(29)それでも、今日よりも明日はって、思っている。


恐縮です。今回、矯正日記の部分も無くはないが、大幅に横道にそれます。
どうしてもこの状況を記録に残したいので、ご容赦ください。

2022年後半はひどかった。
ざっくり言います。描いていた道に進むことに対しての挫折→停滞→そこに父の死去→自身に起こる体調不良→隠れていた持病発覚→あんなに周りを巻き込んで息まいて目指していた新しい道はあきらめることを決断。ついでに婚約破棄。(ついでに?)
もう、株の暴落みたいに、悪い兆しが見えたなと思ったら悪の先端まで行くのって早いなあ。
さて、それで、2023年を迎えたので、気持ちを切り替えていこっ!そう思っていたらやってきた腰痛。全然眠れない日が3日続くと51才の私は見た目60才になりました。(眠れるようになったら54才くらいまでには戻りました。)
超音波式のマッサージ機を毎日あてたり、仕事の帰りに早歩きで30分歩いたりと緩やかなリハビリをしていたら腰痛は1か月ほどで解消。ほっとしたのもつかの間、出た、五十肩。3月の頭だったろうか、その発症から腕の可動域は2か月間改善も改悪もなく痛みも変化なく継続しており、ブラのホックを後ろ手で留めるのはもう夢のまた夢。スカートのホックも一回休まないと留められない。なったことのない人にはわからないであろうから説明したいのだけれど、ある一定のところ以上から、腕が動かなくなるという症状なのですね。激痛の壁がそこにあるんですよ。病院でみてもらったわけではないけれど、ネットで情報を得る限りどうやら自分の症状は五十肩に間違いなし。でも時間に余裕ができたら一回病院でレントゲンは撮ってもらおうか、と思っていたここ2か月間。これもまた軽い睡眠障害を引き起こしており、日中だっるー、なのだよな。更年期障害なの?どっちなの?でも、そんなのもうどっちでもよくて、生活費を稼ぐためには仕事はしなきゃいけない、痛みやだるさに意識フォーカスしていられないんで、とにかくだるさも痛みもあちらに置いておいて、ただ生きていた。
そうはいっても五十肩くらいならまあ、耐えられた。そして、3日前、5か月に一回の矯正歯科検診にて。「虫歯できてます」と医師に告げられる。はあー、いやだなーとも言う暇もなく次週の土曜日午前中に虫歯治療の予約をする。虫歯といっても現状痛みはない、ああただめんどくさいといった感想である。そしてその矯正歯科の帰り道、喉に痛みが生じはじめる。??嫌だなあ、コロナ感染ではないよなあ、と痛みには見て見ぬふりをする。しかし日曜夜の「どうする家康」を視聴しつつも違和感を覚えていた。ソファに座る姿勢すら辛いぐらいのだるさも出ていたのである。しかし熱をはかっても36.5度。間違いなく喉の痛みは強くなっていて見て見ぬふりをするのも限界に達していた。GWでしっかり休んで明日から仕事というその日、かつ、コロナは5類に移行というその前日に「コロナかな?」と悩むのはすんごくタイミングの悪い人みたいで、嫌なのだ。喉の痛みは事実だが絶対コロナじゃないと根拠のない信念を持って、自宅にあったトラネキサム酸(1年前に肝斑治療で購入したけど結局飲まなかったやつ)と葛根湯を気休めに投入。はやめに寝よ・・・ソファから立ち上がったその時、足首に激痛が走る。
思えばゴールデンウィーク中、体力向上を目指し一日平均15000歩歩く毎日。スマホの歩数の数値を見ては満足げだった私。そのゴールデンウィーク最後の日曜の夜9時を過ぎた頃であった。何この痛み。いやしかし、とにかく寝よう。寝て起きたときにまた考えようと思った。
その夜中、尋常でない汗をかいた。喉の痛みも真夜中にピークを迎えた。朝になった。喉の痛みはひいていた。だるさはもう無かった。真っ黄色の粘々の痰がたくさん出た。何かには感染した証である。何かと戦った戦士の遺灰に拝み倒し、でも、もうそのときは終了した戦闘のことよりも、足首の痛みのほうに意識が行っていた。痛くてまともに歩けないのだ。
左肩は痛い。右足が痛い。痛いだけならともかくまともに歩けないのがとにかく辛い。でもゆっくりならば、足をひきづるようにすれば、何とか移動は可能。早めに家を出れば会社には問題なく到達できると踏む。負けたくないもんね! しかしこの痛みの原因は何なのだろう。え? 歩きすぎたから?? 一日15000歩程度で????
思えば3年ほど前、とある女性鍼灸師に「あなた、足首注意ね」と占い師ばりに予言されたことがあったが、それが的中した瞬間であった。
腱鞘炎にもなりやすい身体なのは過去の自分の経験からして明白で、どうやら関節よわよわなんだなあ、と改めて自分を知る。
身体障碍者の方が一生懸命地下鉄の乗降をしている光景をよく見ていたので、私もそれと同じだ、ゆっくりでも移動はできるのだからゆっくり頑張ろう、手すりを使い、階段は一歩一歩、自分の出来るペースで、と、けなげな自分を楽しむことにしようと誓う。仕事自体はずっと座ってできるので、社に到達してしまえば痛みも忘れるであろう。
しかし、明日も明後日もこの調子なのはまずいなあ、朝早く起きるのもいやだし、来訪者の応対ができないのもよくない、ということで仕事は18時で早退して地元の整形外科へ。医者は直接患部を触れることも見ることもなくレントゲン撮影。やたら何とか免許取得だの、何とかの資格だの、学会の研究の受賞のどーたらだの、ちっさな字で施された表彰状が待合の椅子に座ったときにちょうど目の前にくる壁一面に飾られていて、見たくもないのに強制的にそれが目に入るという態勢を強いられる不快感極まりない病院であったのだが、その肩書大好きな医師に足首はどこも悪くないといわれる。肩も同様、どこも悪くない、典型的な五十肩ですねとのことで。そっちはもう私もわかっていたから、はいそうですねと無表情でうなずくばかりなのだが、足首のほうはどっこも悪くないといわれても、今まさに歩行に困難をきたしている、これの対処療法はないのか? と医師にくらいつくありさま。その鼻息荒い私を診療時間を過ぎているストレスも相まってか、医師は鼻であしらうのである。ほっとけば治る、そういわんばかりであった。ただただ大量の(28日分)シップを処方された。そのありがたいシップと以前手首の腱鞘炎になったときに購入したサポーターにて痛みの改善に期待するしかない。その翌朝であった。
い、いたくない・・・・!
もう意気揚々と出勤である。歩けるぜ!!!!!!!!と自信満々である。下りの階段は怖いが、それ以外はもう怖くない。渇いた5月の空気は最高である。爽やかである。この上なく幸せな気持ちである。
会社にたどりつくと珍しく弱音を吐いて早退した私に皆が声をかけてくれた。「劇的に回復!」と告げるとみんなが鼻で笑った、気がした。私もこの程度で良かった、何事もないのに大ごと面して早退して病院に行って、なんでもないって診断くだされて、すぐ翌日に回復して、本当に良かったって思った。

今、その回復一日目の夜である。
まだ全快とは言えないので調子に乗らないことが大切であると自分を戒める。
今週末は虫歯治療のため、歯医者に行かなければいけないことも忘れてはならない。

言いたかったのはつまり、51になるとこのような日々が続くんだな、ということ。

先ほど、ステージ4の乳がん、肺がん患者である母親から電話があった。
「私は元気だよ。気候が暑くなる前にお父さんのお墓参りに行きたいな」
彼女は酔っていた。今日の血液検査の結果が良かったのだそうだ。
私は、母が死ぬより前に死ぬことだけは許されない。
私の今の目標はそれである。
だとすると、母が亡くなった後、私は生きる理由がなくなってしまう。
何かを見つけないとな、ということで一日を終えることにしよう。











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