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詩を読む四つの観点で子供も教師も詩が「わかる」!

1 四つの観点で詩の指導

私は、小学校三年生以上の詩の指導では、次の四つの観点を用いてきた。

① 題名
② 連
③ 繰り返し
④ 比喩

これらの詩表現における要素を「詩を読む観点」と呼び、詩の読解で用いることによって子供たちに身に付けさせ、やがて自力で読むことができるようになることを目指してきた。

こうした「読みの観点」と呼べるものを使って読むことの指導をすることは、これまでの国語科教育において多くの人により研究され、実践されてきた。例えば、西郷竹彦氏の文芸学における<認識の方法>から私は多くのことを学んだ。
また、筑波大付属小の「自力読みの観点」や「文学/説明文の読みの系統指導」もよく知られている。

私の実践では、小学校三年生以上の教科書教材レベルの詩ならば、この四つの観点を用いることで子供たちは十分に読み取ることができた。「難解」と思われるものであっても、これさえあれば読解することが可能だった。

2 指導する上での留意点

ただし、この四つの観点を用いて指導する際に、私は以下のことを大切にした。

(1)子供が発見・納得する過程を大切にする

どれほど優れた「読みの観点・技能」であっても、教師が「絶対的・確定的」なものとして、<与える>指導をしてしまうと、子供から乖離した指導になりやすくなる。
そうではなく、子供が詩を読み取っていく過程で、「ここに着目すると詩が読み取りやすくなる」と、子供が自らその「観点」を<発見>したように指導することや、「この観点で読むと詩が分かりやすくなる」と<納得>するような授業を目指してきた。
なぜなら、上に、「子供たちに身に付けさせる」旨を書いたが、この四つの観点は、子供たちが将来に渡ってこれさえあれば過不足なく詩が読めるという「公式」などではない。
逆である。この観点並びにそれを用いた指導は、子供たちが今後、自分なりの「詩の読み方」を自覚的・方法的に行っていくための「契機」でしかない。
つまり、本当に育てたいのは、自ら「<自分の>詩を読む観点」を見つけ出し、創り出していく「力」なのである。
そのために、ひとまず、「身に付けさせる」ということなのである。

(2)計画的・漸進的な指導を行う

従って、一度で子供に身に付けさせることをねらわないようにしてきた。
所与のものとして明示する指導にしないためである。
段階的かつ子供が繰り返し用いる指導を構想してきた。
とはいっても、3年生以上の国語の教科書では、年間に詩教材が出てくるのは数回である。
計画的な指導が必要であった。だからこそ、「四つ」だとも言える。自分なりに「厳選」したつもりだ。

また、画用紙に書き、提示したり掲示したりすることで、「点」に成りがちな詩の指導を「線」で繋いだり、物語指導と関連付けたりする工夫も行った。

ところで、「段階的指導」という表現を私はこの「ヒント帳」でしばしば用いるが、その「段階」とは、あくまでも形式的なものであり、実際の教育内容とは、行ったり来たりするものであり、スパイラルに繰り返されるものであり、根っこのように複雑に絡み合っているものだということは、言うまでもない。これまで示してきた様々な内容の指導方法も、それを踏まえているつもりである。

3 教師にとっての意義

この「詩を読む観点」は、指導する教師にとっても有意義である。

「国語における教材研究の仕方がよく分からない」という教師の言葉をよく聞く。
この四つの観点だけでは、テキスト研究としては、全く不十分である。
教材研究としても、まだ足りない。例えば、作者について調べたり、同じ作者の他の作品や異なる作者による類似したテーマの作品などと比較したりすることはぜひ行いたい。
だが、少なくともこの四つの観点を用いて、子供の顔を思い浮かべながら教材を分析すれば、「何を教えたらいいか」が、見えてくるはずだ。
「詩を読む観点」は、教材研究を補助する機能ももつのである。

この四つの詩を読む観点を用いた授業の実際を次回お伝えする。

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