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家出と親の役割

家出をしたことがある。思春期じゃない。50歳近くになってからだ。

大阪に出張があり、その前日に名古屋の実家に寄り一泊していこうと思っていたのだがそこで親子げんかになり、僕は家を飛び出した。

そのまま新幹線に乗り、着いた大阪でビジネスホテルを探し、そこで泊った。

* * * *

親との確執は10代のころから続いていた。僕にとって彼らは『僕の話を聞いてくれない人達』だった。それは今も変わらない。世代なのかもしれない。親父は最後には「子は親の言うことをきくものだ」と言う。

僕には姉がいる。学生時代から優秀だった姉は大学を卒業し一度勤めれば元〇〇と名乗れる有名企業に就職、その後独立。今はある会社の役員をしている。

親にとって姉は自慢の娘で、僕は困った息子だったのだろう。小さい頃から比べられていた。姉に対する態度と僕に対する態度の違いはうっすらと感じていた。僕が高卒で働き始めた理由の一つには、そんな親や姉への反発心もあったと思う。

20代で家を出た僕だったが、しばらくはたまに実家に帰っていた。だが徐々に自分の感情に気付くようになっていった。実家が楽しくないのだ。

親子だから仲良くすべき、それはわかってるし自分だって彼らと仲良くしたい。だからたまに顔を出すようにしていたのだが、会うたびに彼らは僕の感情を逆撫でする。それをこらえ、なんとか笑顔を作り、話を聞くのだが、楽しくない。

たしかに彼らの気持ちもわかる。できの悪い息子だった。たぶんかなり心配をかけてきたのだろう。彼らから見ればその時のままの僕で、心配なのだろう。それもわかる。

だがもう僕は大人だ。たくさん経験をし、文字通り社会にもまれ、たくさん失敗し、たくさん涙も流してきた。少しは成長しているはずなんだ。そういう僕を見て欲しいのだが。

実家に行き親と話すと僕は自信がなくなる。「お前はダメなやつだ」と言われている気になる。そういう自分の感情に気付き、僕はだんだんと実家に行かなくなっていった。

そうは言っても、もし彼らと気持ちを寄せることができるのなら、その方がいい。そう思い、たまたま入った大阪出張の前日に休みを取り実家に帰った時のことだった。

50歳も近くなり、なんとか普通の暮らしをできている僕は彼らに安心して欲しくて言った。

「俺は大学にも行かずに心配かけたと思うけど。でも今は自分の生活に満足できてるから。俺の人生はこれでよかったんだと、今は思っているよ」

すると親父は言った。

「そんなのマスターベーションだ。満足してるだと? そんなわけがないだろ」

親父は笑っていた。

親父にとって僕は失敗者なのだ。親父の言う事を聞かなかった僕は人生の敗者なのだ。

僕は食い下がった。

「俺ももう一人の大人なんだよ。自分の価値観は持っている。親父とは違うかもしれないけど」

「黙れ」

「話をしに来てるんだよ。黙れってなんだよ」

「うるさい、黙れ。もうしゃべるな」

やっぱりこうなる。いつもと同じだ。

なんとか関係を修復しようとして来てみたけれど、何も変わらない。

「そうか、わかった。もう話さない。もう二度とここへは来ない。どちらかが死んだ時は葬式の連絡だけくれ」

そう言って僕は家を出た。

50歳も近くなった男が家出。

我ながら情けないが、あの場所にいることに耐えられなかった。

親と子は、大人と子供、保護する側と保護される側として、その関係を築いていく。だがいつか子供は大人になり、親と子は大人同士の関係になる。

それぞれの価値観を持った大人と大人が、相容れないことがあるのは珍しくはない。互いに歩み寄るのも一つの方法だろう。だが、それもどうしても無理な時には、離れるのがいい時もある。

行こうと思うと気が重くなり、帰る時には自信がなくなっている。そんな場所なら行かなければいい。自分の行くところ、居場所を選べるのが大人なのだから。

* * * *

僕の飲み友達に子育て中のママがいる。ただ彼女の御主人が詳しくは書けない程のロクデナシで。彼女はいつも忙しさの真っただ中で、なんとか家庭を維持していこうとたった一人で頑張っている。

当然、何回も離婚を考えた。だが彼女の実家の母親はこう言う。

「女は我慢するもの。夫が浮気するのもあなたの頑張りが足りないからじゃない」

これも世代なのかもしれない。だけど彼女が求めていたのはそういうことじゃない。彼女は「ちょっと休ませて欲しい」と言っているだけなんだ。

彼女は一度僕に言ったことがある。

「八方塞がり。本当にどこにも行けない。誰も助けてくれない」と。

30キロ台まで痩せてしまった身体で。涙を流しながら。


ライオンの親は子供を一度谷底に突き落とすという。

実の親に本当に突き落とされたことはありますか?

突き落とされた子には、それでも登ってくる義務があるのでしょうか?


そんな彼女に僕は何もできない。ただ「私には呼べば飛んで来てくれる人が一人はいる」と思ってくれたら。ほんの少しでも、彼女が自分の価値を信じられる助けになるのなら、といつも思っている。

* * * *

あれから一度だけ実家に帰った。三年位前だったと思う。2時間だけ顔を見せ、最近の出来事なんかを少し話し、昼飯だけ食べて実家を出た。これくらいが大人と大人になった僕と彼らの、ちょうどいい距離感なのだろう。

親子だから仲良くするべき、という人がいる。親子だから話し合えばわかる、という人もいる。親子だから感謝すべき、という人もいる。

だけど親子だからと言ってどちらか一方が苦しみながらも近くにいなくちゃいけないなんて、そんなことはないと思う。

親子だとしても大人同士なのだから。

自分の行くところ、居場所を選べるのが大人なのだから。

いつかまた、時が流れ、また歩み寄れる日が来るのかもしれない。そうなったらいいなとも思っている。

* * * *

さて、そんな親子関係だった僕は自分の息子とはどうなっているのかというと。

先日息子と二人で鮨を食いに行った。僕は父親として至らなかったことを彼に謝り、二人で日本酒を飲んだ。僕の思い違いでなければ今の僕と息子はとてもいい関係だ。

僕は息子を信頼し、息子の話はちゃんと聞くようにしている。ちょっとした相談事がある時には彼からLINEをくれる。今でも彼のスマホの料金は僕が払っているが、その程度なら今後も遠慮なく甘えて欲しいと思ってる。

僕は息子を大好きだ。立派な男だと思ってる。何一つ大きなことはできなかった僕だけど、世代のバトンをこの子に渡すことだけはできた。その役割を果たすことができたんだと、僕は自分の人生に意味を感じ、今の自分に満足している。

親から自己肯定感を与えられなかった僕だけど。

息子が僕にそれを与えてくれた。

若い頃に思い描いていた理想とはちょっと違ったけれど。

俺の人生はこれでよかったんだと、今は思っているよ。




#子どもに教えられたこと
#コラム #エッセイ #親子 #家族


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