50代おっさんが読む涼宮ハルヒ

その存在を知っていても、なかなか紐解けない本というのがある。

中年男子という立場だと、そうした本の筆頭がラノベなのではないかと思う。「涼宮ハルヒ」シリーズが世に出たのが2003年ということだから、もうその時点でこちらはオッサンなのである。アニメも放送していたのは知っている。登場キャラクターの可愛い絵も見たことある。エンディングソングで踊ることが流行っていたことも知っている。作品よりも完全にイメージ先行だ。正直言うとラノベとアニメ(とそのファン)に対する偏見もあったよ。

で、なんで読んだのかというと、娘の存在がその理由だ。高校生になった彼女は、こちらの知らぬ間にそちら方面の知識を身に付けていた。聞くところによるとハルヒのシリーズはマストアイテムだそうだ。そうか、じゃあ読もうかな。何も教ていないのによく大きくなったものだ。褒めて遣わす。

というわけで角川文庫版(スニーカー文庫ではない)涼宮ハルヒの憂鬱を娘から借りることになった。表紙もぐっと大人っぽくなっている。これなら人前でも気にならないだろう。

読んでみると、ところどころしか知らなった人物、シーン、セリフが繋がってくる。ああ、こういう話なのか、と断片的な記憶をたどりながらストーリーを構築するというデ・ジャブのような感覚だ。ああ、こういう人たちだったのね。こういう話なのね。

例えば有名な、ハルヒの最初の自己紹介の場面。有名なセリフが文面に出てくると、ここで出てくるのか、と安心したり、うれしくなったりする。思わずページをめくる指の動きが速くなる。

高校に現れた美形女子が、特異な言動で周囲をひっかきまわすという筋立て。そこに突如加わるSFの要素がさらに話の筋を特徴的なものしているが、キョンの独白という文体から、あくまでも高校生の一生活として処理され話が進む。後ろの席にいるやつが狂人だったら?謎の転校生が来たら?隣のクラスにアンドロイドがいたら?テロリストが学校に来たら?そういった他愛もない空想、いわば中二的発想がSFとして高校生の生活に描かれているんだなあと思ったよ。

これ、昔NHKで夕方にやってた、ジュブナイル向けSFドラマの流れだな。その名の通り「謎の転校生」とか、あったような気がする。

これ古すぎる話なんだけれど、当時高学年の姉の隣で幼稚園ぐらいの俺が一緒に見てたんだよね。幼稚園児が見る、中高生のドラマなんて背伸びしていて面白いじゃん。話の筋なんかわからずとも、一緒にキャーって騒いでるの。

ハルヒも読者同士でその中二要素にキャーって共感できるところが、たくさんあったんだろうなって思うんだ。それがここまで有名な作品になった一因かなって思う。みくる、長門とかのキャラとかも含めてね。

もうオッサンになったアタクシの目から見ると、キョンの女子を見る描写がおとなしい(もっとエロいだろ!)とか、神人は若者の焦りとか、現状と将来への不安・不満を表すとか、そういうことも言えるんだろうけど、そこよりもSFの系譜がここにつながっていたんだということが発見できて、うれしかったな。

最近、良いSF作品が少なくなったとか聞くけれど、ラノベの世界で生きてたんだよね。でもSFとしては描き方の底が浅いとも思える。でもね、それはSF作品のお約束事を、過去の名作を下敷きに共通のものとしていて、この作品では詳細に描くことを省略しているんだろう。ここがお約束といえる由縁だ。

そうした「お約束」が経験できる作品として、ハルヒを楽しみました。この作品から、次々に過去の名作にあたるがよい。

「憂鬱」と「溜息」は読んだから、今度は「退屈」を紐解きます。



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