大掃除から思う変化への怖さ
2021/1/3(3/365)
どうもイシダイです。
今日で3が日終わりですね。
変わらず今日も昼に起きて〜ダラダラして〜ドライブ行って〜と安定のシェアハウス家族で過ごしておりました。
僕は意外ときれい好きだったりという性格もあって、掃除機掛けたりするもの苦にならないので、普段から比較的掃除をやっているものの、まぁ8人で生活しているものですから、そりゃ散らかりますし汚れも溜まるんですね。
理想は普段から掃除をして大掃除なんてものをやらないで済むことですが、細かいところは普段の掃除では中々出来ていなかったりしますし、1年住まわせてもらった家に感謝を込めて、年末3日間くらいかけて大掃除を皆でやりました。
そこで、ソファや棚を動かしたりと部屋のレイアウトも大きく変えたりもしました。
今まで「台所のこの棚のこの引き出しには調味料」といったように、当たり前になっていた環境が変わるとのことで、「このままが使いやすいだろ」なんて声もありました。
確かに慣れてはいるけど、もっと効率よくするためには〜とか、この方が整理整頓しやすいとか、意見を出し合いながら、進めていきました。
例えば、
皿洗いして→拭いて→直すを効率よくするにはココに食器をしまったほうがいいんじゃない?でも、そうしたら今までよりスペース狭くなるから不自由じゃない?
みたいに。
そんなこんなで大きくレイアウトも変わり部屋もスッキリして綺麗になった家で年を越し、正月も終わります。
でも、今となっては皆何の不自由もなく生活できています。
上の食器を置くスペースも狭くはなりましたが、その分今まで以上に整頓を心がけるようになりました。
やっぱり人って“変化”が嫌いというか怖いというか受け入れにくいんですね。
“安定”したものが心地良いし、変化を好みません。
でも、慣れてしまえばなんてことない。
例えとして掃除を出しましたが、他のことでも、人生レベルでも言えると思うんです。
住む場所を変える、仕事を変えるなど。
今まで慣れ親しんできたところから、新たな一歩を踏み出すのは、多少なりとものリスクを伴うかもしれないし勇気がいることです。
でも、その一歩さえ踏み出してしまえば、何だかんだ慣れるものですし、そのうちそこが心地よくなる時がくるでしょう。
安定や居心地が良くなるというのは、同時に更なる成長の妨げにも繋がるのではないかと思います。
“現状維持は衰退”なんて言葉もあるように、成長したいのであれば止まっているわけにはいきません。
今年度で僕は、今のシェアハウスを出ます。
正月も毎日皆で過ごしたりしたようにめっちゃ仲いいです。
そこを離れるのは寂しくもあります。
でも、心地よくなってきたからこそ次の環境に身を置けよって言われているような気もするんです。
出たからって「家族」ということに変わりはないですし、いつまでも帰ってくる場所です。
変化や一歩を踏み出すことは簡単なことではありませんが、
その勇気を出して新たな景色を見てみるのも楽しいんじゃないでしょうか。
僕も怖いですが、勇気を出してみます。
では。
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