雑談など、約2時間半。おつかれさまでした。

反省点)
参加人数が20名をこえると、誰が発言しているのかを追いづらくなり、どうしても議論の流れが速くなる(話についていきづらくなる)と感じる。発言する人も偏りがちになってしまう。チャット欄もうまく使っていきたい(と以前から言ってるのに使いこなせていない…。これも今後の大きな課題)。
感想)
人と人とがコミュニケーションするとき、「わからない」がデフォルト(初期設定)なのだ、と思った。なのに、生活するうえで(仕事上のやりとりだととくに)「わかって当然」「わかにくいものは悪」「言っても理解できない人はダメ」みたいに思わされているところがある気がする。伝える側としても「わかりやすく」「端的に」「1分でわかる」的な伝え方を心がけようとする(し、相手にもそういう心がけを求めてしまいがちなときがある)。でも「わかる」を期待しすぎると窮屈になってしまう。本来は「わからない」がデフォルトのはずなのに「わかって当然」と思いこませているものは、何だろう?
今日みんなで視聴した動画のように「○○っぽいけど、なんか違う」とか「わかりにくい」に出合うとつい笑ってしまったり気持ちが揺さぶられたりするのは、「わかりやすい」が求められる世の中に生きる私たちの「反動」「気のゆるみ」なのかもしれない、と思った。
生後8か月のお子さんを抱いて参加してくださった方がいて、画面にその子(タブレットの画面が気になるそうです)の顔が大きく映し出されるたび、議論そっちのけで、この子をずっと見ていたい…!と衝動にかられてしまう。赤ちゃんの笑顔って、人を惹きつけるパワーがあるなあ~と思った。

★次回 #ぼくてつカフェ 開催情報はこちら
https://bokutetsucafe.peatix.com/

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