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まじめに京大文学部生をやりすぎた結果、アートの道に進むまで。
こんにちは。山本功(ヤマモト @equem_mm)です。
はじめまして。広島と瀬戸内エリアを拠点にタメンタイというアート事業に取り組んでいます。
小さいころは地図が大好きで、漫画を読むようにえんえんと眺めている少年でした(代わりに漫画は読まなかった)。好きが高じて京都大学に入学(得意科目で苦手科目をカバーした)。文学部で地理学を専攻しました。大学まで美術とはほとんど積極的な関係はありませんでした
「学生を1カ所にたくさん集めて、びっくりしたい」という演劇を見た
大学の同期である岡田眞太郎くんの演劇を見た。
京都学生演劇祭2020出品作で、このご時世なので無観客配信公演としてツイキャスで観劇できる。
彼は地理学専修の同期なのだが、そもそも途中で休学して世界一周の旅に出ていたので、卒業は1学年あとになった。
ぼくは学部卒業後すぐに就職したが、彼は大学院に進学し、査読誌に論文を投稿したり、学振研究員にも選ばれたりと、血なまぐさい冷酷なアカデミアの世界で着
平和を希求する模範的高校生だったぼくは、なにも知らなかった
2010年8月6日。
ぼくは被爆都市ヒロシマに生まれ育った平和を希求する模範的高校生だった。高校生代表として当時の国連事務総長に挨拶し、地元紙に大きな記事が載ったりもした。
しかし、ずっとどこかモヤモヤしていた(そんなモヤモヤを卒論にぶつけた話を以前書いた)。
あれから10年が経過し、ことしは小さな空気感の変化を感じている。
ぼくが17歳から27歳になったこと、被爆65年目と75年目のもつ意味