母の引っ越しと、恩師との再会
故郷の飛騨で実家を処分し、一人暮らしていた母が姉のいる群馬に引っ越す日が来ました。なかなか職場的に連休が取れず、一泊二日の日程で向かったのですが、薄々感じていた不安が現実化する事態となりました。
故郷とのお別れを前に書いた記事です。↓
不安が現実に
以前実家を処分するに当たって、苦労したのは100年分の歴代の家族、先祖の荷物(そのほとんどが売り物にならないゴミ)でした。そして最悪なのは、その始末を一層難しくする母親の片付けられなさだったのです。恐らく私の母は精査すればADHDなどの診断が付くのでしょうが、昔から整理整頓ができない人でした。私の小さな頃の記憶の中でも、母は休みの日にはいつも床一面に荷物を広げて片付けらしき事をしていたのですが、かつて母の部屋が片付いていた事は一度もありませんでした。
崩壊していく家
そんな母でしたが、私の小さい頃に家の中が崩壊していなかったのは几帳面な祖母がいた事が大きかったです。しかし、そんな祖母が亡くなり、父と母だけが住む事になり、父も早くに亡くなってしまってから加速度的に家の中がゴミ屋敷化していったのです。
モノが少なければゴミ屋敷にはなりません。ミニマリストであれば散らかっても片付けなんてすぐにできてしまいます。母は衝動買いの傾向が強く、買ったモノを開けずに放置する事もよくあり、本も買っては開かずに新品のまま積み重なっています。また、謎の健康意識があり、「冷え」が良くないと言って壁や窓に謎の梱包材や発泡スチロール、バスマットを張り巡らし防寒していました。しかし、そのおかげで、家中がそのための資材で溢れバリケードを作っているように見えました。モノが溢れて掃除できない方が明らか不健康なのにとは思うのですが、プライドと思い込みが強いのでその辺りを話しても不機嫌になるので正直面倒くさい。
そのような母なので、大きな旧家から小さなマンションに引越してからも大変な状況になっているのだろうと何となく思っていました。そして、流行り病によって帰郷もできず、母とも2年以上会えていなかったため、久しぶりの訪問で訪れた母の家は、明日退去するとは思えない状況でした。
墓終いと法事のための帰郷のはずが
本来今回の帰郷の目的は、墓終いをしてお寺の永代供養をしてもらうのと、祖父や祖母達の法事のためでした。そして、いよいよ生まれ故郷とのお別れする事で感傷的な気持ちになりかけていました。しかし、当時母の家に訪れて、これはとてもマズい状況だと認識し、ジャージに着替えて一気に引越し作業に突入したのでした。
引越し作業は躁になる
2月に引越しした時にも感じましたが、引越し作業は時間感覚がおかしくなり、一種の躁状態になる気がします。例えるなら身内を無くした時の葬儀が終わるまでの少しハイであっという間の感じです。非日常モードなんでしょうね。今回もそのスイッチが入り、時間があっという間に過ぎていきます。しかし、今回の場合、あまりにも時間がなかった。体感としてこれでは間に合わないと思い、業者に問い合わせましたが、さすがに今日明日の依頼はどこも受けてくれません。そこで母に状況を伝え、母の知り合いや友人に頼って、手伝って貰う事にしたのです。
責任は果たした。でも、
この文章を帰りの電車に乗りながら書いています。この二日間の働きはゾーンに突入する集中っぷりで、時間期限の16時半ジャストに全て出来ることはしました。もう、ゴミ処理場や宅配便受け付けに何回車を運んだかわからないほどです。そのせいでオンになった意識が抜けず、寝て帰ろうと思った車内で寝付けないので書いているのです。
ある意味達成感はありました。しかし、帰る直前に母が実印が無いと言って手荷物を漁り出したので(昨日既に財布を一度無くして大騒ぎだった)さすがに帰る時間もあり、後の事は姉夫婦に任せたのでした。もう既に、次回予告が出ているようで、もう。
恩師との再会
こんなドタバタの中でしたので、感傷に浸る間も無かったのですが、今回の帰郷で恩師とも言える私に考古学を教えてくれた方に会う事ができました。私は小学生の頃から父と考古学のフィールドワークに参加し、遺跡発見に立ち会ったり貴重な体験をさせてくれたのがその方でした。
しかし、私は大学で行き詰まり、考古学から距離を置いていたので、その道に進む事が出来ず、地域の考古学研究の後進になれなかなった申し訳なさになかなか会うのを躊躇っていました。また、私が大学に行った後でも地域の考古学研究会員として活動していた父が他界した事も大きかったのです。
しかし、今回を逃せば暫くタイミングを逃してしまうと思い、一日目の引越し作業が終わった後に居酒屋さんをしている恩師に電話してみました(恩師は料理人をしながら在野の研究者をされています)。時間が遅く、既に店は閉めておられたのですがありがたいことに快く会って頂けました。
常連さんと既に沢山呑まれた後のようで、かなり酔っておられましたが、他のお客さんはおらず、おかげでゆっくり恩師の本音に近い話を聞くことができました。
まずは私の父との楽しく、輝かしい活動の思い出に花が咲きました。私の父の事を「本当に欲がなくて素直な人」と慕ってくれていた事を話され、そして早すぎる死を惜しんでくれました。そして、夏に刊行する予定のある遺跡の報告書の文末には、その遺跡の調査に参加した父ともう一人他界された方に捧げると綴られている事を教えて下さり、胸が熱くなりました。
また、話は私の事に移り、私が考古学を専攻した事について「本当に変な道に引き込んでしまって申し訳ない」という発言をされ、私が努力や熱量が足りなかった自分自身の問題と思っている事を、まさか恩師自身が責任を感じておられるのを知らなかったのは驚きでした。そんな風に思われていたのかと、また一層申し訳ない気持ちにもなりましたが、考古学を選んだ事を「でも、無駄ではなくてまた人生の中で糧になると思う。一度楽しさを知ってしまったらまた戻ってくるよ。」と今の私の心情を言い当てられたようで救われました。次の日の朝からの作業の予定もあり、あまり長くいられなかったのですが、この夜は忘れられないものになりました。
また故郷に帰ろう
今回、遂に故郷を喪失してしまうのだと思っていたのですが、久しぶりにお会いした恩師との繋がりを感じる事で、またすぐにでも故郷に帰りたくなりそうです。
加えて、我が家の家もお墓もなくなってしまいましたが、永代供養されたお堂を初めて見せて頂き、丁寧に収められているのを見て安心しました。お参りしていると、またいつでも帰っておいでと言われたように思え、色々大変だったけれど思いもよらない温かい気持ちになった帰郷でした。
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