アップデートされた未来に訪れる昭和感
時代って繰り返すものなのかな〜と
昭和生まれではないので昭和時代はおろか平成時代の初期もそんなに記憶ないです。
ちょうど、1980年代後半や1990年代2000年代生まれの、ミレニアム世代とかジェネーションZとかっていう言葉が出てきて、流行ってたものとか手にいれたかったものとかその時代でのやり方が昭和世代と大きく異なってるっていうはあるあるですよね。また今はその次の時代への転換期でもあると。
だけど、ある意味で昭和のような時代って来るんじゃないかな、と考えてます。
加えると、イコールではなく
・便利になった上での不便さの受容
・個人レベルでの「自然な」価値のやりとり
・独立した個が作るエコシステム・ギラつかない経済圏
など平成文化の上で出来上がる昭和感みたいな感じですね。
昭和的な商店街
「非中央集権的なやりとり」と「個が主体になる集合体」の流れってすごく感じてて、まさに「昭和的な商店街」だなーと
例えば、コンビニとか大量生産型のスーパーの良く出来たコロッケと、近くに住むおじさんおばさんがやってる小さいお店の不揃いなコロッケって同じコロッケでも違うんですよね。
今まではコロッケ単体にしかフォーカスされてませんが、これからはコロッケをハブとしたおじさんおばさんとの感情的な体験(不揃い含め)にフォーカスしていくんじゃないかと。
だから、「もっと便利に」とか「もっと豊かに」とか「もっとこうあるべき」っていう「欲」というか、行き過ぎた教育って、どこか違って来てると感じてます(それ自体は別に悪いとは言いません)。
もう既にこの世の中は便利なんですよね。
便利なんだけど、それだけじゃ足りない
もうそこに価値なんかないんじゃないか
もはや外的要因への期待感とか「あるべき」の押し付けとか「そうじゃなきゃいけない理由」とかって苦しいし、それじゃない感ハンパないと、
目に見えるモノではなくて、目に見えないコトが大事なってくる。
大事なコトって見に見えないです。
だから、僕らは目に見えないその大事なものをデザインしクリエイトしていく必要がある、クリエイトして行きたいな、と。
来るべき昭和に向けて
未来について話すとなんだかフワフワした感じが面白くて、それを実際にデザインしていくのも面白いですよね。