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56/365 愛し愛され

今日は祖母の一周忌だ。

もう1年か。

関西と九州、離れていて直接手を合わせる事はできないが、空を見上げて声をかけた。

 

祖母は僕が中学3年の夏に脳梗塞で倒れてから、約8年間頑張ってくれた。

回復期リハビリテーション病院でリハビリも集中的に頑張ったが、自宅復帰は叶わず、最期の時までほとんどをベットで過ごした。

その約8年間、祖母の隣に居続けたのが祖父だった。

祖父は、雨の日も風の日も365日毎日祖母のいる施設まで通っていた。

しかも、自身で車を運転してである。

祖父もまだまだ心は若いが、もう歳である。

腰を痛めてシルバーカーを必要とするまでにもなった時期もあり、さすがにキツくなってしまったか…と思ったが、それでも毎日通い続けた。

祖母が喋れなくても声をかけ続け、側にいた。

当時僕がリハビリ学生でアドバイスなどすると、マッサージをしたり関節を動かしたりしていた。

施設の職員の人には申し訳ないが、よっぽど祖父の方が信頼できるくらいだ。

僕が顔を出した時は、帰る時部屋を出るのは必ず祖父が最後で、扉の端からちょこんと顔を出し祖母が寂しくないように見守ってから離れる。

僕が行けたのは時々だからそんな様子も一部しか知らないが、毎日祖母と祖父は一緒だった。

 

元々祖母と祖父は仲が良かった。

少なくとも孫の僕にはそう映っていた。

祖父が仕事を引退してから2人でツアー旅行に行ったりして、第2の人生を楽しんでいるように見えていた。

僕の運動会にもお弁当を作って2人で来てくれたりした。

まだまだ行きたいこと、やりたいことはあったのではないだろうか。

そんな中で祖母が倒れた。

結構祖母はズバズバものを言う性格で、祖父は優しい性格なので、もしかしたら肩身が狭かったのかもしれない。(あくまで、もしかして)

でも、祖父は毎日祖母の元へ行った。

やっぱり仲良かったのだろう。

いや、愛していたのだろう。

愛していたから、祖父は腰が痛くても毎日通い、目やにを取り続けたのだろう。

愛していたから、棺の中で冷たくなってしまった祖母の顔をなで続けたのだろう。

僕はその8年間、しんどそうな祖父を見ていない。

 

こんなにも愛してくれる人がいる祖母は幸せ者だ。

こんなにも愛する人がいる祖父は幸せ者だ。

 

見返りなんて求めずに無償の愛を注げる存在が夫婦であり家族だと思う。

僕が憧れるのは祖母と祖父のような夫婦であり家族だ。


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