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3年前の別府旅行(前編)

3年も前の旅行の記事ですが、思い出深い旅行になったのでここに記す事にします。

3年前の今頃は、飛騨の実家を処分するための片付けを大晦日まで行い、夕方から急に悪寒がし始め熱発。病院に夜間診療で診てもらいインフルエンザと分かったのでした。イナビルという吸入薬が合っていたようでその後症状は改善しましたが、母が一人で住み始める新しいマンションで3日ほど静養しました。それから何とか体調を整えて、京都の自分の家まで帰ったのです。

この実家を処分するまでには色々とあったのですが、私は2018年の9月に勤めていた介護施設の仕事を辞めて、その後3ヶ月程京都と岐阜県を往復しながら実家の山のようにある不用品との戦いをすることになったのです。我が家の歴史100年分くらいの大量のゴミを車に載せてゴミ処理場に通い詰めるという、こんな経験は2度とないと思います(あっては困る)。最終的にバーンアウトするように、終局を迎え、最後に実家の感傷に浸る間も無く実家との「さようなら」をしました。

フェリーでの船旅へ

京都に戻った私は少し休んで体調を整えた後、仕事をしていた時にはできなかったフェリーでの別府旅行を思い立ちました。実家を無くしての喪失感から気分転換をしようと思ったのかも知れません。

実は大学2回生の頃、夏休みに別府に旅行した事があり、久しぶりにさんふらわぁ号での船旅をしてみたくなったのです。私は行くと決めたら決断が早いので、オフシーズンという事もあり、すぐに予約もできて真冬の別府に向かって出発したのです。

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さんふらわぁ号は大阪南港と別府を行き来しています。夜の7時くらいに南港を出発して、船上で1泊する事になるのですが、この時は2階建てベッドが2つ並ぶ4人部屋の船室を予約しました。夕暮れに旅行に出掛けて、普段は乗らない大阪南港のニュートラムに乗るのも非日常感があってワクワクします。いざ、船に乗り込むと大学時代もこんな感じだったという思い出が蘇りました。人生で2度目の船旅です。まずはデッキに上がって、出航の様子を見守ります。大きな客船のため、船はじわーっとゆっくり動き始めます。車や電車とは違ったスピード感で、時間が経つと結構スピードが出てるのを実感する不思議な感覚。最初に乗ったのが夏だったので、外の風に当たるのが気持ち良かったのですが、この時は真冬。風景を見ていたかったのですが、すぐに身体が冷え切って船内に戻りました。

その後、船内レストランのバイキングでお腹を満たして、船内でハイボールを飲みながらのんびり。時々船外に出て、船から見る夜の景色をデッキで見てはまた寒くなって船内に戻るを繰り返しました。神戸の夜景や、明石海峡大橋は早い時間帯で見られるのですが、瀬戸大橋やしまなみ海道は遅い時間のため見られませんでした。

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船上からの明石海峡大橋。走る船上で風も強くて、手もかじかんでブレています。船内にはそれぞれの橋を通る時間が記されてました。

次の日は朝早くから動く予定だったので、その日は船内のお風呂に入って就寝しました。この船内のお風呂が小さめの風呂だったのですが、船のお風呂というのが不思議な感じで楽しかったです。

その後、布団に入ったのですが、船の上というのは自分が思っているより寝れないものでした。この日は特に海が荒れている訳ではなかったのに、どうしても大きな振れ幅の動き続ける傾きがあり、常に傾きながら落ちていく感じがしました。加えて、船のエンジンなのか機械的な振動もあり何度も起きてしまいました。自分がこんなに睡眠環境に敏感とは知らなかったです。

眠れなかった理由はもう一つあって、この頃身体が冷えると膝裏が痛くて眠れないことがあったのですが、この時も同様の症状が出て一層眠りが浅かったのです。

あまり眠れないまま別府へと到着しましたが、ナチュラルハイだからかテンションは高め。到着した時はまだ夜明け前でした。人気のないフェリーターミナルを出て、薄暗い中を一旦別府駅に20分程歩いて向かいました。

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別府観光の父、油谷熊八像です。その時分ラグビーワールドカップの年で、熊八さんもラグビーコスを着てました。

早水台そうずだい遺跡へ

別府へは3度目の訪問でした。地獄巡りや鉄輪温泉は行っていたので、それ以外を目的地にしました。

別府駅に着いた頃は明るくなってきており、ロッカーに荷物を預けてから今日の目的の早水台遺跡に向かいます。早水台遺跡は別府から博多方面に5つ目の駅で降りた日出町にある別府湾を望む河岸段丘上にある遺跡です。元々縄文時代早期の集落遺跡と知られていたのですが、1960年代以降東北大学の芹沢長介氏が発掘を行い、後期旧石器時代以前の可能性のある遺物を発掘しています。しかし、その後旧石器捏造問題を経て、その評価は振り出しに戻ってはいますが、度重なる発掘では少なくとも後期旧石器時代以降の遺跡であるのは分かっているようです。

この遺跡に行こうと思ったのは大学時代の旅行の時、別府大学の附属博物館に行ったのですが、別府大学は珍しく考古学を専攻できる文化財学科があり、当時は旧石器の展示に力を入れていました(今は非公開)。そこを見学した時に、私の大学のOBの方がおられ、時間があったら行ってきてはと提案してくれました。促されるまま見に行ったのですが、非常にのどかな蜜柑畑で、そこで縄文時代の石鏃(矢尻)を拾ったのが良い思い出になったのでした。しかも拾った石鏃は大分の姫島という離島に産出する、姫島黒曜石という灰色の黒曜石でできていました。

早水台遺跡の現状

当時ののどかな蜜柑畑の風景を思い出しながら、早朝の霜の降りた風景の中遺跡に向かいました。そこで目にしたのは背丈ほどの藪になって、入ることの困難な遺跡の現状でした。

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早水台遺跡。お墓のような石碑があります。

遺跡に着いて、「そうか。もう20年近くも時間が経ってしまったのか。」と一気に月日を実感したのでした。大学時代の記憶のままで訪れたため、その雰囲気の変わりように驚きましたが、それと同時に20年近く時間が経過したのに変わっていないと勝手に思ってた自分の思い込みに衝撃を受けたのでした。月日が経ったのを実感し、現実はそういうものだと知らされました。

海門寺温泉へ

久しぶりの早水台遺跡の変わりように若干の喪失感を感じながら、一旦別府駅に戻り、気を取り直して温泉巡りを開始します。

当時の私は温泉好きでしたが、当時はまだディープな温泉に入るのに勇気が必要で、別府に来て初めて入ったのは、シャワーのない共同浴場の多い別府でも、シャワーのある市営の海門寺温泉でした。ここは全体的に新しめの施設で、入門編には良かったです。泉質はナトリウム-炭酸水素塩泉で温まるし、肌がツルスベになります。浴槽がぬる湯と熱湯に分かれているのも、初心者には良かったです。鄙びた感じは無いですが、地域の人が利用するふだん着の温泉感はありました。当時は100円くらいの入湯料で安すぎて驚きましたが、今は250円のようです。それでも安い。

海門寺の温泉に浸かり、早水台での若干の喪失感と、冷え切った身体がほぐれていきました。

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写真はたびらいHPより。https://www.tabirai.net/s/sightseeing/column/0007916.aspx

憧れの竹瓦温泉

別府に行ってまず行こうと思ってたのは、観海寺温泉いちのいで会館。コバルトブルーの温泉に憧れていたので、是非とも行きたいと思っていたのですが、この日電話でやっているか聞いてみると、残念な事に臨時休館日でした。そのため、気持ちを切り替えて竹瓦温泉に行く事にしたのです。いちので会館はまたいつか。

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別府と言えばまずは竹瓦温泉を思い浮かべる方も多いのではないかというくらいの有名な共同浴場です。NHKのドキュメント72時間でもロケ地になっていました。この公衆浴場は昭和13年に建てられたもので、唐破風の屋根で、入母屋造や寄棟造が組み合わされて作られた二階建ての建物で、何も知らなければ立派なお寺と思うような佇まいです。登録有形文化財、近代化産業遺産にも認定されています。ソープランド等いかがわしい店が周りにあり、別府のディープさを演出しているかのようです。

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竹瓦温泉は通常の男湯、女湯に加えて砂風呂があります。今まで砂風呂に入った事が無かったので、入ってみる事にしました。砂風呂は指宿の様に海岸のイメージだったので、意外な感じでした。入り口は男女別ですが、砂風呂エリアは浴衣を着て入るので男女が同じ空間です。ぱっと見お寺の講堂の床が無くなったような風情の中に砂風呂はありました。

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写真は4travel HPよりhttps://4travel.jp/dm_shisetsu/10603350/pict?cid=icotto_presses 

係の方に指示されるまま横たわり、砂が掛けられていきます。温泉を含んだ砂の重圧は結構なもので、その圧と砂の熱さが相まって全身が温まります。そして、全身の血管がドクドク拍動するのが分かり、初めての感覚に驚きました。全身を一編にマッサージされているかの様です。15分後砂から出され、汗だくの砂まみれのゾンビ状態で洗い場に向かいます。色々なものにまみれて、浴衣もまとわりついた不快な状態を、掛け流し温泉で一気に洗い流し、清らかなお湯に浸かると生き返る様でした。この時のお湯は、高温の多い別府にしては適温のお湯でした。その後保温効果も持続して、やはり普通の温泉とは明らかに違った効果を実感しました。どちらかと言うとサウナに近い感じの浴後感。

入浴後にボーっとしながら、ついこの間まで実家で凍えながらゴミと戦っていた事を思ったり、仕事を辞めて暫く経って、無職の状態で別府の砂風呂に入っている事に少しの罪悪感を感じながらも、今のうちだけだよなぁーと贅沢な時間を噛みしめていました。

砂風呂から上がり、休憩所で水分補給した後、私はそれで満足してしまい竹瓦温泉を後にしてしまったのでした。竹瓦温泉は普通浴槽も有名で、階段を降りた所に浴槽がある純然たる昔ながらの温泉のスタイルであり、源泉の鮮度が高いのです。しかも、砂風呂の所のとも違う源泉だそうで、今の私だったら時間を置いて再び入るのですが、何て勿体ない事をしたのだと後で後悔しました。

でも、また別府には行くと思うので、その時のお楽しみという事にしましょう。変わらずある事を願います。

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この写真も4travel HPより。竹瓦温泉の入私が入らなかった方の浴槽https://4travel.jp/dm_shisetsu/10603350/pict?cid=icotto_presses 

その日は、その後予約していたビジネスホテルにチェックインし、さすがに前日不眠だったので2時間ほど睡眠を取りました。

夜から活動を再開し、居酒屋さんで新鮮なお造り等を中心に晩御飯を済ませて、帰りがけにスナックに飛び込みで入って、aikoの「ボーイフレンド」を絶唱して程よく酔っ払ってホテルに帰ったのでした。別府の夜はほろ酔いが似合うなーっと雰囲気に呑まれながら、ぶらぶらしたのが良い思い出です。

旅行記の後編に続きます。







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