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青いインクを井戸に流す – 映画『ハッシュ!』より–

先月故郷である飛騨の墓終いを終え、故郷に残された土地は土石流警戒地域にある猫の額ほどの資産価値のほとんどない土地だけになりました。私の生家は分家ではあったもののかなりの農地があり、田舎によくある大きめの母家(昔は2階で養蚕を営んでいたような)で蔵のあるいわゆる旧家でした。
私の小さな頃は、祖父母から「大きくなったら家を継いでもらわないかんで。」と言われて育ったのですが、長男の私が関西の大学に進学し、就職、結婚と故郷に帰る事が現実として難しくなっていきました。結局、祖父母や父が他界し、母一人では家の維持ができなくなったため、土地建物は人手に渡りましたが、色々な事情もあって実際人手に渡った後の状況を自分の目で見ることがつい先日の帰郷まで無かったのです。

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在りし日の我が家。

実家の跡を見る

先月母の引越しと、件の墓終いのために故郷に帰ったのですが、想定外の母の引越し作業の難航に遭遇して故郷とのお別れに浸る気持ちにもなれない感じでした。しかし、その忙しいどさくさの道中で母の車を運転しながら、かつての実家の今を遂に見ることができたのです。

なんとなく母から人手に渡ってからの状況は聞いていました。古く大きな家だったので、柱や梁はしっかりしていたのでそれを利用して骨格だけを残しほぼ原型のない会社の社屋といった風情になったということを。

でも、実際にそれを想像することはあっても現実は違うだろうし、自分がその場になったらどんな気持ちになるのかが分からないし、そして、本音を言うと自分の心がどんな反応をするか不安でした。

その時は訪れました。母の友人達と会食をして、母の引越しの手伝いをするべく母のマンションに向かう時、少し遠回りになるのですが少し勇気を出して実家のあった場所を通ってみました。運転をしながらの通り掛かりでほんの10秒に満たない時間でしたが、その建物が視界に入りました。田園風景には不釣り合いで無機質な真四角の白い建物が空から降って来たように建っていました。

母や姉に言われた言葉

実家を処分する事になった時、母から何度も「本当に売っでいい?後で後悔しんか?」と言われました。私自身あまり感傷的で嘆き悲しむ様な姿を見せたくない所があるからなのか、母は私の事を実家を失っても特に感傷的に感じない人間だと思っているようなフシがあります。また、唯一の姉弟の姉とは歳を取れば取るほど価値観が離れていき関係がギクシャクしてきてるので、一度衝突した時に「あんたは冷たい人間だ。」と言われたことがありました。その時は平気な風を装っていましたが、ふと物思いに耽ると、家族から言われたように本当に私は冷たい人間なのかも知れないと時々思うことがあります。

映画『ハッシュ!』の田辺誠一

好きな映画に橋口亮輔監督の『ハッシュ!』という映画があります。簡単にあらすじを言うと、ゲイのカップルがとある女性から、子どもだけが欲しいからスポイトで受精させて子どもを作らないかと持ちかけられる少々過激な話です。いわゆる家族とも1対1のパートナーとも言えない濃密で不思議な関係性が出来上がっていくのですが、田辺誠一が演じているゲイの男性の描写をいつも自分と重ねてしまうのです。

※ここからはネタバレになりますので気にされる方は飛ばして下さい。

物語では、職場のメンヘラ女子に想いを寄せられたばかりに、メンヘラ女子の暴挙によって、ひた隠しにしていた同性愛者である事実を保守的な実家の兄夫婦達に暴露されていまいます。そして、自分達が日本社会では受け入れられない形で子どもを作ろうとしている事も露呈し、それを秋野暢子演じる義理の姉に激しく罵られるシーンがあります。

この映画の脚本自体は、最近の精子提供ボランティアや購入等の状況を先取りして描いていますが、マイノリティが生きていく上での苦悩を描いているように思えます。それは私にとっては実家を処分するに至るまでの親族の反応や、子どもを作らなかった我々夫婦に対する保守的な人からの眼差しに置き換えても同じ事が言えると感じました。今ではSDGSとか多様性理解とか社会が多様化を受け入れるような流れもありますが、同性婚や夫婦別姓が認められていないように、実際の社会の実情は昔ながらのイエ制度や血縁といった「当たり前」を信じたい人が社会の中心に未だあるように思います。

呆気なく崩れる当たり前

ここからもネタバレになるのですが、『ハッシュ!』主人公の家を継いだ兄は急死してしまいます。そして、それまで家だの血だの言って主人公達を「常識」の側から罵っていた兄の嫁はそそくさと家を終って居なくなってしまうのです。これはあくまでフィクションですが、このくだりが僕にとって非常にリアリティーのあるものに思えたのです。それまで当たり前とか常識とか言っていたマジョリティーの方が、案外崩れ落ちるギリギリで成り立っているのではないのかと。

青いインクを井戸に流す

家が呆気なく更地になり、そこを訪れた主人公は泣き崩れます。しかし、その傍らには2人が寄り添ってただただその気持ちを受け止めるのでした。

この映画では主人公の小さな頃のあるエピソードが象徴的に出てきます。酒に酔って大声を出す父親が嫌いで、「早くいなくなればいい」と毒だと思っていた青いインクをいつも父親が水を飲む井戸に流すのです。その後、父親は病死するのですが、その原因をいつも自分のせいだと心のどこかに思うといったエピソードです。

このエピソードを見て、何故か自分の話のようだと感じていました。本当はこんな結果になるのは自分の願いではないけれど、自分にはどうする事もできなかった事。そして、姿を変えてしまった我が家を見た今、心の中に崩れ落ちそうな自分がいて、全て自分のせいでこうなってしまったのではないかという罪悪感が根底にあるのです。

失ったものは取り戻せはしません。特に家族や自分を取り巻く全ては変わっていきます。ただ、自分の心には今もあの我が家の姿は鮮明にあって、未だに喪失感と罪悪感を感じながらも忘れる事はできない大切な場所でもあるのです。








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