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石と温泉の旅 奥津温泉編

岡山旅行の後編です。奥津温泉に到着したのはもう既に暗くなってしまった時間でした。予約したのは河鹿園という旅館です。河鹿園は老舗の旅館でしたが、一度廃業された旅館を他の旅館が買取りリノベートして再開業された旅館とのこと。鄙びた部分と、改修してモダンに綺麗にしているバランスが丁度良かったです。部屋からはヤマメのいる清流吉井川が見えます。この日、気温が一気に下がったようで、宿に着いた時から気温の差に一気に山の上に来た感じがします。仲居さんが案内してくれる際に「ここのお湯はぬる湯なのはご存知ですか?」と聞かれネットで調べていたので、知っている事を答えると「ぬる過ぎると怒られる方もいらっしゃいますが、ゆっくり時間をかけて浸かるとしっかり温まりますよ。」と仰られました。奥津温泉は40℃前後のぬる湯なので、実際夏場の方がお湯としては向いているかも知れませんが、私は大学時代に行った旅行の思い出があるためか、奥津温泉は雪深いくらいの冬が映えるイメージなので、紅葉の時期も素敵かと思ってここに決めたのです。

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吉井川の源泉湧出地に老舗旅館が並んでおり、もちろん河鹿園は掛け流し温泉です。館内には奥津温泉にゆかりのある棟方志功の版画が展示されていました。

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客室から見える吉井川。窓からの冷気が凄いです。シーズンには釣り人がヤマメを釣っているそう。

チェックインが遅くなったので、まずは夕食となりました。夕食は大山ポークのしゃぶしゃぶや、鳥取に近い位置にあるため境港から仕入れた鮮魚のお刺身等が出てきて、外出を控えていた自分としては久しぶりの外で食べるご馳走でした。ご飯を食べてからお目当ての温泉に入ります。

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温泉は内湯のみですが、私の入った大きめの浴室はレトロで上品なグラデーションのタイルで覆われており、浴槽の隅の壁に小さな穴がありそこから源泉が出てきています。その穴から気泡も出てきていますが、温泉のガスなんでしょうか?河鹿園はポンプでお湯を揚げているので、空気のようにも思えます。温泉は絶え間なく湯船から溢れており、流れ出た温泉は浴槽の横に浴槽の曲線をなぞるように作られた浅くて拾い溝を静寂の中サラサラと流れていて、うっとりしてしまいます。温泉自体は無色透明で匂いもそれほど無いのですが、少しトロッとした炭酸水素塩泉でとにかく優しい感じの所謂美人の湯です。奥津温泉の逸話で、某大手化粧品メーカーが化粧水を作る時にサンプルを採りに来たとか。確かに体温より少し高いくらいの不感の湯なのですが、ゆっくり浸かるとじんわり温まります。また、源泉にラジウムが含まれているとの事で、浴室に立ち込めた湯気の中にいるだけで効果がありそうな気がしてきます。ここの浴室は湯気がミストサウナ状態のため、湯気を吸い込んで一層効果が増しそうです。ウランの採れる人形峠が近いからラジウムが含まれるのでしょうか。行った事はまだ無いのですが、比較的近い三朝温泉もラジウムが含まれてたなと思い出していました。疲れた身体が美味しいご飯と温泉に癒されて、その日はぐっすり眠れたのでした。

念願の恩原遺跡へ

恩原遺跡は奥津温泉から20分程北東に向かった人造湖の恩原湖の湖岸に点在する後期旧石器時代の遺跡群です。標高が730mという高所にあり、スキー場が隣接していますが、普段はほとんど人気のない場所です。奥津温泉からどんどん山深い道を進み、谷筋を登りきった場所で視界が開け恩原湖が見えてきます。訪れたのが紅葉の後半で、人気もなく高原らしい空気の澄んだ冷気が立ち込めていて晩秋の風情が感じられました。

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遺跡群なので湖の周りの舌状台地周辺に旧石器時代や縄文時代の遺跡が点在しています。1984年から1997年まで毎年夏に発掘調査が行われ、後期旧石器時代の石器だけでなく、石組炉や当時の人々の生活の残した炭化物や砂礫堆されきたい(火山灰の土壌の中に砂礫が薄く水平堆積した人の痕跡)といった旧石器時代の発掘では貴重な石器以外の人の痕跡が見つかりました。恩原遺跡は大山から40kmほどの距離にあるため、大山の火山灰が断続的に堆積しており、そのおかげで出土した遺物が土層の順番で編年ができるのです。火山灰の堆積の薄い地域では出土物の編年が難しい場合がありますから、それと比べると格段に得られる情報が多く、整理しやすい。これだけ旧石器時代の遺跡でまとまった資料が発掘されているのは、中国地方では希少です。

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恩原遺跡出土の旧石器。香川のサヌカイトや島根県松江の玉髄、隠岐島の黒曜石と石材はバラエティーに富んでます。

恩原遺跡の発掘では、人々が小さなグループで移動を繰り返しながら生活していたようです。石器石材の豊富な地域の遺跡ではない恩原遺跡の場合、遠方の石材が持ち寄られています。在地の石材はありますが、水晶のような硬くて加工しづらいもののため、人々は自ら採りに行くか、交易によって遠方の石材を手に入れていたようです。恩原遺跡の発掘資料の分析から、恩原遺跡で製作された形跡のない石器製品が出ていたり、逆に製品を作る過程の石屑は出ているが、製品はどこかに持ち去られているといった状況が分かっています。遺跡から持ち出された製品が、別の遺跡に移動して使用された事が良くあるようです。確かに、石材原産地の遺跡に、100キロ以上離れた場所の石材が見つかる事がありますが、こうした石器の循環的な移動があったからなのでしょう。中国地方は山深いはずの山の高所の稜線上に、遺跡が連なって点在しています。旧石器人はこうした遺跡を遊動して生活していたように思えます。さながら、山の稜線が当時の高速道路ともいえる交通路だったのではないでしょうか。

久しぶりのワクワク

車を降りて恩原湖湖岸へ歩いて降りるとすぐに遺物の包含されている場所でした。薮もなく、丁度渇水気味で水位が下がっているためか、舌状台地の末端部が綺麗に洗われており、草も生えていないため黒土(縄文時代の層の黒ボク土)や火山灰が剥き出しになっていて、旧石器好きにとってはテンションが上がる状況です。目を凝らして見ていると、小さいながらも水晶の欠片や、隠岐島のものと思われる黒曜石の小さな欠片も見つけました。

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恩原7遺跡から。湖にあるお陰で、当時の地形がそのまま残っている感じです。

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地面を見ると、縄文土器がバラバラ落ちています。縄文時代の遺跡としても豊かさが窺えます。

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恩原1遺跡より。湖が干上がり、元々の川が現れています。当時は川を挟んだ両岸の台地にキャンプ地を設定して、ナウマンゾウ等を追いかけていたのでしょう。

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発掘された跡と思われる場所を見つけました。土の色が四角く変わってます。

時間を忘れて暫く遺跡を散策しました。人もほとんどおらず、色付いた紅葉と湖を見ながら旧石器時代に想いを馳せる贅沢な時間でした。石が落ちているのを見て、久しぶりに石を身近に感じられました。

まさかのミシュラン

風を遮るもののない湖岸で、暫く寒風に吹かれていたためトイレに行きたくなり、トイレを探して恩原湖から離れましたが、なかなか見つからず、ようやく「いっぷく亭」という謎の施設を発見。山奥とは思えない綺麗なトイレを使わせてもらった後、ふと見ると茅葺きの建物のいっぷく亭の入り口には「あけび定食」と書かれたボードが。「あけびって、あの山で採れる果物みたいな?その定食って何?」と興味惹かれました。丁度昼前だったので思い切って入ってみました。囲炉裏のある店内と、意外にお客さんが多いのにびっくり。

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右上の器に入ったのがあけびです。あけびの皮の中にひき肉が入っています。

あけび定食を注文。あけびは小さい頃におじいちゃんが山で採ってきた物を食べたことがありましたが、皮は初めて食べました。癖のない茄子のような食感とひき肉のしっかりした旨味。また、山菜の天ぷらや切り干し大根、姫筍、そして郷土料理の団子汁どれをとっても素材の味を活かした美味。懐かしくて飾り気のない素朴な味は都会では絶対食べられない味に感じました。また、川魚に目がない私はヤマメの塩焼きを注文。しっかりした大きめのヤマメで、清流で育った臭みの無さとその旨味に大満足でした。

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ヤマメの塩焼き。サービスの熊笹茶が爽やかで美味しい。

まさかこんな山奥でご馳走にありつけるとはと、満たされながらお会計をして何気なく店内を見ていると、見覚えのある本が。あれっ?ミシュランガイド?全く情報無しで入った店がミシュランの店だったみたいです。何という幸運。キツネに騙されてるかと思うくらいの体験でした。丁度お店から出る辺りで、次々とお客さんが来て満席に近くなってました。

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お店からの景色。本当に山奥に来てしまったって感じの場所。寒村という言葉が浮かびます。

奥津温泉再び

午後からは恩原遺跡に戻って再び散策した後、身体が冷え切ってしまったので奥津温泉に戻って日帰り入浴ができるところを探します。東和楼という老舗のお宿が足元湧出と聞いて訪ねました。

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東和楼もかなりの老舗です。歴史を感じる玄関を抜けると階段を降りて地下に向かいます。自然湧出系の温泉は地下に降りる浴室が多いので当たりの予感です。奥津温泉は川に温泉が湧いているので、川の高さまで下に降りることになります。

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階段を降りると、異世界に向かうレトロなトンネルが現れます。トンネルの向こうに温泉が待っていると思うと気持ちが高鳴ります。

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トンネルの角を曲がって扉の奥が温泉です。

扉を開けると温泉好きには夢のような光景が待っていました。サラサラ流れる音が聞こえます。

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オーバーフローした新鮮な温泉がレトロなタイル張りの床を流れていきます。川に湧いている状況を再現したゴツゴツした岩を設えた浴槽になっていて、湧出の高さに合わせるためか胸辺りまで深いのがまた自然湧出感が出ています。

早る気持ちを抑えて、湯船に入ります。じーんと冷えた手足の末端が痺れるようになって、鳥肌が立ちます。昔雪遊びした後のストーブを思い出します。歳を取ったからか、身体がこの反応をし始めると冬が近づいてるのが分かるようになりました。冬の遺跡巡りの後のこの感覚は最高です。冷え切った身体が一気にリラックスモードになります。お湯の温度は41℃くらいでしょうか、直湧きのためお湯が冷めてないから河鹿園より高め。冷えてた身体には丁度良い温度です。

暫く浸かってよく見てみると、浴槽の温泉湧出部は浴槽奥側の底にある塩ビパイプから出ていました。岩から直湧きという訳ではありませんが、ほぼゼロ距離で湧いていると思います。温泉は空気に触れてから変質するので、やはり直湧きが温泉を楽しむには理想です。お湯は癖のないサラっとしたものですが、浴後肌がスベスベになる美人の湯です。お宿の店主さんから、浴後はタオルで拭きとらず、肌に温泉を染み込ませてくださいと説明され、温泉愛を感じました。その言葉通りに、湯船から出て洗い場で染み込みタイム、また湯船と繰り返しました。温まるのは勿論のこと、肌もスベスベで奥津温泉を満喫しました。

暮らしの中の温泉

帰りがけに奥津温泉の洗濯場を覗いて帰りました。奥津温泉では昔冬場の寒い季節は川で湧く温泉を利用して、地元の人達が洗濯をしていたそうで、今では観光客向けにその再現が行われています。また、今でも地域の人が洗濯をする洗い場があり、かねてより見たいと思っていたのです。

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右奥の白い建物が洗い場です。川では可愛いカワガラスが飛んでました。

洗い場に行ってみると、事前情報では知らなかったダイヤルロックが扉にされています。見られないと思って少し残念に思っていると、丁度地元の男性の方が洗いに来られ、ご好意で中を見せてくださいました。

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湧水で野菜を洗う水場のようですが、しっかり温泉です。槽毎に温度、源泉が違いました。一番奥は老舗奥津荘のお湯との事。

こんな山奥に清らかな温泉が湧いていると、地域の人々はこんな利用方法を考えるのですね。特に昔は暖を取るのに苦労したでしょうから、温泉は人々にとって有り難い資源だったのだろうと思います。雪深い時期の奥津温泉に訪れたことがあったので、尚更温泉が大切にされるだろうと実感しました。

洗い場に鍵がある理由を聞くと、最近はいかがわしい人が出入りして、変な撮影をしたりとトラブルがあったようです。警察の指導でそうなったようですが、非常に寂しい事です。結局一部のマナーを守らない人が、当たり前にあったものを失わせている。私の故郷の下呂温泉でも最近河原の噴泉地が足湯限定になったと聞きました。素朴な田舎の風情が失われる寂しさと、観光誘致とのせめぎ合いという事情もあるのでしょうが、田舎の素朴な人の優しさや信頼の上で成り立つものがこれからも続いてほしいと思って止まないと感じました。

終わりに

今回、念願の奥津温泉そして恩原遺跡に行く事ができました。大学生時代以来の奥津温泉でしたが、印象の変わらない部分と、新たな発見の部分とがあって、旅行はやっぱり一度行けば良いものではないと思いました。

奥津温泉周辺は田舎生まれの自分でもかなりの山奥、陸地の行き止まりの様な「どんつき感」があります。そんな場所も旧石器時代は人々が躍動していた遺跡銀座であった時代があったのが不思議で魅力的です。ダム湖に沈んだ飛騨の遺跡の調査に携わったことがあるのですが、昭和の建物ですら遺跡の様に礎石だけになっていたり、その傍らに縄文土器が落ちていたりする様子を見ました。今生きている私達の生活ですら時間が流れたら遺跡になるのだという無常感と、縄文時代と現代が脈々と繋がっている興味深さが感じられました。同じダム湖の遺跡である恩原遺跡でも、同様の感慨がありました。恩原遺跡では旧石器時代週末の北方の細石刃文化の石器群が出土しています。これはシベリア、サハリンを通って人々が遊動した証であり、当時の人々の距離感覚について驚かされるものです。この様な山奥の遺跡だからといって、小さなエリアで留まっている人達ではなかったのです。そういった思い込みを覆してくれる発見を遺跡が教えてくれる気がします。

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